1995年1月16日、俺は仁川駅近くにある相田のワンルームマンションに行った。
一人暮らしをしたいと言う彼の希望を入れてる親が購入したものだ。
狭かったが、新しくて綺麗な2Fの部屋だった。
その晩相田から彼の家の事情を聞いた。
彼は中国人のスパイの孫だと言う事も、国籍は日本の彼の両親は生粋の中国人だと言う事も。
「だから自分は中国人だ。ただし中国語も知らないし中国の歴史も知らない。
1945年日本が戦争に負けて、スパイなど必要無くなった時、祖父母はいち早く起こした貿易店の店主としておさまり日本国籍を取った。
その頃中国本土は危険だったからだ。
祖父母は蒋介石の命を受けて無理矢理スパイにされたけど、その蒋介石が排斥され今の台湾に行って、毛沢東の天下になり祖父母が帰国しても財産も昔の地位も意味が無かった。
つまり自分たち一家は純粋な中国人ではあるが、日本以外に住む場所が無い。
ところが昨今の国際社会は、中国人の血統を引くだけで思想的疑いを持つようになった。
便利で豊かな社会に変わったが、東洋独特の儒教の教えがもはや通用しない。
自分は確たる主義はもって無いが、その人物の本質を見ずに人種や見かけ、階級だけで判断する風潮が嫌いなんだ」
普段無口な相田だが、その晩珍しく雄弁だった。その時俺は深い安堵感を覚えた。この男が俺の親友になっていてくれる、幸せだと本気で思ったんだ。
そして、、翌朝5時過ぎ迄俺は深い眠りに落ちていた。ものすごい揺れが始まったのはその後だった。
俺は咄嗟に布団を被って縮こまった。
そして遅がけだが側に眠ってる筈の相田がいない事に気づいたのだ。
相田はその時早朝散歩をしていた。運の悪い事にあの大震災の時地滑りが起きたところだ。地面に呑み込まれてしまったんだよ。
その後も強い余震が止まらず、地獄のような日々が続いた。
そして、当時長田に居た俺の両親も、灘区の旧い木造洋館に住んでた相田の両親も、地震被害によって亡くなってしまった。
何者とも判別出来ない相田の死骸が見つかった時、麻痺し切った心の俺は、誰かに指示されたように言ってしまった。
「僕は相田浩樹です、亡くなったのは親友の木村真斗です」
偶然相田と俺は同じ血液型で、背格好迄似ている。知人で無きゃ見分けがつかない。
勿論念の為にDNA検査をするような余裕も無い。双方とも親戚縁者がいない。
そこから俺の別の人生が始まった。
木村真斗は死んだ事になるので奨学金を返す義務はないし、相田の家の財産も保険金も全て自分のものになった。
そして非常に目立たない学生として大学卒業、幸いS食品の東京本社で就職が決まり、二度と故郷へ帰れない覚悟で上京した。
それからは君が知ってる通りだ。
この事が知れてシンガポールに飛ばされた訳じゃ全然無い。
要は就職の時提出した戸籍抄本から相田浩樹のルーツが判明したんだよ。
老舗の食品会社としてはいわくつきの相田浩樹を置いとくと面倒な事になると憂慮したんじゃないか?
以上が木村真斗の恐るべき打ち明け話だった。
真緒にしては珍しく一切口を効かなかった。
話を聞いてこれも珍しくまともに疑問を提示した。
「でもね、確かに何か違うって意識してたけど、昔の日本人ってそれほど中国人に敵対してなかったと思う。だって中国製品をどんどん輸入してるじゃない。
なのに今更、中国の王族の子孫だからって、警戒する訳ですか?」
「さっき言っただろう。俺の事にしといたけど相田って奴は神戸の下町で中国人のちょっと危険な思想にかぶれた奴とも仲良くしてたのだ。
そこが問題だったらしい」
「、、、」
「だから、そう言う連中の引きであの街にいられる事になった。たいそうに扱ってくれるから危険は無いと。迷惑至極だが」
真緒はじっと考え込んで、その後急に笑顔になった。
「いいわ!あなた、ともあれ当分暮らせるお金は持ってるのよね。行方不明になりなさいよ。この街で。今晩、別のホテルに泊まろう」
殆どピクニック気分で言えた。
「???」
その後、朝生真緒と相田浩樹(木村真斗)は神戸に新婚夫婦として住んでいる。
ただし、朝生浩樹と真緒としてだ。
S食品から社命で退職した形になってる浩樹、未だ切れてないパスポートを持つ浩樹が航空券を取るのはかなり楽に出来たし、ツアー中都合が出来た真緒が自費で帰国しても誰からも文句はつかない。別別に航空券を取って別便で戻って、、そこから真緒のマンションに向かう。
この大胆な真緒の計画は、奇跡的に成功したしたのである。
心身の疲労を理由として真緒が出した退職願いは簡単に受理された。
「ウッソみたい」と人の妻になっても、冒険心の治らぬ真緒は思う。
浩樹と二人で営む小さな喫茶店で真緒は和菓子風のケーキを売ろうと思っている。
あくまでも計画である。
小さな店の商売でも、煩雑な雑事があり、大会社の社員と異なって浮き沈みが多い。それに追われてじゃないが、真緒の両親の死の謎は未だ解けてない。
それでも未だ先がある、と彼女は思う。生きていく上でなあんにも無いより色々あった方が面白い、誰かに張り倒されそうな事を考えている。
その誰かは、寡黙なマスターの夫なんだけど。
この人、一体どうなってんだろ?と彼女が思うほど今はオッサン然としていた、、。
髪を伸ばし、髭を生やした彼から昔の面影を探す人はもう居ない。
後書き
尻つぼみで残念ですが、今回はこれで終わりです。
『世は定めなき』と言うテーマでこれからも書いていけたら幸いです。
ここまで我慢して読んでくださった(?)方たちに深く深く感謝いたします。
最後に、当然この話はフィクションですございます。想像(妄想)を逞しくし過ぎたようです。昔読んだ東野圭吾氏の『幻夜』や松本清張の『砂の器』になりすましのヒントを得ました。
ただし、現実にこんな事したら犯罪です。実際震災に遭われた方をモデルにしたようで(知人が仁川在住)すが、事実でないです。地震被害者の方々申し訳ないです。深くお詫びいたします。