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読書の森

平和の国であなたを待つ その1

今日は節分。
一年の節目、春の始まりであります(実感ないけど)。
新たな思いを込めて、創作blogをRenewalしてみました。




『平和の国であなたを待つ』

昭和28年暮れ、敏江は東京蒲田で町工場を経営する伯母夫婦の家に預けられた。

友人と興した父の会社が倒産してニッチもサッチもいかなくなり、両親の諍いが絶えぬ家庭の中で、敏江は原因不明の熱を出して床に就いた。

離れて暮らしている祖母の千夜が、「東京の病院で治療を受けよう」と半ば強引に敏江を連れて上京したのだった。

もともと父方の家は複雑な事情を抱えていて、祖母と祖父の姓が違う。
祖父の事業が失敗して落魄した後、借金逃れに千夜は元の籍に戻して自分の財産を守った。
生まれた子どもは全部籍が違っている形である。
そんな千夜でもたった一人の内孫は可愛かった。計算の出来ない父親から子どもを守る一大決心をしたのである。


長閑な地方都市から来た敏江は、都会の空気が鋭く冷たく感じた。
周りの人々の言葉遣いはひどく速くて理解しにくい。頼りの祖母も居候の形で伯母も工員の世話で忙しい。

上京した当初、敏江は異邦人になった心地で過ごした。
それでも、大好きだった両親が取っ組み合いの喧嘩をする恐ろしい場面を見ないで済む事が、救いだった。

母からは案じる手紙が頻繁に届いた。
「としえちゃん、お元気ですか。
お父さんもお母さんもあなたがいなくて、とてもさびしいです。
あなたに会える日まで、いっしょうけんめいがんばりますからね。
おばあちゃんの言いつけをまもって、じょうぶになってね。お母さんはいつもいのってますよ。」

手紙の中の母は、昔通りの優しい暖かい母だった。敏江の好きな甘い卵焼きをちゃぶ台に載せる時のふんわり綺麗な笑顔が浮かんだ。
「お父さんもお母さんも変な病気にかかってしまったのだわ。きっと今に治って私を迎えにきてくれる」

きっと再び、喧嘩する修羅のない穏やかな日々が戻ってくる。
その希望が彼女の小さな身体と心を支えてくれた。
しかし、彼女はその封筒の裏の住所が絶えず変わっている事に気付かなかった。自分の書いた返事の手紙は祖母が出していてくれたからである。
お坊ちゃん育ちの父は、人から使われる仕事が不向きだった。その結果プライドを護れる職を求めて転々する結果になった。

当時の経済成長社会を反映して、都会の町工場は忙しく、景気はうなぎ上りになった。
働き手の住み込みの工員をの食事も次第にリッチになっていった。
彼らと共に食事をする内に、敏江は丈夫そうに肥えてきた。
滅多に寝付く事もなく、医者からは「どこも異常がない」と診断された。

借りてきた猫の子のようだった敏江も学校に通い、そろそろと外の世界に触れる様になった。
その頃、近所をちょっと行けば子どもに当たる程、同じ年頃の子どもが多かった。
大勢の中で紛れてしまえばそれまでだった。
子ども達にとって、町工場の子が一人加わっただけのことで排斥する理由もない。
一緒に石蹴りや鬼ごっこしている内に、敏江の言葉付きも伝法に変化した。

いつしか、彼女は、澄んだ田舎とは異なる都会の空気が全然気にならなくなったのである。





読んでいただきありがとうございました。

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