標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

“フキ味噌”と“フキのカップケーキ”で春を味わう

2019-03-14 20:51:42 | 日記
妻が、昨日頂いたフキノトウで“フキ味噌”と“フキのカップケーキ”を作った。
妻も私もフキの香りが強いものを食べると、喉がイガイガしてせき込むこともある。
しかし、昨日はハプニングで帰宅が遅くなった。お蔭で、あく抜きのため水に浸しておいた時間が大幅に伸びたためにあく抜きが十分できていた。そのためか、ほんのりとしたフキの香りで食感もソフトだった。


煎りたてのフキ味噌


やわからい薄い紙カップに盛った焼く前の状態



焼きたてのフキ味噌カップケーキ


わが家の敷地や隣地には、毎年フキノトウが大量に生える。そろそろ食べごろかなと思う頃、たいがい誰かが採取する。しかし、今年は、もう採取されてしまったのか、取り過ぎてしまったのか、最初からあまり見当たらない。
わずかに隣地の擁壁の下に、上からこぼれ出たものだろうか、枯草の中から数個出ていた。


黄緑のフキノトウは春の訪れを告げるにふさわしい明るく柔らかい色だった。

最近の数日間、外作業やら外出が続いた。今日は、寒気に覆われ、風も強かった。フキ味噌やカップケーキを味わいながら、一日中室内でのんびりしていた。

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フキノトウを頂いたが、急用のため調理は明日にする予定(短縮版です)

2019-03-13 21:36:50 | 日記
夕方、買い物で出かけていたところ、息子から孫の世話の依頼が入った。
妻が朝の散歩で、知り合いから取れたてのフキノトウを頂いた。早速調理しようとあく抜きをしておいた。しかし、買い物の途中で息子から孫の世話の依頼が入り、今日の調理は中止。帰宅が遅くなった。今日のブログはここまで、悪しからず。
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今日は外出のためブログは休みです。

2019-03-12 21:40:54 | 日記
朝から外出、ブログは休みです。
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「いちご白書をもう一度」は、好きな曲だが、私にとって永遠のメモリー。映画は見たことがない。

2019-03-11 20:02:55 | 日記
昨日、ブログを書いている時、妻が見ていたテレビ番組から、バンバンが歌う「いちご白書をもう一度」が流れていた。他の曲は全く耳に入らなかったのに、この曲だけは確実に残っていた。

映画の「いちご白書」は、1970年に作成されコロンビア大学の学園紛争を描いたものだということは、当時から知っていた。しかし、映画は好きだが、観ようとは思わなかった。未だに見ていない。

1969年の東大安田講堂事件は、日本における学園紛争の頂点だった。私はその年、大学受験を志していた。しかし、この安田講堂事件の影響でいくつかの国立大学の入試が中止された。東大ではなかったが、第1志望に国立大学を目指していた。
親には申し訳なかったが、この年の受験は止めにして浪人することにした。

次の年、国立大学を受験し、かつ私立大学も受験した。国立大学の入試日の前に、合格すると期待していなかった私立大学の合格発表があった。これで安心して国立大学の受験に臨めると思っていた。ところが、受験当日大雪となった。受験会場まで、3時間はかかる。私立大学の学費納入期限も迫っていた。

その日、親に相談し、国立大学の受験を止め、私立大学へ学費納入のため向かった。
再び親には、心労を課せてしまった。

そして、1970年4月に私立大学の門をくぐった。しかし、門というより機動隊員の盾の隙間から、入学許可通知を見せてくぐった。未だに大学の門の記憶が曖昧だ。機動隊員が持つ盾の印象が強烈すぎる。

「いちご白書をもう一度」は1975年にヒットした曲だ。曲の好悪ではなくメロディーや歌詞に含まれるせつなさや、当時の退廃的なイメージを懐かしむためだろうか?
そして、昨日は思った。もうそろそろ「いちご白書」の映画を見てもいい時期かなと。
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「袋田の滝」は私の40年前の生活を思い出させてくれるキーワード

2019-03-10 21:08:44 | 日記
茨城県大子町にある「袋田の滝」は、よくテレビの話題に上る。今の時期は、氷瀑といい滝が凍結する風景が紹介される。

今日のNHKテレビ「小さな旅”いてつく冬 待ちわびて~茨城県 大子町~”」
」の中でも袋田の滝でのレポートがあった。

袋田の滝にある茶店を営む名物おかみを旅人が訪れた。77歳で店を守っている。3か月前に共に営んできたご主人を亡くされた。一時は店をやる気力も失せた。しかし、ご主人と酒を飲み合わすようになったなじみ客らが訪れる。ご主人の話をするなど懐かしむ。もともと店は母親が担っていた。小さいころから、この店を継ごうと思っていたという。つまり、亡くなったご主人は婿養子だった。
母から受け継いだおでんのタレを煮込む。77歳とは思えない元気な掛け声と笑顔でタレを添えたコンニャクおでんをお客さんに振る舞う。

ところで、私も袋田の滝には何度か訪れたことがある。40年も前のことになる。7年間、栃木県で勤めていた時だった。独身時代、結婚し子供連れや両親も一緒だったときもあった。この7年間は、私の人生の一コマだけれど、独身、結婚、子ども、親を連れての旅行など中身の濃い時代だった。

トンネルを抜けて観瀑台から観た袋田の滝の姿は忘れなれない。白い滝筋が幾重にも左右に広がる光景だ。
袋田の滝は、日本三名瀑に数えられ、滝の流れが大岩壁を四段に落下することから、別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれているという。また一説には、その昔、西行法師がこの地を訪れた際、「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と絶賛したことからとも伝えられているとのこと。

私は冬に訪れたことはないが、新緑や紅葉の時期に行ったことがある。滝を中心に四季色とりどりに変化する自然とそれに合わせて滝も変化する。
西行法師の語りのとおり、年に四度は訪れたい滝だ。

袋田の滝と聞くと、私の思い出が動く。でも、滝はいつも一枚のスチール写真のみで、他は栃木時代の様々な思い出に馳せる。

今日の小さな旅は、袋田の滝だけでなく、「凍(し)みこんにゃく」を受け継ぐ男性や、こうぞの皮をはぎ、和紙の原料作りに励む地域の人々も訪れていた。しかし、私の中には、“袋田の滝”の映像とおかみのエピソードの印象が強かった。
“袋田の滝”は私にとって、7年間の栃木時代の思い出へと誘うキーワードかもしれない。
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