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「思ったことは言わなきゃね!」
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by zeniyu

アーロン《改變的起點》その4-3

2018-10-13 21:27:34 | 炎亞綸(アーロン)

だんだん集中力が欠けてきている私(;´Д`)。。毎日ってやっぱり。。早く終わらせよう~

さて、昨日の続きですが、大体半分くらいまで来ました。ここからはスピードupのため

会話形式はやめて、要点だけつまんで書くことにします~

アーロン曰く、子供の集中力が45分も持つかというところで

ずっと先生の話を聞いて、おまけに学校行くのに早起きしなきゃいけない

と言うことに耐え切れなくなってきたんでしょうかね、中二あたりから

一気に落ちこぼれていったようですね。スゲー。オチぶり以前は学年10位には

入っていたのが100位以下に落ちたって~(>_<)。それはお母様。。

発狂したでしょうねと司会。反抗心か?と聞かれたけど

ただ単に、授業に耐えられないから、「さぼる」これですね。何をしてたかというとバスケ。

夏の夏期講習とか補習とかなのか?アーロンは学校の外にいる友達と会うために

監視カメラをかいくぐって、。まるでそれはミッションインポッシブル

カメラがどの角度を見渡すかもうアーロンは分かっていて、死角に入ってーの。

もちろんカメラは探し出せないって訳。やりますな!!

それに司会者さんが思わず「知能犯ね!」とお褒めのお言葉~

んで、友達と「数十秒の間だったら、首を反対側に振ってるから録画されないよ」

とかそんなのも話したりしてたようですね。

そんなことしてるアーロンの話に司会さんが「当時ご両親とても心配したでしょ」と

アーロン更にすごいことしてた臭い。「家もおろそかにしてた」

当時3~400元位でしょうお小遣い。それを使い終わって家に帰るみたいな。

ちょっとした反抗活動?だったのかな。でもアーロンは両親に守られてる感じも

良かったと言っていますが、当時はお父様が出勤がてらアーロンを学校の門まで送って

行っていたそうで、帰りも迎えに来てくれたんでしょうか。それを三年も続けたそうで

結局のところ、アーロンの小さな反抗期は両者痛み分けの引き分けかな?

更に、小さい頃は病気がちで、喘息、更にアレルギーでよく急患で運ばれていたようですが

なので外ではあまり遊ばせるのが怖くて出来てなかったのか、アーロンは当時

小さくてどうして両親がそんなに自分の事を心配するのか理解出来てなかったようです。

それは小さい子供はそれこそ有り余るほど元気な訳で、、。でもアレルギーから来る

喘息だったから、外には危険がいっぱい。。でもある時期を過ぎてこの歳になって

両親に白髪がちらほら出てきたあたりになってようやっと、それが理解できるようになって

とても自分の事を心配してくれたことが、とても心に深く刺さった様子。

で、当時の心配は決して無駄な心配ではなかったと。良かったね~アーロン。気づきは大切よね!

そして、司会者から、その当時の反抗心は親とどうやって回復したのか質問

アーロン曰く、特にはっきりとこうやって修復しましたってのはないけど

行動で示したよと。余り口には出して言わないタイプ、そういうのは気持ち悪いと思っちゃう

んでしょうか。でも母の日は忘れずに何か気持ちを表現して、で、一度家を出た時期があったんだけど

その後家に戻って一緒に住むことにした。当時の心配してくれたその気持ちにあまりいいように

してなかったから、それに対して謝りたい気持ちからかな~。

という少年時代でした。お!!次は飛輪海時代の話ですね~。コアな話題だ~

続きはまた明日~。