標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

そば打ち、そして、内窓のdiy。これが仕事納め

2017-12-31 19:14:25 | 日記
6月にこのブログをはじめて、7が月が経過した。日々の生活で触れる、出会う自然を紹介しようと思って、スタートした。初夏から秋にかけて、自然は豊富だった。ブログのお蔭で、20年生活していても知らないことばかりで、新たに発見したものが多かった。

また、周辺の生活だけでなく、テレビ、ラジオ等の世界もそれまでとは違って、映像が眼に、音が耳に飛び込んできた。それを反芻するとにより、世の中にも関心が持てた。

来年は、どの様な年になることやら。秋からボランティア活動にも顔をだした。これもブログをはじめたからだろう。これらの活動に忙しくなるかもしれない。ブログと両立できるか、やや不安もあるが、できるだけ続けたいと思う。

さて、今日はそば打ちと寝室の内装窓の手作りを行った。特にそば打ち道具を持っているわけでないので、家にある道具で打ったもの。つなぎに小麦粉と卵を使い、包丁は菜っ切り包丁だ。なので、伸ばしたそばをたたんで切ったが、折り目のところで切れてしまった。水を入れすぎないように留意したので、硬めにできたのかもしれない。昼に孫たちがやって来た。皆でそばを食べた。孫が「今日はそば屋さんだね」と言って食べてくれた。


パン打ち用の板。材料は、そば粉、小麦粉、打ち粉そして水。


つなぎにたまごを使った。


切り終わったそば。だいぶ太め。


ゆであがったそば。色が黒っぽく、いわゆる田舎風そば。

もう一つの仕事納めは、寝室の上げ下げ窓に内窓を作った。冬の間は窓を開けることもないので、はめ殺し窓とした。木枠をつくり、ガラスの代わりにホームセンターで売っていた、柄入りのプチプチ(「気泡入り緩衝材」という)を貼ったもの。だいぶ前に材料を買っていたのだが、作成するチャンスを逸していた。年を越してはならぬと、作ったもの。しかし、まだ寝室には、もう一つの上げ下げ窓がある。材料もないので来年にする。仕事始めに作ろうかなと思っている。


はめ込んだ内装窓。

今日はこれから夕食。夜食用に残しておいたそばで年を越そう。
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生活保護費削除と防衛費増大の予算案。これでは北朝鮮と同じ構造では?

2017-12-30 19:19:26 | 日記
政府予算案では生活保護費が18年10月から最大5%の減額となる。3年かけ段階的に引き下げて毎年160億円の国費の削減となるという。

今回の生活保護費の削減は、貧困対策を推進するどころか、後退させる。
内閣が雇用環境が改善され、アベノミクスの効果が出ているという。しかし、これは大企業や富裕層は裕福になるばかりだ。そのうえで、生活保護費を削減するということは、ますます格差を広げるばかりだというニュースでのコメントがあった。

国会は平成25年に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」を全会一致で成立させた。この法律に基づき、内閣総理大臣を会長とする「子どもの貧困対策会議」、当事者や有識者から成る「子どもの貧困対策に関する検討会」、パブリック・コメントを経て、平成26年8月29日に「子供の貧困対策に関する大綱」が閣議決定された。

なのに、生活保護費の削減は、子供の貧困対策に逆らう施策だ。引き下げの根拠は、下から10%の所得の人たちと比較して、その消費水準と合わせて引き下げる、というものだ。貧困を脱出するためには、水準を高めなければならないのに、水準を最も低いものに合わせるという。アベノミクスが成功しているのなら、何故水準を高められないのだろうか?



来年度予算案で、わが国の18年度防衛費は17年度の5兆1251億円を上回り、過去最高の約5兆1900億円とする方針を固めたとのこと。749億円アップだ。敵基地攻撃できるミサイルなどの憲法違反とも思われる配備をしようとする。この防衛費については、何ら議論されず、北朝鮮の脅威があるからと、なし崩し的に既成事実化しようとしている。一方、生活保護費の減額分は向こう3年間で480億円だ。防衛費の増額をしなければ、生活保護費は少なくとも据え置き、それどころか、生活保護費は引き上げることができる。

憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。例えば、今回の生活保護費の削除をしたならば、75歳の高齢者で単身世帯の場合、4000円ほど減額になるという。あるニュース番組で、インタビューされた高齢者が語っていた。「衣食住を削って医療費をねん出して暮らしてきた。削減されたら、医療費を、どのようにねん出したらよいか分からない」という。現在でも、生活保護費の受給により生活している人は、憲法で保障している文化的な生活を営む権利が、全く保障されていない。削減により、もっとも大切である健康な生活を営む権利が侵害される。「健康で文化的な最低限の生活」が奪われる。これでは立憲国家といえないのではないか。

北朝鮮では、庶民の生活を犠牲にしてまでも、ミサイル、核開発を止めない。わが国では生活保護費を削り、自衛権の則を超えようとする軍備予算を立てている。比較するのは飛躍があるかもしれないが、強いて問いたい。もしかしたらわが国も、北朝鮮に似ているのではないか?と。
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孫と年末のショッピング。そして、夕暮れの月と木々。

2017-12-29 19:22:19 | 日記
今日は、息子から孫と一緒にショッピングに誘われた。障害のある孫は、ドライブとショッピング・モール歩きが好きだ。従って今日のショッピングは、買い物が目的でなかった。


ショッピング・モールの店には、窓はほとんどないが、ウインドウ・ショッピングを楽しみながら、頑張って自走している。

帰ってきたらタロ(犬)の散歩。妻とタロが散策している間、私は夕暮れの月を追っていた。
次第に暗くなる周りの木々と月の写真をご覧ください。




















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「ありがとう」そして「keep on going] (故日野原さんのことば NO.2)

2017-12-28 19:13:28 | 日記
この言葉は、先日も本ブログで書いたが、故日野原重明さんの言葉の2回目だ。先日、テレビ朝日(先日はTBSとしましたが訂正しました)のワイドショーで、番組スタッフが日野原さんのお宅に訪問した時に、日野原さんの遺言として次男の妻から伺った話とご本人の生前のVTRを放映していた。主題は「105歳の遺言『生きていくあなたへ』」だった。



病気で自宅療養に入り、大分体力が低下した時でも、ベッド枠に持たれながら、話しをされ「死は怖い。言葉を聞くと嫌になる」。「まだまだやることがある」と話されていた。スタッフは、日野原さんの書斎を訪た。幾重にも重なる書棚に、医学書をはじめ、ご自分の著書などの本で満たされていた。執筆をする机がある窓からは、庭が一望でき、庭を眺めるのが好きだったという。次男の妻は、「血のつながりは関係ない、一緒に食卓を囲むのが家族だ」と語っておられた日野原さんのことばに感動され、家庭や仕事でも常に、日野原さんに付き添っていたという。

日野原さんは1911年(明治44年)に生まれ、30歳で聖路加国際病院内科に勤務した。58歳の時日航機よど号ハイジャック事件の飛行機に同乗していた。4日間機内に監禁されていた。死を覚悟して、解放されたとき妻と抱き合い、「これからの命は与えられたもの。人のために生きる」としたとのこと。その後、83歳の時、地下鉄サリン事件が発生した。即座に病院の外来を中止し、被害者のために病院を提供した。また、「生活習慣病」という呼称や「人間ドック」を創始したなどの業績がある。

今年4月にインタビューに応え、延命治療は一切しませんと語っておられた。「これからの人生もまだまだ続く。旅の苦しみがあるのかもしれない。でも、苦しみが強かった分、今は感謝している」というような内容で語った。さらに「(以前は死が怖かったが)川があってきれいな花が咲いていて、いらっしゃいと言われ...僕は間もなく行くよ」。「天国に行くときにどんな景色があるのか楽しみ」、「今の心境を皆さんに話すことができる喜びを感謝している」と語り、死が怖くなくなったという。そして、7月18日に105歳の生涯を閉じられた。

残された言葉として「keep on going」(進み続けよう)とのこと。さらに、色紙に書かれた自筆の日野原さんの次のことばが書斎に掲示されていた。番組終盤の映像が印象に残っている。
「ありがとうという言葉で人生をしめくくりたいものです」
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パスポートを手にして、改めてわが国の政治を考える

2017-12-27 19:12:31 | 日記

本日、パスポート(5年旅券)を新たに取得した。

役所で戸籍抄本を取得し旅券申請書類をもらい、1週間前に地域の旅券窓口に申請手続きに行った。申請には1時間程費やした。免許証による身分の証明。書類に必要事項を記載した。私が記載等に費やした時間はわずかであった。後は窓口の係り員の確認と記載作業に結構時間がかかった。

係り員とのやり取りの中で、もっとも労力を費やしたのは自書欄であった。漢字のサインに挑戦したが、筆圧が少ないところがあるとのこと。行書風と楷書の二通りで書いた。7,8回行い、上司に判断を覆いだ上、了承された。楷書は筆圧を強く書いているので、それが採用されるかと思っていた。ところが、本日、手にしたパスポートを見たら、行書で書いたものが採用されていた。実際使う時に間違えないように、今からサインの練習をしておかなければならない。

ところで、パスポートの表には日本国の国章が印刷されている。皇室が家紋として使用している十六八重表菊(菊の御紋)をデザイン化した十六一重表菊とのこと。日本国憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって...」とあるからと思った。

しかし、調べてみると、国章が採用されたのは1926年だ。つまり昭和元年とのこと。法的には国章の決まりはないとのことで、この時の国章が日本国の象徴となっているのだ。

国章が採用された昭和初期は、第1次世界大戦や大震災後の恐慌が始まるが、世の中は大正ロマン、大正デモクラシーに包まれ、良い側面もあったのに。残念ながら、やがて、立憲君主制が崩れ、軍部が台頭する時代を迎え、大東亜戦争へと突入し、敗戦を迎えた。

戦後、主権在民の日本国憲法が施行され民主主義国家となった。そして、現憲法は、条文の第1章に象徴天皇として位置付けられている。この意味ではわが国は立憲君主制といえるとのこと。

現体制の良否は別にして、パスポートの菊の紋章をみると、時代は変わっても、日本の伝統を考えさせられる。天皇(または皇族が)が直接国を統治していた時代もあった。しかし、歴史は、天皇を時の政権が利用していた時代もあった。征夷大将軍という身分を活用し、国を統治した武士。戦前の軍隊もしかりであった。

現在はどうであろうか。残念ながら現在の政権も、衆議院の解散を、天皇の国事行為を活用して、乱用している(憲法7条解散)のではないか? 天皇の国事行為は、内閣の助言と承認により行うとなっている。つまり、衆議院の解散は、時の内閣の思うままに行われている。

逆説的な論法であるが、天皇が「民」の安全・安心した生活を第1に考えた政治を行うのなら、立憲君主制の方がよいのかも知れない。時の権力者(内閣)による、独裁的な政治より、よほどよさそうである。

パスポートの国章をみて、国政を思う。昭和天皇は、言動から常に国民の安心と平和を願っておられる。天皇はいつまでも国民の安寧を願う、象徴であり続けて欲しい。そして、天皇制を利用するような政治でなく、かつ、天皇に負担や心配をかけない内閣であって欲しい。誇りに思えるような国になって欲しいと願う。
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