2023年11月2日特集記事
“鬼門”の税 決定の舞台裏
税は、扱い次第で政権運営を左右しかねない「鬼門」とも言われる。
総理大臣の岸田文雄は、まさにその税に手を付けようとしている。
11月2日、臨時閣議で、所得税と住民税あわせて4万円の減税を行うことなどを盛り込んだ経済対策が決定された。
減税は政権への追い風となるのか、はたまた逆風となるのか。
決定までの舞台裏を追った。
(山田康博、佐々木森里)
減税への号砲
さかのぼること9月26日。
岸田は閣議で物価高を受けた新たな経済対策の取りまとめを指示した。
岸田総理大臣
「成長の成果である税収増を国民に適切に還元すべきだ」
そして、各種の給付措置に加え、税や社会保障負担の軽減など、あらゆる手法を動員して物価高に苦しむ国民の負担軽減を図る方針を示した。
この発言が、減税をめぐる議論の事実上の“号砲”となった。
自民党幹部が発信
直ちに反応したのは自民党の幹部たちだった。
幹事長の茂木敏充は10月3日の記者会見で岸田にひょうそくをあわせた。
自民党 茂木幹事長
「ダイレクトに減税措置などによって国民や企業に還元することもあり得る」
参議院幹事長の世耕弘成は、同じ日の会見で、さらに踏み込んだ。
自民党 世耕参議院幹事長
「税収の基本は法人税と所得税なので、その減税も当然、検討対象になる」
2人の発言は、岸田が言及した「国民への還元」が、企業にとどまらず、個人も対象になり得るという認識を示したものだった。
公明党も“転換”
減税への機運を高める一端を担ったのが公明党だ。
公明党内では、当初、減税に対して否定的な声が大勢だった。
「自民党は本当に所得税の減税ができると思って言っているのか。経済対策は給付で低所得者に再分配して公平性を保つことが基本になるだろう」(公明党幹部)
副代表の北側一雄は10月5日の記者会見で、減税は法改正が必要で効果が出るまでに時間がかかると指摘し、即効性のある「給付」に重点を置くべきという考えを示した。
これまで経済対策で幾度となく低所得者などへの給付を主張し、実現してきた公明党。
北側の発言は、党内の声を代弁したものと受け止められた。
しかし、その公明党内で急速に減税推進の空気が広がり始める。
関係者がその内幕を明かした。
「自民党が減税を主張する中、うちだけ後ろ向きなのはまずいという空気になっている。創価学会側からも減税を打ち出すべきだと言われている」(公明党関係者)
北側の会見の翌日。それは如実に表れた。
公明党 石井幹事長
「給付が有力だが、若干時間がかかるとしても減税も有力な選択肢だ。国民がより恩恵を実感できるのは所得税ではないか」
幹事長の石井啓一は、あくまで給付に軸を置きながらも減税も排除しない姿勢を示した。
党として軌道修正を図った格好だ。
さらに、翌週には代表の山口那津男が党の会合で所得税の減税を検討すべきだと表明。
低所得者への給付に加え、党として所得税の減税を求めていく流れが固まった。
一転、提言には盛り込まれず
10月17日。
自民・公明両党は、それぞれ党でまとめた経済対策を岸田に提言した。
だが、なぜか、両党内に求める意見があった所得税の減税は盛り込まれなかった。
自民党政務調査会長の萩生田光一は、その理由を記者団から問われ、こう説明した。
自民党 萩生田政調会長
「仮に所得税に手を付けるとしても年末や年度末に効果は出ない。いま必要な緊急の対策を優先しようというのが党のマインドだ」
また、公明党政務調査会長の高木陽介は「多くの国民に還元すべきという観点から党として求めていきたい」と述べ、年末にかけて行われる与党の税制改正論議で主張していく考えを示した。
ある与党幹部は、提言に盛り込まなかった理由を、こう解説した。
「官邸側から所得税の減税を提言に明記しないでくれと言われた」(与党幹部)
永田町・霞が関では「やはり政府は減税をやらないのか」との臆測も流れた。
明かされた“本音”
しかし、翌18日。ついに岸田が“本音”を明かした。
岸田は自民党本部で党執行部のメンバーと向き合った。
頻繁に会談している副総裁の麻生太郎、幹事長の茂木に加え、この日は総務会長の森山裕、政調会長の萩生田、それに選挙対策委員長の小渕優子も顔をそろえた。
6人での会談は初めてのことだった。
会談の話題は、臨時国会の対応や直近に迫っていた衆参の補欠選挙の情勢など多岐にわたった。そして、経済対策に話題が及んだ際、岸田はこう口にしたという。
「所得税の減税を経済対策に盛り込みたい」
思わず「えっ」と声に出して驚いた出席者もいたという。
「提言に入っていないのに」という思いもあったのかもしれない。
出席した幹部からは、減税は経済対策としては即効性が低いといった指摘や、防衛費の財源確保に向けた増税との整合性を問う意見も出されたという。
それでも、岸田の決意は固かった。
会談の出席者の1人は、腹に落ちていないような口調で、こう絞り出した。
「総理主導でやりたいということなんだろう。岸田総理はみずから発信して、自分自身に付けられた増税のイメージを払拭したいのかもしれない」(自民党幹部)
2日後の10月20日。
岸田は、自民・公明両党の政務調査会長と税制調査会長を次々と総理大臣官邸に呼び、所得税の減税を党内で具体的に検討するよう指示した。
そして、会談後に記者団の取材に応じ、減税を検討する税目として、公の場では初めて「所得税」に言及した。
異例の減税額提示
10月26日。
岸田は、閣僚や与党幹部を総理大臣官邸に集めて「政府与党政策懇談会」を開いた。
そこで、減税と給付を組み合わせた経済対策の政府案を明らかにした。
◇1人あたり所得税3万円と住民税1万円のあわせて4万円を差し引く定額減税を行う
◇住民税の非課税世帯に7万円を給付する
◇住民税は納めているものの所得税を納めていない人にも同じ程度の給付を行う
◇低所得の子育て世帯には追加の支援を講じる
これを受けて、自民・公明両党は、それぞれ税制調査会=税調で具体的な検討を行うことになった。
自民党の税調は、時の総理大臣でも口出しができない「聖域」とも言われる特別な存在で、国家の根幹を支える税制の決定に絶大な権限を持っているとされる。
「インナー」と呼ばれる幹部には閣僚経験者らが名を連ねる。
その税調に対し、総理が減税の税目や額などを具体的に示したのだ。
自民党税調会長の宮沢洋一は「インナー」の会合のあと記者団にこう述べた。
自民党 宮沢税調会長
「大枠が決まっているので、それほど制度設計に苦労する部分はないかもしれない」
一方で、「インナー」の1人はこう語った。
「総理がやると言うならやらざるをえないが、政府が税調に対して案を示すなんて異例だ。『税は党でやりますから』と総理にきちんと伝えなければならない」(党税調幹部)
党税調の中からは、「年収が数千万円の人は減税の対象から外すべきだ」といった声もある。
今後、税調で議論が本格化することになる。
疑問や不満も
減税実現に向けて一気呵成に流れを作った岸田。
自民党内では、岸田は、みずからが率いる派閥の幹部でいとこでもある税調会長の宮沢と水面下で入念に調整しながら、事を運んだと見る向きもある。
しかし、「国民への還元」表明から始まり、減税の具体案を示すまで1か月。
岸田の意向が十分に伝わらず、党内からは疑問も出ている。
参議院本会議で代表質問に立った世耕は、岸田を支持すると述べた上で、こう苦言を呈した。
自民党 世耕参議院幹事長
「岸田総理の『決断』と『言葉』は、いくばくかの弱さを感じざるを得ない。その弱さが顕著に露呈したのが今回の減税にまつわる一連の動きだ。『還元』という言葉が分かりにくく、物価高に対応して総理が何をやろうとしているのか全く伝わらなかった」
そして10月31日。
経済対策の決定に先立って非公開で開かれた政務調査会の会議では、不満の声が噴出したという。
「とにかく対策の内容が分かりにくい。政府はもっと丁寧に説明しなければならない」(自民党議員)
「減税は評判も悪いし効果も期待できない。今からでもやめるべきではないか」(別の自民党議員)
出席者によると、減税方針に強く賛同するような意見は出なかったという。
最後にマイクを握った萩生田は、議論をこう締めくくった。
自民党 萩生田政調会長
「みんな思うところがあって今まではいろいろ言ってきたとしても、政府を支える立場として、ここからはワンボイスでやっていこう」
野党も批判
減税については、野党側も国会で批判を強めている。
立憲民主党 長妻昭政務調査会長
「『増税メガネ』ということを気にするあまり減税に走ったと言われている。まさかそのようなことはないと思うが、減税と給付の2つの制度が混在し、手間もかかるし不公平もある。なぜ給付だけにしないのか」
野党各党は、それぞれ、現金給付や、社会保険料の軽減、消費税や所得税の減税などを訴え、政府に実現を迫るとともに、防衛費増額の財源を賄うための増税との整合性について追及している。
乾坤一擲の一手は…
さらに臨時国会の序盤では、文部科学政務官と法務副大臣の2人が相次いで辞任。
政権への逆風は強まり、党内には危機感が広がっている。
「減税を打ち出しても支持率が上がらない中、政権はどんどん体力を奪われている。衆議院の解散は当面できないだろう」(党閣僚経験者)
「ダメージ続きで、政権はもう痛みすら感じなくなっているのではないか」(別の党閣僚経験者)
広がる厳しい声。しかし、岸田は揺らぐ様子はない。
周囲にこう繰り返し説いているという。
「長年のデフレから脱却し、物価高に賃上げが追いつき、経済の好循環を軌道に乗せられるか、今が瀬戸際なんだ。来年春にもう一段の賃上げが進んだあとの6月に減税し、国民の使えるお金を増やし、消費に回してもらう。これが一番なんだ」(岸田総理大臣)
重ねてこうも強調したという。
「持続的な賃上げも実現して、経済の好循環をつくり、国家財政にとって絶対にプラスにさせる。そのためには今、給付も減税も、できるあらゆることをやる」(岸田総理大臣)
政府は今後、まずは臨時国会で経済対策の裏付けとなる補正予算案を提出し、低所得者への給付を急ぐことになる。
そして、来年の通常国会では、減税のための法改正が議論される見通しだ。
岸田が打ち出した減税という乾坤一擲の一手。
国民に納得のいく説明を行うことができるのかどうか。
その評価が、衆議院の解散戦略や、来年秋の自民党総裁選挙への岸田の対応に大きく影響することは間違いない。(※文中敬称略)