「後鳥羽天皇御火葬塚」です。承久の乱により隠岐へ配流になった後鳥羽天皇は、在島19年後の延応元年(1240年)2月、60歳で崩御され、遺骨の大部分は、ここ、御火葬塚に納められているようです。
(「後鳥羽天皇御火葬塚」)
「後鳥羽上皇行在所跡」へ向かっていると石碑がありました。何でしょうか。
(石碑)
「後鳥羽上皇行在所跡」に着きました。
(「後鳥羽上皇行在所跡」に)
左側に「行在所跡」の説明板がありました。
(「行在所跡」の説明板)
つぎの隠岐神社へ向かっていると松の大木がありました。
(松の大木)
途中に、「後鳥羽院御製」が掲げられていました。何でしょうか。
(「後鳥羽院御製」)
(写真撮影:2023.12)
(「後鳥羽天皇御火葬塚」)
「後鳥羽上皇行在所跡」へ向かっていると石碑がありました。何でしょうか。
(石碑)
「後鳥羽上皇行在所跡」に着きました。
(「後鳥羽上皇行在所跡」に)
左側に「行在所跡」の説明板がありました。
(「行在所跡」の説明板)
つぎの隠岐神社へ向かっていると松の大木がありました。
(松の大木)
途中に、「後鳥羽院御製」が掲げられていました。何でしょうか。
(「後鳥羽院御製」)
(写真撮影:2023.12)
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