砲台跡からも奄美大島側、皆津崎を望むことができました。
(皆津崎)
雲間から太陽がのぞき、海面の一部が、輝いていました。
(雲間から太陽)
立派な建物が立っていました。何のかを聞き忘れました。
(立派な建物)
弾薬格納庫です。「小銃、機銃の弾薬を格納するため、大正9年ころに旧陸軍が構築した建物だったが、太陽戦争時は主に旧海軍が兵器庫として活用していた」と書かれていました。
(弾薬格納庫)
金子手崎防備衛所です。「昭和16年に構築された施設で戦時中大島海峡に潜水艦の進入を防ぐための防潜網並びに、機雷等を布設し、潜水艦の接近を監視し、更に進入した場合、機雷を爆破させる施設で、これ等はすべてこの防備衛所でコントロールされていた。」と書かれていました。
(金子手崎防備衛所)
(写真撮影:2020.12)
(皆津崎)
雲間から太陽がのぞき、海面の一部が、輝いていました。
(雲間から太陽)
立派な建物が立っていました。何のかを聞き忘れました。
(立派な建物)
弾薬格納庫です。「小銃、機銃の弾薬を格納するため、大正9年ころに旧陸軍が構築した建物だったが、太陽戦争時は主に旧海軍が兵器庫として活用していた」と書かれていました。
(弾薬格納庫)
金子手崎防備衛所です。「昭和16年に構築された施設で戦時中大島海峡に潜水艦の進入を防ぐための防潜網並びに、機雷等を布設し、潜水艦の接近を監視し、更に進入した場合、機雷を爆破させる施設で、これ等はすべてこの防備衛所でコントロールされていた。」と書かれていました。
(金子手崎防備衛所)
(写真撮影:2020.12)