読書の森

骨まで愛して 最終章


「そうですねえ」 ぽん女のお姉さんが合わせて頷く。
和やかな雰囲気の中、私も頷きながら全く別の事を考えてた。

「生きてる限りは どこまでも
探し求める こいねぐら」
歌の文句じゃないけど、ねぐらを探すのって本当にしんどいなと。

私が生まれた時から生家は没落し、両親は転々とした。
立派な家に生まれた両親と異なり、私は長いこと親戚の家に預けられてずっと家のない娘であった。
両親の許に戻ったとき、昔と何もかもが違い、父と母は喧嘩ばかりしていた。
私にとって、」こいねぐらとは、憧れ、安らげる自分の家の事だった。
そして老松町の下宿はそのねぐらに行く為の道すじの筈だった。

しかし、父親のたっての願いで私は強制的に連れ戻されてしまった。
「娘が一人で下宿なんて危険だ」というのである。
私はサークルのコンパなどで飲んで夜道を辿る家路の方が余程危険だと思った。
第一、一人ではないのだ、いっぱい仲間がいる。
大学へ10分で歩いて行ける、下宿のおばさんがしっかり目を光らせているその家の方が安全だと。


恐らく、愛する相手以上に、安住できる家庭、家族を当時の私は「探し続けて」たと思う。

題名の「骨まで愛して」を当初は、肉体的な意味での激しい愛を連想していた。
しかし、作詞家の真意はお互いにお墓の骨になるまで長く愛して欲しいと言うことだ。
今、その意味が理解できても遅すぎるけれど。

歌手城卓也は若くして世を去った。
記憶の中の高田老松町は今も昔の家並みを残し、青春の歌が流れている。


追記:
ちょっと恥ずかしいのですが、昔の手記めいたものを再度公開させていただきます。

読んでいただき心から感謝いたします。

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