忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
趣味はミニチュア木工、電子工作、旅行など

大泉第一小学校 無差別傷害事件

2013-06-29 | 随想
小さい孫がいるだけに今回の無差別傷害事件は心が痛む。
なぜこんな事件を起こしたのか動機が知りたい、動機が分かれば同様の事件の再発を防ぐ
手だても考えられる----と思っていたら、意味不明の言動があり精神障害の疑いがあるので
氏名は当然のこと顔写真も公表されないという。

もしそうなら責任能力がないということで措置入院があるものの訴追はされないことになる。
他の事件でも、弁護側が無罪に誘導する戦術として責任能力を争点にすることが多々ある。
弁護士としては最低の弁護士と思う。事件の真相を明らかにすることこそが弁護士の役割では
ないのか。

なぜこうも、加害者の人権が守られて、被害者あるいは被害者になりうる一般市民の人権が
ないがしろになるのだろう。


速報で流れた逮捕直後の映像を見る限り、乗っていた車はマツダの高級車。
なぜ精神障害者がこんな高級車に乗れるのだろう。親族に裕福な人でもいるのだろうか。

精神に問題のある人が車で広範囲に移動できるというのは怖い。

ほんとうにやりきれない。


エアコン故障 顛末記

2013-06-27 | 日記
寝室のエアコンが動かなくなった。

三菱ビーバーエアコンで1991年製らしい。22年間も使い続けたことになる。
ただ使うのは夏冬の就寝前の冷暖房だけなので使用期間は長いが、通算の稼働時間は
それほど長くはないかもしれない。

昨年あたりからスイッチをいれても表示ランプが点滅し起動しないということが続いていた。
都度コンセントを抜いて起動するのを待つというのを繰り返していたが、先日、とうと
う運転中に停止してしまった。

家人が言うには、曇りや雨などの湿度が高い日によく起こるとのこと。
もしそうなら漏電の疑いあり、そして室外機の可能性が高い。

本来、こんなトラブルなら専門家を呼ぶのが常套だが何しろ機械そのものが年季が経ち
すぎている。点検して買い替えを奨めるのが関の山。そして出張料だけはきっちりと
請求されるに決まっている。


ダメもとで室外機を点検することにする。
室外機の端子ボックスを見てみるとヒューズが切れていた。
これは直るかもと期待した。
しかしこれが20Aのヒューズ。さすがにこれほどの容量の大きなヒューズは手元に持ち
合わせがない。

近くのヤマダ電機に行ってみたらヒューズが見当たらない。まさかと思ったが、念の
ため店員に聞いたらヒューズは取り扱っていないという。


別の電機量販店に電話で在庫を問い合わせてなんとか入手することができた。

で、ヒューズを取り替え期待を込めてスイッチオンしてみるとすぐダウン。

本腰を入れて室外機の外板カバーを外し、点検してみることに・・・。
すると機番のICチップの1個が破裂していた。
どうもインバーター回路に使われているフォトカプラーらしい。
フォトカプラーだけなら100円程度であるはず・・。

メーカーに問い合わせると、代替機種の基盤ならあるがフォトカプラー
単体では供給していないという。
基盤は価格が30,000円近い。本体そのものが年季が入っているので
基盤取替えは勇気が要る。というより、基盤を取替えるくらいなら
一式新品にとり変えた方が得だ。

しかし、このフォトカプラーが曲者でどうも汎用品ではないらしい。
汎用品なら通販で簡単に入手できるはずなのに、やっと見つかったと
思ったら1000個単位だったり、基盤と変わらないくらい高かった
りと思わぬ苦戦を強いられている。

最初、数百円くらいで済みそうなのでやってみようかなと思ったのだが
すでに1週間が過ぎた。幸運なことに先週1週間は涼しい日々が続いた。
来週あたりから暑さがまた戻りそうな予報が出ており、そろそろ家人の
催促の声が聞こえそうな気配となってきた。


【後記】
悔し紛れに言うと、雨に打たれるはずの室外機なのだが、バラしてみると
水分や湿気対策が全くなされていないことに驚く。
結線や基盤などの電気回りも外板カバーの中にそのまま剥き出しでセット
されている。
当然雨の日などは雨のミストなどが入ってくる筈だ。放熱のため密閉構造
が難しいという理由もあるだろうが、それにしても外気に対して外板一枚
とは信じがたい。

幸い当家では軒の内側に設置しており直接雨がかかりにくい構造だが
もし腐食して天板に穴が開くと基盤に雨滴が直接かかることになる。
中には可燃物は殆どないものの考えると怖い。


決められぬ政治、大いに結構

2013-06-25 | 随想
 来月投票が予定されている参議院選挙で自民が圧勝し、参院においても
過半数を占めそうな勢いである。

 長らく、前の選挙で勝った陣営が次の選挙で負けるということが続いてきた。
おそらく、投票する国民の側で微妙なコントロールが働いているのだろう。
特に小泉内閣の郵政民営化解散で自民が歴史的大勝を収めて以降、揺り戻しが
大きくなった気がする。


それがあの民主党の壊滅的凋落によってバランスを取るべき相手がなくなった。
夢のようなマニュフェストを掲げて政権交代を果たしたものの、何一つ実現できず
そればかりか実現へ向けての努力の片鱗すら見せなかった。民主党の凋落ぶりは
当然といえば当然である。

しかし、政権交代時の自民もひどかった。
二世、三世議員が多く、閣僚が次々と不祥事を繰り返す。そればかりか官僚頼り
の丸投げ政策。それによる官僚の専横。
おそらく国民の大半が民主のいう夢は実現できないと分かりつつも少しはマシに
なるだろうとして政権交代の方に票を投じたのだろうと思う。

何も変わらなかった。それどころか自民時代より一層ひどくなった。

しかし、政権交代で一旦野に下った自民はその間に反省することなく旧態依然で
ほとんど変わっていない。

唯一変わったのは訳がわからないキャッチフレーズ、「美しき日本」から「強い
日本」へ。でも基本の路線は「戦後レジュームからの脱却」なのだ。
「成長戦略」の「成長」ですらはっきりしない。


緊急経済対策と称してあい変わらずのバラマキ政策。「アベノミクス」とやらで
一時的な夢を見させてくれてはいるが、そのうち夢は覚める。気が付けば国の
借金は返却不可能に近いレベルまでに膨らんでいる。その後のことは想像も
したくない。

このたび、都議選で予想通り自民が圧勝した。このままでは参院も怪しい。
衆参両院で過半数を抑えることになったら十分審議されないまま、つまり
我々が知らされないままコトが進んでしまう。

人体の骨格はたえず破骨細胞による破壊と造骨細胞による再生のバランスで
成り立っており、また精神面でも交感神経と副交感神経のバランスによって
精神の安定が保たれている。
アクセルだけでブレーキの効かない車は恐ろしい。

決まらない、決められない政治、大いに結構。

ブレーキの効きすぎも困るが、

ゆく。

尾崎行雄氏逝く

2013-06-17 | 随想
元東映フライヤーズ(現 日ハムファイターズ)のエースピッチャーだった尾崎行雄氏が亡くなった。享年68歳。平均寿命が80の時代、本当に若すぎる。

根っからの地元西鉄ライオンズ(現 西武ライオンズ)のファンだったので、小学、中学
時代とよくラジオ中継を聴いて応援をしたものだが、たびたび尾崎氏に抑えられて悔し
い思いをした。


大変なピッチャーが出てきた、この先どうなるのだろうと心配していたら、数年後に肩
を壊してしまい、申し訳ないが正直ホッとした記憶がある。

ラジオ中継は当然音声だけだがそれでも尾崎投手の剛球ぶりは十二分に伝わってきた。
実際に経験した人の証言によると球速は160km近くでていただろうという。

改めて経歴を調べてみた。
1961年(昭和36年)、高校2年で夏の甲子園大会の優勝投手となりその年の秋
に高校を中退して東映に入団。翌年のシーズンでいきなり20勝、翌年こそ2年目の
ジンクスか7勝にとどまったがその後の3年で20、27、24勝をあげている。
この5年間が本当に輝いた時で合計98勝、その後は剛速球ピッチャーの宿命ともいえ
る肩の故障のため7年でわずか9勝しかあげられず1973年(昭和48年)に引退し
ている。

打ち上げ花火のように一瞬の輝きではあったが、大玉も大玉の本当に心に残る名投手で
あった。

今はピッチングマシーンのお陰で打者有利となっていて、投手は直球だけでは簡単に勝
負できないことは十二分に承知している。最近はフォークを始めツーシームなどと多彩
な球種を投げ分けるピッチャーが多いが、今でも速球ピッチャーが出てくるとワクワク
する。

因みに、尾崎氏の2年目のジンクスの年である昭和38年に西鉄ライオンズが優勝して
いて友人と小躍りして喜んだことが思い出される。パーマーらの外人トリオの活躍が目
覚しかったが、尾崎氏がこの年調子が上がらなかったお陰もあるのだろう。

その後西鉄ライオンズは低迷を続け、さらにその後いわゆる”黒い霧事件”で池永を始
めとする主力選手が永久追放となったことなどからクラウンライター、太平洋クラブな
どという今では全く耳にしない会社に次々と転売され、最終的に今の西武に落ち着いて
いる。しかし、自分自身はなぜか本拠地が博多の平和台球場から所沢に変わった現在も
西武ファンであり続けている。そしておかしなことに西鉄ファンに導いてくれた兄は、
西鉄と長い間シノギを削った南海が身売りされて本拠地が大阪から博多に移ったダイエ
ー、その後の身売り先であるソフトバンクのファンになってしまっている。

壁掛け扇タイマー故障

2013-06-14 | 日記
 寝室で長年使用している壁掛け扇のタイマーが作動しないので見て
くれと家人が言う。

自分としては扇風機の風は余り好きではない。だが、暑がりの家人は
エアコンをかけたうえに、室内の循環といって壁掛け扇をよく使う。
確かに寝苦しい夜中に目覚めた時などタイマーは重宝する。


 最近、齢のせいか何かコトをし始めるのが億劫になりスタートが
なかなか切れなくなっている。が、故障というとなぜか血が騒ぐ。

 これは20年以上前に量販店で買ってきて自分で取り付けたもの。
最近はリモコンが附いた扇風機が多く出回っているが、これはまだ
手動操作である。壁掛け扇なので操作部が本体から分かれてケーブル
で繋がっている。

操作ボックス
上のダイヤルがタイマー、下のダイヤルは風量調節


 まずはコンセントを抜き、操作部のボックスの裏蓋を開けてみる。
操作ボックスを開けると透明樹脂製のタイマーボックスがある。
ボックス内には多数の歯車が見える。ばらばらになると組み立ては
面倒だ。しかし開けてみないことには故障の原因はわからない。

そこでこのタイマーボックスを、蓋のツメを壊さないように、かつ歯車が
ばらけないように慎重に開けてみると、最初ぜんまい式のタイマーかと思っ
ていたが、小型のモーターで回す方式となっていて、なんとモーターの回転
子の磁石が3つに割れていた。

タイマー用小型モーター
コイルと回転子からなる。コイルの上下の板から交互に爪状のものが出て
回転子の回りを囲っており、これらがN-Sと順次切り替わることによって
磁石のついた回転子が回る仕組みになっているようだ。
爪が邪魔なので爪を開いて割れた磁石を取り出した。見事に3つに
破断している。


 磁石が割れるなどというのはかつてない経験である。20年以上も使っている
とは言え、機械的な接触が全くない磁石なので、製作時の不良としか考えられず
よほどの粗悪品に違いない。
日本メーカー(Horie)のものではあるが、たぶん中国生産品だろう。


 もうこれまでかと思ったが、強力接着剤を持っていることに気が付いた。
「Devcon」という2液混合型の接着剤。急速硬化性で固まれば金属並の
強度が出る。これで接着してみることにした。

2液混合後のdevcon


磁石の接合
破断面に接着材を塗り、回りの爪と接触しないように慎重に接合する


爪の復旧
接着後、開いていた爪を折り曲げて元に戻す


モーターを接続
切り離していたモーターのコイルを端子にハンダ付け


モーターは異音なく回転し、無事修理は終了。

まだ当分使えることを祈る。



【後記】
セット前のテストではモーター回転の確認をしたが、残念ながら
実際使ってみるとやはりタイマーが作動しない。

小型モーターを再度取り出してテストしてみると問題なく作動する。
モーターの上下の金属板が微妙に変形していてセットする時に回転子
と接触するようだ。
何度か金属板の変形を修整しているが中々この修整が難しい。


【その後】
2日後、なんとか動くようになった。その後も順調。

故郷から梅の実の便り

2013-06-13 | 日記
 故郷に住む姉が、実家の庭先で実った梅を箱詰めで送ってくれた。


(比較のためマッチの軸を入れている)

早速、箱をあけると部屋中に熟しかけた芳醇な梅の香りが広がった。

家人はまず早速梅酒作りへに勤しむ。そして近所の親しい人に少々
おすそ分けして残りは梅干にするという。

いずれも直径が4cmもある大玉揃いである。

姉に早速お礼のメールに「立派な梅だね」と出しところ、
「記憶にないかもしれないが子供の頃、姉弟の三人で天道生え
(地元ではテントウバエという)の梅と杉を山から採ってきて
植えたもの」との返事が返ってきた。

多分9,10歳頃の出来事なのだろうが全く記憶にない。

子供の頃の記憶というのは、双方のどちらか片方だけに残ることは
多いがこれもその一つ。

その返信メールを見て子供の頃の別の記憶が蘇ってきた。

母の日に姉弟で山の畑の土手に生えているお茶の葉を摘んで
きたことがあった。プレゼントというよりは手伝いのような
ものだが、今思うに後のお茶作りの作業の方が母は大変だった
だろうと思う。それでも母は嬉しそうにしていた。

今は何でも店頭に並ぶが、子供頃、田舎では味噌はもちろん
お茶までもときどきだが手作りしていた。筍の塩漬け、干し柿、
渋柿の渋抜きetc.
亡き母は何事にも器用でそして働き者だった。


子供の頃よく喧嘩した姉も今は優しく、歳を追うごとにだんだんと
面立ちや仕草が母に似て来た。


故郷からの梅の実が、甘酸っぱい香りと共に郷愁を運んできた。

三重塔巡り 重文編(3)  摠見(見)寺三重塔/安土城跡  再探訪

2013-06-10 | 旅行
 摠見寺(見寺:そうけんじ)は滋賀・近江八幡市の安土城跡にある。

 以前にも書いたが、特に五重塔や三重塔マニアというわけではなく、家人と
共にともに古刹・名刹巡りをやっているうちにいつしか多くの五重塔や三重塔、
や多宝塔を目にしてきていた。

ここ摠見寺もそういった訳で、安土城跡を訪ねて行ったら偶然そこにあったと
いう次第である。

しかしこの寺は、織田信長が安土城を築城する際に合わせて発心し創建した
という由緒ある寺である。織田信長は比叡山の焼き討ちで多数の僧侶たちを
殺戮したり、石山本願寺と長年対峙して仏教を目の敵にしてきており、城の
一廓に寺を創建したなぞということは俄かに信じがたいが、天下を平定した
あとの治世にはやはり宗教の利用が必要だったのだろう。
目の敵にしたのは仏教そのものではなく、僧兵を集めて武装化したり社領を
拡大したりして俗世化した仏門従事者だったのかもしれない。


いずれにしても、安土城は築城からわずか3年半後に勃発した本能寺の変に
より光秀軍の手勢に攻められて焼け落ちたものの、寺は延焼を逃れており
三重塔および仁王門は創建当時のものであるという。
因みに寺の本堂は江戸末期に焼損したため城郭の別の位置(大手道)に再建
されていて、現在は安土城跡全体が�絶見寺の所有地になっている由である。


●’05年 最初の探訪
安土城跡を最初に訪れたのは’05年のGWで信州に行った時である。
通常、安土城跡の見学は駐車場に車を置いて大手門口から登るのが常套だが
無料の青空駐車場を探して城山の麓の道を周回してみると、大手門口から
時計周りに50mくらい進んだところに登山口があり、安土城跡の案内板
も設置されており幸いなことに道路の端に車を留めるスペースもある。
そこでここから登城することにした。しかし、後ほど触れるが城跡探訪
という意味ではこれが失敗の元となった。

正面の大手門口に対して、ここは百々橋口(どどばし)という。
百々橋(ネットから引用:最近のもの)
 橋の突き当りが登り口、右手を回り込む大手門口へ行く

登山口(’05年のもの)
 石碑の前に説明板が設置されており、石段の前にはまだ標識がない。
 写真で判るように傾斜が45度もあろうかと思える急な石段が�絶見(見)寺三重塔まで続く。

説明板

百々橋が掛かる堀
 当時の城下町に当たる。有名な”楽市楽座”が開設されたところだろう。


15分ほど急な石段をのぼると立派な仁王門に続き、三重塔が現れる。

石段と仁王門

仁王門

�絶見(見)寺三重塔


三重塔より一段高いところが平坦になっており礎石が散在する。周りを見渡す
とこれ以上高いとこころはなくどうも頂上のように見えた。このためここが
安土城跡と勘違いしてしまった。
礎石群

案内標石

実は、ここが江戸末期に焼損した本堂伽藍の跡だったようである。
確かに案内標石を拡大してみると�絶見(見)寺跡と書いてあり、石柱にも”右 安土城跡”
と刻まれている。

家人を駐車場に一人残してきており、ゆっくり探索できなかったので勘違いに
気付かなかった。

木々の間から琵琶湖が広がって見える。勘違いのまま、これがかつて信長も見た
安土城からの眺望なのだろうかひとり感激して下山した。


しかし、その後どうも様子がおかしいことに気が付いた。城跡にしては石垣
が小さすぎるし規模も小さい。往復の所要時間も30分足らずである。
後で調べるとどうも本当の安土山山頂は別にあるようなのである。


●今年(5月末)の再探訪
 以来ずっと気にはなっていたのだがわざわざ立ち寄る気にはならなかった。
ところが今年、ひょんなきっかけで再び訪れることになった。その経緯は省
くが、兎も角、今回も前回と同じく百々橋口の方へ回ることにした。

 しかし前回と何やら若干様子が違う。石段のところに立て札が立ててあり、
注意書きのようなものが書いてある。一瞬、通行止めというような文字が目に
入った気もするが、石段に柵はなく前回も登っているので気にも止めずに
登り始めた。すると20mほど登ったところで左手に神社があり、その先が
通行止めになっていた。

前回はこの道をフリーで登っており、まさかこのような山道で入山料をとる
ようになっているとは思いもよらなかった。崩壊するかなどかで危険なため
柵がしてあるのかと思ったのである。引き返すのも面倒で取り敢えず先に進む。
※帰宅して調べてみたところ、安土城跡への入山は’06年6月から有料と
 なり大手門口に料金所が設けられているとのこと。前回行ったのが’05
 年のGWだからそれから1年後に有料化されたことになる。
 入山料500円。駐車料金500円。整備するのに金がかかったとは言え
 石畳だけの山道に合計1000円はないだろうと思う。
大手門口(奥の関所のようなところが料金所:ネットから引用)



安土山地図(Google Mapより)
 百々橋口からの登りは等高線が密になっており急峻であることがわかる。
 三重塔のところが一つの峰になっており、安土山は更に奥にある。
 木立があって前回は奥にあるもう一つの峰が判らなかった。


今回見た三重塔


ここを一旦下ると峰と峰の間の鞍部で大手門からの道と合流する。というより
大手門口から登るとここで天主、本丸方面と�絶見(見)寺三重塔方面へと分岐する。
なので大手門口から登っていたら間違うことはなかった。
さらに進んで天守等があった安土城跡へ向かう。

天主跡
 縦横20mほどの矩形のくぼ地に礎石が並ぶ。意外と狭く感じるが、実は
 このくぼ地は天主の基礎部分にあたり、周囲の背丈ほどの高さの土手一杯
 に天主が建てられていたらしい


天主跡からからの琵琶湖の眺め



築城当時は安土山の周囲は琵琶湖の内湖になっていて湖水が広がっていた
ようで、現在とはかなり眺めが違っていたらしい。

車に戻ると散歩に来ていた地元の人らしい年配の人が居て、話をすると
「たった3年しか存在しなかった城をわざわざ見にくるとは」と言っていた。
地元の人は日常化して歴史を感じないようだ。

ともかくも、これで積年の疑念が晴れてすっきりした。


高速道無料化の延期

2013-06-08 | 随想
 昨日国交省から公表された高速道無償化の実施時期延期のニュースには正直驚か
された。高速道の老朽化が進み、その対策工事の財源確保が必要になったとのこと。

 「え?」と思ったら無償化はもともと順調に行っても2051年からで、今回は
それを10~15年延期して、その間に見込まれる収入を担保に新たに借金をすると
いうのだ。

 もともとの実施が2051年?これから38年後だ。3年後ですら簡単に政策を
反故にしてしまう政治の世界で38年先の約束をすること自体にも驚くが、更に驚
くのは新たに借金するということだ。財源は老朽化対策に限定し他に流用させない
などともっともらしい制限を設けるといっているものの、ガソリン暫定税しかり、
暫定の制度だったものがいつしか あって当然のものになりそのうち固定化される
のは今までに限りなく目にしている。

 話はやや逸れるが、省庁やその外郭団体である独立行政法人についても同じこと
が言え、時代が変わって既に役目が終わったはずなのに名称や事業内容を巧みに
変えるなどをして狡猾に生き残っているものが数多くある。これらは一度出来たら
既得権などといって、よほどのことがない限り廃止されることはない。

 この新たな財源作りの話に戻ると、この手を使えば更に実施を延ばして新たな
財源が確保できるという魔法のような話だが性質が悪い。
40年も先の収入を当てにして借金するという民間では考えられない、というより
は民間では到底ありえない無茶苦茶なやり方である。

なぜ、かれらは要るものは要るという風に開き直り、財源確保に走るばかりで、
歳出を減らす努力を一向にしないのだろうか。

いつかきっと景気が回復して税収も増えるといった、いわば神風神話のような期待
をしているようなのだが、ひと昔前のように数カ国の先進国のみが資源をほぼ
独占して利益を享受するといったようなことは今後ありえず、「二十一世紀は日本
の時代」と賞賛された過去の夢は捨て去るべき時だと思う。


 さらに老朽化そのものについても今降って湧いてきた話ではなく、建設時に
判っていたこと。民間企業なら毎年設備投資の数%を保全費として計上し設備
更新等の老朽化対策を施しているが、かれらにはそんな考えは全くないようだ。


 それとなんと言っても気分が悪いのは、この延期の答申を国交省に行った
作業部会なるもの。作業部会長が寺島実郎なる御仁である。この御仁、TVの
日曜日のさる番組にコメンテーターとして出演しているので目にした人は
多いと思うが、コメントが冗長で色々なデータを並べ一見もっともらしいよう
に聞こえるもののよく聞くと全く自分の意見というものがなく中味が全くない。

ある時、NHK-FMのラジオ深夜便を聞いていたらこの御仁のトークであって
外交問題だったか、経済問題だったか、例の調子であれやこれや、あっちに流れ
たかと思ったらこっちへと具にも付かない話をしたあと親鸞聖人の言ったという
「他力本願」を全く逆の意味に使っていて思わず噴き出した。
「他力本願」を誤用する人は多く辞書にも誤用の方の意味も載ってはいるが、
親鸞について触れたあと引用すれば明らかに意味が違う。偉そうにコメントする
御仁ならこれくらいは知識は持っていて当然というもの。

このようにこの御仁のコメントには知識が豊富なのはわかるが、ほとんど全て
舌の先で滑っているだけにしか聞こえない。

こんな御仁が国交省の作業部会のメンバーでしかも作業部会長とは恐れ入る。

もっとも財源確保の方法に限れば、今回の答申は至極単純な結論である。猿に
でも出来るとは言わないが、別にいわゆる「有識者」でなくてもいい。
施策を立案するのに、第三者の意見だといわんばかりにこういった検討委員会や
評議会を立ち上げ答申させる。これも税金の大いなる無駄使い。



政治家(政治屋)が時折口にする大言壮語「国家百年の計」も軽い。


信州ドライブ 往復1,800km

2013-06-04 | 旅行
 毎年GWの恒例行事と化している信州へ今年もまた出かけた。

4月末に東北地方への桜巡りのドライブ旅行から帰ってまだ一月余りしか経って
いないが、愛知東海に住む長男夫婦が泊りがけで来るように誘ってくれたので
3日ほど厄介になり、そのついでに信州まで足を延ばしてきた。

長男夫婦には今年9月で2歳になる男の子がいる。ヨチヨチながら歩き始め、
まだ片言の単語しか話せないものの身体を使ってで表現してくるので本当に
可愛い。
この孫息子はまた肉親の贔屓眼を差し引いて第三者の眼でみても可愛い。

東北旅行の帰路にもこの孫息子に会うために立ち寄った。もともと我々の
旅行はおおまかな旅程は決めるものの、旅先の天候などの状況変化によって
予定を変更することが多い。臨機応変といえば聞こえがいいが、いいかえれば
行き当たりばったりの旅である。この時も弘前に行きたいと思っていたのを
桜の開花が遅れているので角館で引き返してきた。
そんな具合で、前日に息子夫婦の都合を確認しただけのいわゆるいきなりの
訪問だったので半日居ただけで午後には退去した。
今回はそれを思って長男夫婦がゆっくりするように誘ってくれたのだろう。

東北旅行の時もそうだが、こんないい加減な我々夫婦を長男の嫁は嫌な顔ひとつ
せず迎えてくれた。子育てについても叱ることをせずに褒めて躾をやっている。
子供のペースに合わせゆったりと育児を楽しんでいるようだ。この子はきっと
いい子に育つだろう。

長男一家のところにまだまだ居たかったのだが、長居すると嫌われる。これ
以上の長居は無用だ。
後ろ髪を引かれる思いで後にして信州に向かう。


今年の信州は5/23~25の3日間だったが、連日、雲がほとんどない快晴で
山を見るには絶好の天候が続いた。ただ欲を言えば信州はやはりGWの時期が
ベストのようだ。この時期、山の雪解けがほどよく進み、桜と桃、そしてコブシ
とまさに百家繚乱。遠くの雪山と里の春を一度に楽しむことができる。

これに対して5月の末というとさすがの信州も花は散って若葉の季節。山の残雪
も薄くなっている。


馬籠宿
毎回立ち寄ってはいるが、やっぱりここに来ると”いかにも信州に来た”
という気持ちになる。皇女和宮、篤姫も輿入れの時に通ったと言う。
島崎藤村記念館もある。

 馬籠入口

 辻にある水車

 馬籠宿石畳道


道の駅「日義木曽駒」
 中仙道の中間点にある道の駅。木曽駒ケ岳がくっきり見える。
 余談だが、一昨年ここでミニチュア木工で使う檜の板を買ってきた。

 遠方に木曽駒ケ岳を望む




松本城と北アルプス
この日は格別の快晴で、年に数日しかないそうである。
城の東側の堀端にある市役所の駐車場に車を停めさせてもらった。昨年
まで見かけなかった管理人が配置されていて、市役所に用事があるか否か
をチェックしているようだったが咎められなかった。(その節はお世話に
なりました)

 東側にある太鼓門
  数年前に補修・再建。門の中に登ることができる(有料)


 松本城と北アルプス
  中央の特徴ある三角錘形の峰が常念岳



北アルプス常念岳
常念岳は松本のシンボル。松本市から犀川沿いに車を走らせて、豊科インター
方面に向かって犀川に掛かる「田沢橋」を渡るところで車の前方に常念岳が
現れ圧倒される。


大王わさび農場
 わさび田
 日よけのスクリーンで覆われている


 水車小屋とゴムボート遊覧
 黒澤映画のロケで使われた水車小屋が残されていて、湧水の流れ
 と一体になっている。


 木々の間から眺める北アルプス
 GWにはここから桜の花越しに見えるが、桜が散ったあとなので
 若葉越しとなる。


 有明山
 この山も特徴のある形をしていて一度見たら忘れられない
 近隣の池田町立美術館に行ったことがあるが、そこから見える
 北アルプスと有明のパノラマもまた良かった。



 白馬
 大町方面から望む白馬連峰


 白馬駅前


 白馬駅前から望む白馬連峰


 白馬青鬼地区
 白馬駅の北方に10kmほど山合いを登ったところにある青鬼(あおに)
 地区。昔、白馬から戸隠へ抜ける街道筋だったようだ。ここから見える
 白馬がまたいい。
 写生の人たち


 正面のこんもりとした樹木はコブシ。GWごろに全体が白い花で包まれ
 白馬連峰、水田と会わせて一見の価値がある。  



 水面に映る白馬
 地区の田植えはほとんどが済んでいたが、最上段の棚田だけ代掻きのまま
 残されていた。風がなく水面が鏡のように白馬を映す。


 地区の民家


 100人ほどの学童の一団が写生に来ていた。多分、白馬北小の学童達の
 遠足か何かの学校行事なのだろう。北小学校からだと距離にして5km余り
 だが、青鬼口からの標高差135m。しかも学校から青鬼口まで7、80m
 下っているので行き帰りで200mほども昇り降りすることになる。
 元気な子供たちを見かけると元気がもらえていい。



 白馬大出公園
 茅葺屋根の民家と吊り橋に白馬連峰が映える。
 白馬の観光パンフレットに”日本の原風景”とある。



 穂高神社
 ここの駐車場で昼寝をした



 伊那谷 道の駅「いいじま」から望む駒ヶ根




 東北旅行で3,300km、信州へ1,800km。一月の間に合計5,000kmも走ったこと
 になりさすがに疲れた。しかし信州は何度行っても飽きない独特の雰囲気
 を持っている。