忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

今どきの娘さんたち

2013-08-31 | 日記
 つい先ほどまで、我が家の近くで高校生と思しき女の子が二人、大声で話していた。
今は午後11時半、話始めたのが10時前だったから話は1時間半ほども続いたことに
なる。

窓から覘くと片側1車線の道路の向こう側の歩道で話していた。車道の両サイドに車いす
と自転車とがすれ違って通れるほど広い歩道が取ってあるので家からの距離は優に20m
以上離れている。かなりの嬌声で家の中まで聞こえる。

始めは家の前にある料理屋から出てきた客かと思った。ほろ酔いの客の話し声は自制が
利かない分大きく響く。時折別れ際に大声で話すことがある。だが、それはほんの数分
我慢すれば終わる。今回はいつ果てるともなく続く。

どうも自転車で来たのが、歩いてやってきたのとばったり出くわしたようなのである。
自転車の女の子が自転車から降りて、間に自転車を挟んだ状態で向き合っている。。
久しぶりの会ったので話が弾んだのか、それにしても1時間半は長い。

話し声が大きいばかりではない。
自転車の方はそれなりの恰好をしていたが、歩いてきた方はというとタイトのミニス
カート姿である。

車の往来が頻繁にあって街路灯で十分明るいとは言え、こんな夜更けにそんな恰好で
若い女性が歩き回るとは如何なものか。そうでなくても四日市でタンクトップ、ミニ
姿の女子中学生が殺害されるという事件が起こったばかりである。

それに傍若無人の大声。夜は声が通りやすいということを知らない様子。注意してやり
たいが最近は女の子でも怖い。周囲に気を配るという身嗜みがなくなったことは本当に
嘆かわしい限りである。

富山での思い出 : ノーベル賞受賞の田中耕一さんのこと

2013-08-31 | 随想
 今週月曜日の朝日新聞で久しぶりにノーベル賞受賞の田中耕一氏を拝見した。
朝日新聞社主催で科学に興味のある若者対象に開催された「朝日知と学びのサミット」
というセミナーで基調講演を行ったという記事だった。基調講演のタイトルは「科学
での失敗を活かす」というものであった。

自分の体験談から、失敗を見逃さない目を持つこと(作り損ねた筈のサンプルを使った
ことが成功に繋がった)、異業種間で情報交換が必要なこと(電気専攻なのに化学で
受賞)、何事も一所懸命にやることが大切(本人がそうであった)であると説いていた。


田中耕一氏は富山の出身である。富山に’03年まで単身赴任していた経験があり
田中氏がノーベル賞を受賞した’02年は富山でも一躍大フィーバーとなった。
本人が驚くほどの唐突の受賞だったので当然と言えば当然である。

記事が掲載されたのは丁度、当時富山で集めたスクラップ等の資料を整理するため
スキャナーで資料を取り込み終わったところであった。なんというタイミングのよさ
なのであろう。

'03年6月に富山を離任するに当たり富山市内にある田中氏の実家まで行ってみた。
田中氏の実家は鋸の販売店だったか、目立て屋かを営んでいたが、田中氏の受賞後
に野次馬が集りすぎて周辺の商店街に迷惑をかけるということで看板が撤去されて
おり訪問者もなくひっそりとしていた。

富山は南は北アルプス、東は親不知で遮断され、西に抜けるにしても大阪・京都は
離れているのでいわば陸の孤島である。そのせいか、独特の文化というか風土を
持っているように感じられた。粘り強さは雪国のせいか。宗教心が強く先祖を大切
にするのは一向宗の盛んな土地柄か。核家族化している現在において大家族が多く、
また女性が働き者だから世帯あたりの所得は日本一だし住宅所持率も日本一。

実は田中氏は幼児のときに母親を亡くし、父親の兄夫婦に育てられたという。
兄夫婦は実子と分け隔てなく育てたので田中氏は大学入学の時に提出した戸籍謄本
を見るまでは実の親子とばかり思って育った。ショックの余り勉強に手がつかず
1年留年したというが、大抵のところだったら近所のものか、親類がずっと前に
陰口して知れることとなる。

他の兄弟もそのことを知っていたというが、やはり育ての母親がいかに優しかった
かということだろう。育ての母親は当然血が繋がっていない。
富山の人々が押しなべてそんな人柄であるように思える。
富山を離れて丁度10年になるが、いまだに懐かしくなる。


最後に、当時のスクラップの写しを添付。

受賞決定直後のフィーバー


連載記事~無名のメダル(読売)




連載記事~夢を抱いて



ストックホルムでの記者会見


県報




虫愛づる姥姫(うばひめ)

2013-08-29 | 日記
 もう40数年も前の話だが,高校の古典の授業で習った「堤中納言物語」
のなかで「虫愛づる姫君」というのが出てきた。

古典と言えば、内容自体が面白くないうえに更に追い討ちをかけるように
高齢の男性教師の授業がまるでお経のように一本調子だったので、授業時間
の殆どを眠って過ごした。

今から考えれば勿体無いことをしたものだと思うが、育ち盛りの高校生
時代、朝は眠いし、昼食後の午後一番の授業での古典は最悪だった。

当然、何を習ったかは殆ど覚えていない。だが、この「虫愛づる姫君」は
たまたまその時起きていたのか記憶がある。
身なりもかまわず虫の飼育に没頭する姫君の話である。


昨日、家人が言うには同居している義母(家人の母親)がまた今年も
スズムシを買ってきて自分の枕元で飼っているという。
この話を聞いて真っ先にこの「虫愛づる姫君」を思い出した。
義母は昭和ひと桁生まれでかなり進んだ"後期高齢者"。なので「姫君」
といっても「姥姫」である。

ではなぜ「姥姫」かというと・・・。

 義母は、未亡人になって30数年になるが、娘である家人に家事一切を
押し付けて手伝ったことがない。家人が三人の幼児、乳児の育児に追われて
いた時分でも、助けを出すことはなくまるで他人事のように趣味である野草
収集や絵画教室通いに明け暮れた。これは我が息子たちが巣立った今も続い
ている。
数年前に高齢と車の老朽化のため運転免許を返上したが、それまでは毎日
のように勝手気ままに県内を走り回っていた。「今日は300km走ってきた」
といって自慢する日もあった。

御付の者はいないが、傍からみるとまるで「姫様」気分に見える。

普通の母娘であれば、夕飯の支度で肩を並べて台所に立っている姿を思い
浮かべるものだがそれが全くないのだから驚きである。
家人がエアコンなしの暑い台所で汗まみれになって作った料理を至極当然の
態で冷房をギンギンに効かせた自分の部屋に運び込んで食べている。

几帳面でむしろ異常ともいえるほどの綺麗好きの娘。おまけに大の虫嫌い。
一方はズボラで自己中の母親。これが本当に母娘なのだろうかと疑う。


食事の支度が少し遅れると催促するように台所の前を行ったり来たり
するという。「姫」と言ったが日頃の生活ぶりはまるで「オヤジ」そのもの。

そして朝から終日過ごした絵画教室から夕方に帰って来るやいなや台所を
覘いて「今日は暑かった。(ご飯は?)」というあたりはまるで遊び疲れた
小学生の餓鬼ボウズのようでもある。

それにしても、枕元で一晩中スズムシが鳴く中で寝るという神経は理解しが
たい。しかも部屋は匂うはずだが・・・。今日も廊下までスズムシの声が
聞こえる。

イプシロンロケット打ち上げ失敗 ~ 再チャレンジに期待

2013-08-27 | 随想
 今日13時45分にイプシロンロケットの打ち上げがあるというので
自分の中では午前中からカウントダウンしていた。
あと3時間、あと2時間、そして1時間というふうに。

打ち上げ30秒ほど前に、それまで見ていたTV番組が現場中継に切り替わり、
本当にカウントダウンが始まった。現地の見学場所でも皆が一斉にカウント
ダウンを唱和する。10、9、8、・・・・3、2、1、0。

だがカウントが0になっても動きがない。おもわずのけ反る。
古い話だが昔、クレイジーキャッツの植木等が”お呼びでない”といって皆
がずっこけたような感覚に。

失敗でない、延期なのだという人がいるかもしれない。しかし、予定通りに
打ち上げられなかったという意味ではやはり失敗といえる。
失敗には取り返しのつかない重度の失敗とそうでない軽度の失敗がある。
今回の失敗は、機材に損傷がなかったので軽度の失敗ということだろう。

液体燃料なら打ち上げ延期の場合は燃料を抜き出さなければならないが
幸いにして今回の場合は個体燃料であり抜き出す必要がない。
個体燃料のロケットは一旦点火すれば燃え尽きるのを待つしかないが
液体燃料より取り扱い易くまたエンジンの構造がシンプルにできるらしい。

打ち上げ再チャレンジは最低3日はかかるというが、次回はぜひ打ち上げに
成功して欲しい。そして皆で喝采したい。


ところで今回のイプシロンとは別に液体燃料のH型ロケットもある。
こちらの方は大型人工衛星や宇宙ステーションへの物資輸送を行う
「コウノトリ」の打ち上げに使われている。

でも、「コウノトリ」を始め、日本が参画している宇宙ステーション建設
計画は個人的にはどうも賛成しかねる。人口膨張のため他惑星への移住、
あるいは天然資源枯渇のため他惑星から調達、といった壮大な最終目的
があると思われるが、まだそれほどこれらの問題は切迫していない。

中には、宇宙開発によってシャトルの耐熱タイルや複合材料などの開発が
促進されたという人もいるだろう。しかし殆どとってつけた言い訳くらい
にしか思われない。そして日本は自前の実験棟まで打ち上げている。

もともと宇宙開発は米ソ冷戦に始まっている。最初の人工衛星打ち上げは
旧ソ連。人工衛星は確か「スプートニク」といった。旧ソ連は第二次世界
大戦終了時にドイツからV2ロケットの技術者を多数連行しその開発に
あたらせたので当然である。
この冷戦時代に、大陸間弾道弾に繋がる大型ロケットの開発は国として
安全保障上大きな脅威である。

米国はあわててロケット開発を急いだが、その後動物の打ち上げや
有人での宇宙空間飛行、月面のサンプル採取(ただし無人)とことごとく
旧ソ連に遅れをとった。

そこでケネディーによって壮大なプランとして立てられたのが「アポロ
計画」である。人を月に直接送り込むということ。これならソ連には決して
マネできないだろうと。
ここまで来ると完全に意地になっていて無意味な競争である。
アポロ計画はずっと以前に、そしてシャトル計画は最近終了している。
費用対効果が低いとして議会の承認が得られなかった。

そしてまた宇宙開発が国威高揚につながるだろうか。
現在中国が有人での宇宙飛行を盛んに行っていて、彼らの自信は深まって
くるばかりだが、全て国外の技術の模倣でできておりオリジナリティはない。
これは明らかに過信である。


またまた天邪鬼な性格が出てしまった。これ以上言うのはやめにしよう。


電力不足は嘘だったのか

2013-08-26 | 随想
昨年マスコミをあげて嫌というほど電力不足になると嚇かされ続けた。
だが、今年は近年にない猛暑だというのに電力不足の“で”の字も出てこない。

福島第一原発事故から2年半経つがこの短期間で火力発電所の新設および増設
が行われたとも思われない。発電能力が変わらないのに本当に不思議だ。

今年、電力各社が一斉に料金値上げを実施した。こうなると値上げのための
キャンペーンだったとしか思われない。或いは原発再稼働を計ったか。
マスコミはそれに乗せられたのか。

だいたい、電力の受給バランスというのは電力会社しかデータを持ち合わせて
いない。発電能力と一口にいっても、公称能力、実能力、最大能力などいろいろ
あって、実際の発電能力は電力会社でしかわからない。

その電力会社の作成した電力受給バランスの真偽を質すために、監督官庁として
経済産業省があるのではないか。本当に監督官庁として機能を果たしているのか
疑わしい。

最近似たような事例がみられた。福島原発の汚染水漏洩問題である。貯水タンク
から外部に200m3も漏れていたという。ほかに発電所からの地下水汚染の問題も
ニュースで流されており、メルトダウンといい、東電関係のニュースはすべて
今更何をという感がして驚かない。

だがしかし、貯水タンクからの漏洩についてのニュースで、監督官庁たる原子力
委員会の現地立会いでの言動に驚いた。
そこではタンクの液面の記録がないことを激しく追求していた。記録がなければ
漏れたこともわからないのになぜ記録をとっていなかったのかと。

しかし、漏れてから指導しても始まらない。記録を残すように指導するのが彼らに
課せられた業務ではないのか。

問題はタンクからの漏れに留まらないはずである。問題は次々と出てくるだろう。
問題になる前に問題を摘み取るのが彼らの役割なのだから、東電任せにせず職責を
全うして欲しい。

車のバッテリーは交換時か?

2013-08-26 | 日記
 我が愛車は購入して今年で丸8年。昨年の3回目の車検のときバッテリ
交換をディーラーから奨められた。使用期間からいうともうそろそろ寿命
だという。メンテナンスフリーということで殆ど手をつけていない。

値段を聞いたら3万5千円と言う。やけに高い。カー用品店で買えばもう少し
安く手に入るだろうし、悪くなってもエンジンが掛からなくなるだけで
走行中にエンストするようなことはないだろうと思い交換せずに車検
を済ませた。

それから1年。まだバッテリーがヘタった時の兆候--エンジンの掛かりが悪い、
ブレーキを踏むとヘッドライトが暗くなるなど--が全く見られないし、
何より消費電力が大きいはずのTVをエンジンを掛けずに1時間見ても
エンジンがかかりにくいということはない。そしてバッテリーに付属の
モニターも”正常”を表示している。

今年の春にはこのバッテリーのまま長駆、岩手・秋田を周回した。

ところが、先日GSで給油した時にサービスでウィンドウ洗浄液を補充
してくれるというのでお願いしたところここでもまたバッテリ交換を
奨められた。バッテリーケースに膨らんでいるところがある、液漏れが
ある、兆候がなくても突然ダウンする、などと散々脅かしてくれた。

そうするとやはり気になって、ナビの自車情報モニタリングという機能で
バッテリー電圧を測ってみると11.6Vまで下がっている。

近く遠出を計画している。近場を回る分には仮にバッテリーがダウンしても
何とかなるが、やはり遠出の途中では困る。やはり替え時か。

それにしても、エアコンを一年中入れっ放ししてバッテリーを酷使しメンテ
ナンスも全くやらないというのに8年間もよく働いてくれた。
パナソニック55D23LーMF よ有難う。


エアコン室外機の盗難多発について

2013-08-25 | 日記
 数日前、新聞のニュースでエアコンの室外機の盗難が多発していると
書いてあった。室外機には銅、アルミが多量に使われているので廃材と
して売れば5000円くらいにはなるらしい。

エアコン室外機は内部のガスを抜けば配管や電気配線は簡単に外すことが
できる。そしてその殆どが土台に固定されていないので配管や配線さえ外せば
いとも簡単に持ち去ることができる。しかし、これが盗難に遭うとは・・・。

わずか一台5000円である。100台でも50万円。多量に取り扱う必要
があるから解体業者も一体になった組織的な仕業なのだろう。

被害者の方は5000円では済まされない。エアコンは室外機単体では売られ
ていないので、室内機、室外機一式として買わざるを得ず10数万円の被害に
なるという。


腑に落ちないのはエアコンを廃棄するとリサイクル料が課せられるということ。
廃材として売れば5000円で売れるというのに。
先月当家でもエアコンが故障して新品と更新したばかりである。この時取外し料
として5000円と何百円のほか、リサイクル料として2500円も支払わされ
た。

売れば5000円の価値があるものを逆に2500円も払わされたのだ。
室内機の分もあると思われるかもしれないが、室内機も構造的には同じ。
ファンや冷却フィンが室外機より若干小さいが基本的には殆ど変わらないはずだ。
なぜなら冬に冷媒の流れを逆にして暖房として使っている。
室内にあるので盗まれないだけだろう。

リサイクル料の支払いは法律(家電リサイクル法?)で決められている。でもブラウン
管テレビなら理解できる。大きな鉛入りガラスのブラウン管があるから。
でも薄っぺらな液晶テレビや中身が空ろなエアコン、冷蔵庫までもリサイクル料を
徴収するのはどうしてだろう。
しかも法律で義務化してまでも。

過言かもしれないが金のあるところに必ず利権が生まれる。システムを作ればその
管理が必要となって役人がつく。あるいは天下る。

無駄なこと、いや、やらなくていいことまで無理にやっているのではないか。
仕事のための仕事を作るために。

役人天国の日本。そんな役人が日本を食い潰している。
まじめに仕事をこなしている人も中にはいると思うが・・・。

新鮮野菜のいただき物

2013-08-23 | 日記


友人がまた野菜を届けてくれた。一昔前に会社で苦労を分かち合った人である。
定年退職後に休耕田を借り受けて野菜作りに勤しんでいる。そこで採れた野菜を取れすぎたからと言って時どきに届けてくれる。

非常にまじめで几帳面な性格が野菜作りにも表れている。面倒見がよく部下だった人に
に今でも慕われている。
そういった人だから、いただく野菜はいつも専業農家に負けないくらい立派でそして味が
いい。

今日の頂き物は、紙袋一杯の茄子にニガウリ(ゴーヤー)。

茄子はとりわけ大好物である。今日は茄子の揚げ物と蒸し茄子が食卓に揃った。
茄子は油が相性がいい。そして鰹節を掛けただけの蒸し茄子も。

今日は故郷に住む姉からブドウも届いた。


晩酌として嗜んでいるオンザロックの焼酎が今日は特別旨い。


再生の胡蝶蘭 全開

2013-08-22 | 日記
 8月になって咲き始めた胡蝶蘭。一本の茎に交互に付いた七輪の蕾が
根元の方から一個ずつ開いていって今日やっと全て咲きそろった。




 肥料が不足したらしく花自体は小振りだが、全体が咲きそろうとやはり
見ごたえがある。

 1月末の法事で供え物として贈られてきた生花の胡蝶蘭で、花が落ちた
あとも廃棄するのが忍びなく茎の根元を切り落として植木鉢に植え替えて
おいたもの。

 原生地は東南アジアの高地の森林で、木の途中のウロなどに寄生している
という。うっそうとした森の中でこの花を見かけたらどんなに華やかに見える
だろうかと思う。

 植え替えたのは2鉢で、もう一つの鉢はしっかりした葉をつけている
ものの花のかけらは微塵もない。暖かいところの植物なので寒さに弱い。
ぜひ2鉢とも無事に越冬させ、来年もしっかりと花を咲かせたい。

福知山花火大会での爆発事故

2013-08-21 | 日記
 京都福知山の花火大会で爆発事故があり多数の死傷者が出た。
3人がなくなり、3人が重篤であるという。最初に亡くなった
竹内弘美さんは連れの小学生に覆い庇って大火傷を負ったとのこと。
献身的な行為に誠に頭が下がる。
亡くなられた方々のご冥福と今なお意識不明で大火傷と戦っている負傷者
の回復を切に祈る。

 今回の事故の直接の原因は、ガソリン携行缶の取り扱いミスが原因で
減圧操作をしないまま注油口をあけたため、余圧でガソリンが噴き出し
それに屋台で使っていたガスコンロの火が引火したという。

ある目撃者によるとまるで消防ホースの筒先のようにガソリンが噴出した
というが、白い液滴状になって吹き出したという証言もある。
どうしたらそのような噴出し方をするのだろうかと不思議でならない。

セルフのスタンドでガソリンを注油する時キャップをあけると「プシュッ」
と音を立ててガスが抜けることがある。でもそれは一瞬である。

薬罐一杯に水を入れて沸かすと熱湯が噴出すことがある。もしガソリン
が沸点以上にあったのなら、これと同じようにキャップを緩めればガソ
リンが激しく噴き出すだろう。
だが、ガソリンの沸点は確か70℃近くありこれでは熱くて素手では持て
ない。直射日光や発電機の排ガスで熱せられていたといっても70℃まで
もは加熱されることはないだろう。

タンク一杯に入れていたのでキャップを緩めた瞬間にその隙間からまるで
霧吹きのように霧状になって一気に吹き出したのだろうか。

いずれにしても、今後消防によって再現テストが行われるだろうから
ぜひ犠牲者の方々の無念を晴らすためにも原因を徹底的に解明して
再発の防止のための啓蒙活動を図っていただきたいものである。


それにしても、世の中が便利になった分そこら中に危険が潜んでいる。
車はキーを回すどころか最近は指認証だけでスタートできるものもある。
そして故障することも殆どないので車は走って当たり前になっている。
今はエンジンを馴染ませるためのアイドリング(暖機運転)も必要ない
という。
さらにずっと昔は冬場温度が低い時にガソリンが揮発しにくくエンジンが
かかりにくいのでチョーク(窒息)コックさえついているものもあった。

それだけに車の仕組みや燃料としてのガソリンの危険性に考えが及ば
なくなっているのではないだろうか。

20Lのガソリンで普通車なら200kmは走る。タイヤの夏冬交換で
車輪を運ぶとその重さに驚かされ、ガソリンの持つエネルギーの大きさを
実感させられる。ガソリンはその重い車輪を4つも装着し1.5トンもある
車体と人とを200kmも運ぶ。
それももとはといえば、わずか牛乳パックの容量でしかない2L程度の
シリンダー内でのガソリン蒸気の爆発力である。

自分自身、セルフスタンドで注油する際に注意散漫になっていることがある。
冬場、車を降りてドアを閉めようとして指先に静電気が飛ぶことが多々ある
"静電気人間"でもある。十分注意したい。





空にはすでに秋の雲

2013-08-20 | 日記
 

残暑続きの毎日だが、ふと見上げた空には秋の雲が出ていた。

地上は地面の余熱で暖められて残暑厳しいが、上空には北から冷気が
流れ込んでいるのだろう。

夕方、日が翳ってから庭の雑草取りをしたら、ものの10分も経たない
うちに汗が吹き出してきた。

暑さ寒さも彼岸までという。その彼岸も過ぎた。もう少しの我慢。

川涼み @鹿野町せせらぎ公園

2013-08-19 | 日記
連日の残暑にうんざりして、久し振りに奥の方に車を走らせてみた。
中国山地の西の端に当たり、標高が300mほどあるので計算によると平地より約2℃低
いはずだ。

錦川の源流部にあたり、その支流の小川の河原が整備されている。流れが緩やかで
水量も適量、安全ということで、子供達の川遊びや子連れ家族でキャンプなどが
できるようになっている。10年ほど前までは、夏の間、毎週のように頻繁に行って
いた。




弁当とPETボトルのお茶、そして食後の読書にと単行本を持って行く。

木陰に車を停めて、窓を開けていざ弁当を食べようとしたが窓から入る風が生ぬるい。
車の外気温表示は32℃。平地は34℃だったので計算通りに2度ほど低いがやはり耐えら
れない。仕方なく、食事の間だけでもとエンジンをかけてエアコンを効かすことにす
る。

川の中には幼児や小学生たちが楽しそうに戯れている。上流に民家が少ないので流れる
水は清らかで小魚が泳いでいるのもみえる。天然のプールである。

食事後車のシートを倒して本を読むつもりでいたが、あまりの暑さにたえられず読書も
そこそこに帰ってきた。

今年は残暑が殊のほか厳しいようだ。


台湾と韓国(朝鮮)の対日感情の違い

2013-08-19 | 随想
 今朝はなぜか3時過ぎに目覚めてしまった。眠れぬままNHK-FMで
ラジオ深夜便を聴く。午前3時台は「作家でつづる流行歌:吉岡治(作詞)」
特集である。深夜に演歌ではますます眠れなくなる。

眠れぬまま演歌を聴き流していると4時台は「明日へのことば」が流れる。
今日のインタビュイーは映画監督の酒井充子さん、テーマは「アジアの関係を
映画で見直す(1)」だった。

北海道新聞の記者時代に台湾を訪れた時に、バス停で日本語を流暢に喋るご老人
から話しかけられたことから、映画監督に転進して日本統治下の台湾を改めて
みなす映画を作り続けているという。
 ※代表作
  「台湾人生」
  「台湾アイデンティー」
  「空を拓く 建築家・郭茂林という男」

 このバス停で話しかけてきたのはバス停そばに住んでいるご老人で、バス停
で待つ日本人らしい彼女を見かけてわざわざ家から出てきて、自分の小学校時代
に日本人の恩師からいかに世話になったかを話してくれたと言う。

「自分は教科書で出た日清戦争後の下関条約で台湾が日本に割譲されたことくらい
しか知らなかった。だが、実はこのことで1945年の終戦で解放されるまで50年間
もの間日本の統治下にあったという時間的空間を認識させられた」
と言っていた。

 この時代に教育を受けた人たちへのインタビューを進めるうちに彼らは極めて
親日的であり、中には日本に引き上げた恩師の消息を探し続けて数十年後に再合を
果たしその恩師が亡くなった後も毎年来日して墓参している人や「もし男だったら
特攻に志願していた」という女性、お茶、生け花を習得し「日本人よりも日本人らし
い」と自負する女性がいると言う。

 そう言えば、20数年前に始めて海外出張に出たのが台湾だった。
先輩社員の鞄持ちのような表敬訪問で数社を回ったが、先方の副経理などの年配
の人は日本語を話していたことを思い出す。

おしなべて台湾は親日派が多い。
それに対して韓国は嫌日、反日が圧倒的に多い。

等しく皇民化政策によって、習慣や言葉、システム全てを日本式に
変えることを強いられた両国だがこの違いは余りに大きい。

もともと清の圧制から逃れるため大陸から渡ってきた人たちが大半
だった台湾、平和だった李朝を潰されいわば「てごめ」されるがごとく
併合された(と勘違いしている)韓国の立場の差か。
あるいは生来の民族レベルの差かとも思う。

国民感情も人間関係も同じで、距離が近いほど好き嫌いがはっきりする。
人間関係なら嫌いであれば離れて距離を置けばいい。近所同士でどうしても
嫌いなら家移りも可能だ。だが国と国では離れることも儘ならない。

日本を意識することでしか自らのアイデンティティを見出せないように
思える韓国。哀しい性(さが)である。




近所は建築ラッシュ

2013-08-17 | 日記
 このところ、近辺が建築ラッシュの様相を呈している。すぐ隣と徒歩で5分も
かからないところに2階建ての賃貸アパートが建ったし、近くの10年以上も
雑草が生い茂ったままの空き地だったところが分譲され一戸建て住宅が5,6軒
建築中である。
すぐ隣の賃貸アパートに変わったところは50年以上は経つ古い木造の倉庫で
息子達の恰好の遊び場だったところである。


アベノミクスで景気が回復しつつあるとはいえ異常な建築ラッシュに思える。
特に高齢化が進む当地域において住宅の需要がそれほどあるとは思えない。
周辺の既存の賃貸アパートに空室が多いのに経営は大丈夫だろうかと思っていたら
案の定、隣のアパートは完成して2ケ月が経つのに4室のうち半分の2室が空室
のままだ。

これはどうも来年の消費税増税を見据えての建築ラッシュなのだろうと思える。
建物は思い立ってもすぐに建つことは決してないので早めに手をつける必要があ
るのだろう。

隣の賃貸は托建業者の主導で建てられた。依然当家に地主ではないかと聞いて
きたことがある。東証一部上場の業者でこのところ成長著しいが、建設はもち
ろんやアパート運営までも請負って利益を出している。隣の賃貸のように空室
が出ても決して自分のところは損が出ないようなシステムになっていると聞く。
思い込みで言ってはならないが多分地主が、相続税対策、消費税対策などと
言いくるめて建てさせたに違いない。

この件は当事者ではないのでとやかくはいえない。損をするかしないかは
地主の問題なのだ。

話がワキに逸れた。本題にもどそう。
黒田日銀総裁は「デフレ回復と消費増税は両立する」といっているが、
近辺の建築ラッシュを見る限り、消費増税後の消費減少は必ず起こると思える。




今年も盆がやってきた

2013-08-16 | 随想
 今日は盆。
68回目の終戦記念日でもある。家族には戦争被災者はいないが、遠い親類に
真珠湾攻撃での潜水特攻員(特殊潜航艇:人間魚雷)がいる。母の従兄弟にあ
たると言う。従兄弟半である。
開戦当初こそ”軍神”と崇め祀られたものの、戦争がすすむにつれそれどころ
ではなくなったらしい。今はその片鱗さえない。
若者の中にはアメリカと戦争をしたことさえ知らない世代もあると聞く。

ところでこの終戦という言葉はいつも心に引っかかる。実質は敗戦なのに終戦
といって言葉を濁す。敗戦という事実を認めて傷つきたくないという気持ちが
出ている。似た例はまだある。事実は撤退なのに転進、また本当は全滅なのに
玉砕。こちらは大本営発表という公式の発表で、国民を鼓舞するため美句に
刷り変えている。また同じく占領軍を進駐軍と言い換える。
そう言った曖昧さがまた責任の所在や反省といったものを曖昧なものにして
いるのではないか。

ただ、戦争の責任は負けた日本だけに一方的にある訳ではない。
軍備拡張に走り戦争への道を邁進していった日本も悪いが、石油禁輸等の経済
封鎖によって日本を戦争へと走らざるを得なくしたアメリカ側にも責任はある。
――と考える。

 大量破壊兵器を持っているとして侵攻を始めたイラク戦争。侵攻が始まった
時、まるで西部劇でインディアン(今はネイティブアメリカンと呼ぶ)を殺戮
していった騎兵隊と同じに思えて全く無茶なことをやるものだとあきれたことを
忘れない。ブッシュ大統領が騎乗のまま2丁拳銃を乱れ撃ちしてインディアンを
追う騎兵隊の隊長に思えた。
果たしてフセイン政権は倒されが大量破壊兵器は見つからなかった。そして
あくまでイラク人の自主制の元にという形でフセインは処刑されている。

当初アメリカはフセインが独裁政権であるのを承知の上で隣国イランの牽制の
ため武器供与を行いサポートし続けている。フセインのクェート侵攻という
無謀な行動が先にあったとはいえ、フセイン政権をここまで助長させたのは
アメリカである。利用するだけ利用し、意と異なれば潰してしまう。誠に手前
勝手というほかはない。

このような例はかつての南朝鮮(韓国)や南ベトナムでも見られた。民主、
人権を謳いながら軍事政権を容認し、自国に利さないと見るやクーデターで政権
を転覆させることがたびたび行われている。

また決してテロを肯定するつもりはないが、イスラム教徒によるテロも元はと
言えばアメリカ自身が生み出したものといえる。
第二次世界大戦への協力を得るために、2000年もの前にユダヤ王国があった
パレスチナへのユダヤ人入植を認める秘密文書を出したのはイギリスだが元は
アングロサクソンで同根。この結果、長年住み慣れてきたパレスチナ人は土地を
奪われた。そして、その後の数次に亙るパレスチナ戦争で周辺の土地を占領し、
占領地は一部返還されたものの耕作に適した場所は囲い込みをしてパレスチナ人
を追い出したうえ入植を進めている。事実上の領土拡大である。
「世界の警察」を自称している米国は、国内の政財界で強大な力を持つユダヤ系
住民の圧力を受けて決してパレスチナの方に与しない。口で通じなければ一部が
実力行使で訴えるの自明だ。しかもまともな軍事力を持たないかれらはテロで
しか訴える手段がない。
2000年もの前の所有権を主張されてはたまらない。日本で言えば、弥生時代か
縄文時代かに当たる。「富士」の語源はアイヌ語という説もあるからその論理から
いえば富士以北はアイヌ領となる。
イスラエル国家を潰せとまでは言わないが、少なくとも入植は踏みとどまらせる
べきだろう。

こう考えると民主、人権と言っても全く自分本位のご都合主義である。


原爆投下についても、戦争を早期に終結させるため、そして米軍の被害を増やさ
ないため止むを得ないものだったといって決して謝罪することはない。一瞬にして
10万人(最大15万人ともいう)に及ぶ民間人が焼き殺された。

東京大空襲も、事実上大量無差別の虐殺である。まず第一陣として大きくリング状
に焼き、逃げ惑って中央に集まったところを第二陣として攻撃してきたという。
そのために一夜にして8万人の命が奪われている。誠にやり方が卑劣だ。

植民地時代、オーストラリアでは原住民のアボリジニを動物のように狩猟の獲物に
したというがその時代と考え方は全く変わっていない。

例え戦時中の非常事態とはいえ決して許されるはずがない。


書き進むにつれ反米的な内容になってしまった。しかし内実は反米主義ではない。
何より正否は兎も角として論理の過程がクリアーなところがいい。


太平洋戦争での戦没者は官民合わせて300万人にものぼる。英霊、御霊の冥福を
心から願う。
それとともに集団的自衛権などといってご都合主義のアメリカの片棒を担いだり、
あるいは梯子を外されたりするのはまっぴら御免願いたい。