日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2018-03-17 17:42:58 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(452)

 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その92)

  最終篇に入ります。

 第二十二編 神の国永遠の浄福

24.この世は裁きの下にはあるが、しかも創造主は祝福をもってこれを満たしておられる。

 飢えを満たすべく何という豊かな食物。何とさまざまな種類のあることだろうか。それは自然の豊かさによって与えら前回はここまで) れたもので、料理人の腕と努力の作り出したものではない。どのような場合にも、健康を保護し回復するための医術。昼と夜の交代は何と楽しいことであろうか。そよ風の涼しさ、植物や獣からは何と多くの衣料が取れることか。だれがこれらの恵みの賜物をすべて数え上げることができようか。

いまはわたしはただ思いつきで数え上げただけであるが、もしもこれらの恵みをすべてことごとく論じつくそうとするならば、とてもその煩わしさに堪えることはできないであろう。そしてこれらすべては、祝福の中にある者たちへの報いではなくて、さばきの下にある人類への慰めである。これらにさえもかくも多数でかくも偉大であるとすれば、〔まことの〕報いはいかばかりであろうか。神が死へと定められた者に対してさえも、このようなものすべてを与えられたとすれば、生命へと定められた者に対しては、何をお与えになることであろう。そのためにはこの悲惨さに満ちた世において、独り子を苦しませ、死なせてくださった神が、あの祝福された生においてはどのような恵みをお与えになることであろうか。あの御国に定められた者に(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2018-03-17 17:40:55 | 大分中央ウィークリー

創世記25章10節である。「その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムの妻サラと共に葬った。」という。ここに「アブラハムの妻サラと共に葬った。」というから、サラが埋葬したときは、23章1節に「サラの生涯は百二十七年であった。」といわれている。その時アブラハムは、百三十七歳であったというから、その墓では、アブラハム時代の一年の数え方で三十八年ぶりの埋葬になる。

 

問題は、24章1節に「主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた」とあるから、その墓があった場所は、23章19節に、カナン地方のヘブロンであるから、これは現在の地理学的な感覚でよい。イシュマエルは遠くに離れてシナイ半島のアカバ湾近くの「パランの荒れ野に住んでいた」というから、少なくとも400キロも離れている。その様な遠方から埋葬のために来ていたということは大いなる祝福であった。

 

11節である。「アブラハムが死んだ後、神はイサクを祝福された。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。」と。この「神はイサクを」の「神」を「エロヒーム」といい、6節までとは異なる。資料説からいえば、この7~11節前半まではP(祭司)典であるから、「神」を「エロヒーム」の言葉で表す。従って、編集資料の違いであって祝福の内容に区別がない。アブラハムへの祝福と神の契約の全面的継承である。

 

アブラハムへの三重の契約は、創世記17章1~14節である。4節、「多くの国民の父となる」こと、7節「このカナンのすべての土地を、~永久の所有地として与える」こと、7節「わたしは~あなたとあなたの子孫の神となる」ことの、これら三つです。彼、イサクはこれらの神の契約をそのまま継承せねばならない。責任重大であった。(次回に続く)


牧 会 通 信

2018-03-17 17:35:30 | 大分中央ウィークリー

ダンテ(1265-1321年)の「神曲 地獄」編 19歌(その10)

◯だがわたしが足をとろ火で焼かれてこのやうに逆立ちしてた時間の方があいつが足を赤く焼かれて打込まれてる時間よりも長いのだ

 なぜならあいつを追つて掟を無視した、もつとひどい醜行のために、牧人が一人西の方からやつてきて、あいつとわたしを下に隠さねばならぬからだ。

 そいつはマッカベイ書に見られるヤソンの生れ変りで、ヤソンに対してその王が脆(もろ)かつたやうに、フランスを統治するものはその牧人に対して脆いだらう。前回はここまで)

◯わたしはこのやうにその霊に答へたが、この場合向こう見ずすぎたかどうかそれは分らぬ、「どうかわたしに言つてくれ、われらの主は、

 あの鍵を聖ピエトロの権限に委ねる前に、それと引替へにどれほどの財宝を求められたか?確かに何も要求されなかつた、われに従へ、と言はれた外は。

またピエトロと他の使徒たちも、あの邪悪な魂が失つた役割を継ぐやうに選び出された、マッティアから金も銀も取上げなかつた。(つづく)

◯本日3月18日の主日礼拝日の日本聖書協会の「聖書愛読暦」の今週の主題は「試練の道」という。聖書はⅠペトロ2・8~25。24節に「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」と。深くて深い真理、心に留めてください。

写真は3月12日の東京・大森教会での日本改革教会協議会で開会礼拝説教をご担当の、教団、駒込教会牧師村田重先生(68歳)です。