標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

秩父ミューズパークのイチョウ:色づいた葉と実の香り

2017-10-31 20:27:06 | 日記
イチョウの場合は紅葉と表記するのはふさわしくない。黄葉(こうよう)だ。犬の散歩がてら秩父ミューズパークの黄葉を見に行った。台風22号と木枯らし1号によりだいぶ葉が落ちていた木もあった。しかし、色づき具合は見ごろだった。
現地に着いたのが午後3時半過ぎになっていたので、太陽がだいぶ傾いていた。落ち着いた黄葉狩りができた。

秩父ミューズパークの案内より抜粋
「秩父ミューズパークという名前は、ギリシャ神話に登場する人間のありとあらゆる知的活動を司る女神の名前「ミューズ」(英語ではMuse)にちなんで名づけられている。
後のミュージック(音楽)、ミュージアム(博物館)、アミューズメント(娯楽)などの語もこのミューズを語源としている。ミューズパークはそのような公園です」

今回、タロ(犬)と妻と私は、展望の丘からパルテノンまでの往復3100mを歩いた。その道筋に沿って風景を紹介する。


見ごろのイチョウの黄葉


展望の丘からみた武甲山


秩父の街並みを見下ろす。遠方の山が白ぽく見える部分は、夕日が当たり周囲より明るい。


大きなイチョウの木


イチョウ並木。手前左の木はだいぶ葉が散っていた。


銀杏の実(実を語るの場合は「銀杏」がふさわしい)。ブログで香りは伝えられないが、それでよかったと思う。靴で実を踏みながら歩かざるを得なかったので、靴の裏に銀杏の匂いがしみついた。帰りの車内がかなり臭かった。


早くもカンザクラが咲いていた。


これぞミユーズパークのイチョウ並木。


野外ステージ。

(
タロ(犬)の目線で見た風景。


ミューズの泉。噴水は出ていなかった。


パルテノン神殿を模して建てられているパルテノン。右下の犬がタロ。


パルテノンでフォーク・ソングの弾き語りをしていた女性。「500マイル」を歌っていた。多分、我々の年頃に合わせてくれたのだろう。パルテノンの天井(や柱?)に反響して、ボリュームのあるギターの音と美しい声が響き渡っていた。


銀杏の葉。


ブロックの上に落ちていた銀杏の実。


復路は薄暗くなり始めてきた。南東の空には月が登っていた。


並木と路面に落ちた黄葉。(注:昨日のアップ写真が間違っていたので差し替えました。11/1)


最初の写真と比べると山の上には夕日が当たっていないので暗く見える。その分、街並みがきれいだった。



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伸びすぎた桜の枝切り、作業中に発見した色づいたモミジ

2017-10-30 19:35:59 | 日記
昨日は夜になり雨が止んだ。今朝から晴れていたが風が強く吹いていた。台風が去るや否や、木枯らしが吹いたとのこと。庭の木々の葉がまた落ちている。


20年前に苗から植えた桜が、屋根より高くなった。7mは超えている。夏は南西に面したリビングと和室が木陰になり、年々暑さをしのげるようになってきた。しかし、木は家から2m位離れたところにあるので、根が家の基礎に入っている。また、これ以上伸びたら個人では枝切りなどの始末ができない。暑さ対策は別の方法で行おうと決め、桜の木を切ることにした。

しかし、周囲には他の小木や草花がぎっしりと植わっている。木を倒せる場所がない。そして、草花を傷つけないようにしなければならない。脚立やはしごを立てる場所もあまりない。伐採作業には環境が厳しい。従って全部切れないかもしれないが、やれるだけやってみようと決意した。


一本の桜だが、下の太い幹は周囲が1m。根元から50cmほど上がったところで二股に分かれていて、それぞれ周囲は60cmだ。さらに一方の幹が2つに分かれていて、それぞれ周囲がおよそ50cmと40cmだ。つまり比較的太い幹が3本伸びているということになる。そして、3本の幹の上は、それぞれ4方に枝が伸びている。


ハシゴを太い幹にかけ、動かないことを確認し、2m50cm~3mほどの高さまで登り、届く範囲で小枝を切った。その際、小枝が他の小木やつつじの上に落ちるように鋸で切った。草花に落ちないようにしたのだ。

小枝を1本切ったら、ハシゴを下り、枝を運び仮置き場に置いた。またハシゴを登り、枝切り作業を再開する。これを何回も繰り返した。最後に残ったのは、周囲30㎝の枝というか幹と言ってもよい。


横長に宙づりになっている切った太い枝


反対側から見ると切り口が見える

切った後そのまま地上に落下しないように、切るべき枝を、ロープで他の枝に固定した。このとき、ロープを他の枝に引っ掛けるのだが、ロープを繰り寄せ輪にして、小枝めがけて投げる。何回か行ったが、すべてうまくいった。
これらの一連の作業は、高所で行うので緊張するが、楽しい。うまく行ったときは、やったと得意げな表情になっているかもしれない。

一番作業のやり易い枝から切ったが、今日は一本で終わりにした。次第に難易度が増す。1か月経っても作業は終わっていないかもしれない。


ハシゴでの作業中、緑のなかの赤が視野に入った。何と一部だけ色づいたモミジだった。モミジも桜ほどではないが、5mくらいの高さになっている。ハシゴからは下の方に見えたので、2m程の高さか。それほど日当たりがよくない場所なのに。同じ幹から生えている他の枝の葉は、まだ青々とした緑だ。何故ここだけ紅葉しているのか分からない。でも、この発見は、鋸引きのだるさを暫く癒してくれた。
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無名作家わが父の陶芸作品(コーヒー茶碗と小作品)と俳句

2017-10-29 21:24:25 | 日記
我が家には、幾つかの種類の陶器がある。父の作品で父が焼いたもの、父が亡くなった後、他の陶芸家に焼いてもらったものがある。

以前にも50年前のラセン人形で触れたが、父はロクロを使った木工品作りを生業としていた。仕事を辞めてからは、陶芸作りに勤しんでいた。今日は街では、秋祭りや新店舗の開業などがあり、雨の降る中、音だけの花火も鳴っていた。しかし、朝はシトシト降りであったが、しだいに雨脚が強くなってきた。外出は止めて、家に籠り、父の作品を取り出してみた。


香合は茶席で用いられ、香を入れる蓋つきの器だ。父は細工が好きで蓋の部分と皿の部分を合わせるのが得意だった。羊をモデルにしたものであろうか。カモ。白鳥をモデルに蓋をつくったものか?


香合の蓋と器。


香をたく器、つまり香炉だ。



父はコーヒーが好きで、自分も使えるコーヒーカップを多く作っていた。取っ手の形状作り、取ってとカップ本体を結合するのには、それなりの技術を要する。




織部風に仕上がった小皿各種。下は5点セット。


これは、孫たち(私の息子たち)が、おじいちゃん(私の父)の指導で葉っぱの形をつくった。後に父が色付けをして焼いてくれたもの。


父は俳誌「鹿火屋」の会友だった。私も学生時代父と共にその句会に出たことあった。句を互選する様子などとても興味深い体験であった。しかし、父のように句に没入する程にはならなかった。雰囲気だけで満足して終わった。
以下、父が詠んだ3句。

  朴の花父の山へと深入りす

  遠うぐひす飛鳥の天をちかくにす

  蓬莱の月をみてゐる石鼎忌

 (注記:「石鼎忌(せきていき)」は、島根県出身の俳人原石鼎の命日(12月20日)。高浜虚子に師事、「鹿火屋」を創刊・主宰。大正期の「ホトトギス」を代表する作家の一人。)

父の句には、「父」「天」「月」という言葉が多く使われる。
父の生い立ちに起因すると思える。父は実の父親に育てられなかった。生まれるや否や、血縁のない他人の家で育てられた。また、姓も両親のものではなかったし、育ての親も別名であった。

世は大正ロマンの時代であったろう。父はその世界とは無縁の漁師の家で、その担い手として育てられたのだろうか。その家族は父のことを姓で呼んでいた。しかし、学校には行けたし、大事に育てられたのだろう。ネガティブな少年時代の話は聞いていない。成長してから母親とは会っていたようだが、父親とは40歳代になって会ったようだ。

この間、尋常小学校を卒業後、奉公に出された。奉公先から召集令状によって、戦地へ赴任した。中国であった。
父は、「中国の洞庭湖で、夜、湖畔に座りながら、湖に映る月の影、視線をあげると天には月が静かに輝いている。故郷の日本でもこの月を見ている人がいるのだろうか?」と、離れた故郷に思いを馳せていたと繰り返し語っていた。

実父を知らずして大人になった自らの境遇を語るに語れない複雑な思いを「俳句」に籠(こ)めたと思われる。

父は私と妹を母と共に育ててくれた。今になって思う、平穏に育ったということに感謝しなければならないことを。しかし、存命の間に父と母に言葉として感謝を伝えなかったのが心残りだ。
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季節の変わり目、色づき始めた木もある、庭とその周辺の様子。

2017-10-28 19:26:05 | 日記
各地の山の紅葉が見ごろだという便りがテレビ、新聞で流れる。わが家とその周辺では、色づき始めた木々もあるが、緑色の木々が多いかな。しかし、道路には台風21号が散らした、枯れ葉が落ちている。

 
ガーデンアーチから眺めた季節の変わり目。左手前は夏椿の色づき始めた葉。奥に見える黄色は、盛りを過ぎたキバナコスモスだ。


夏椿の葉は、わが家で毎年一番早く色づき始める。


背の低い背高泡立ち草が立ち並ぶ。高いものはすでに枯れている。小ぶりだと、あまり目立たない。群生していてもかわいらしく見える。名前を変えたほうがよさそうだ。左に枯れたコスモス。種をつけている。


道路に落ちた葉。たぶん落ちてから枯れたものもある。台風22号で量が増えるのだろうか。


薄く色づき始めたブルーベリーの葉。


濃い色のブルーベリーの葉。

僅か2mほどの間隔で植えてあるブルーベリーの木だが、日当たりなどの環境が異なるためか、葉の色が違う。上の画像は色づき始めだが、ブルーベリーの青さを感じさせる淡い色で趣がある。下の画像はさらに色濃くなっていて、きれいなピンク色だ。


フェンスの脇に一株咲いている八重の小菊。


駐車場にある庭石のくぼみに植えた春蘭とシダ。天然の鉢になっている。

夕刻、台風に刺激された前線の雨がシトシト降っている。やけに静かだ。いつもならテレビかラジオがついているが、今は消えている。妻のしゃべり声がいつもより鮮明にきこえる。無音の夕べもそれなりに趣がある。

嵐の前の静けさをもう少し味わおう。やがて妻が夕食の調理に取り掛かる。それまでのひと時だ。

玄関の飾り棚にあるセージの花。
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ドイツからの便りその2:おとぎの国のヴェルニゲローデ(バームクーヘン、SL、城と街並み)

2017-10-27 19:23:40 | 日記
ハンブルクに住む息子からの写真便り第2弾だ。彼が学校の合宿でヴェルニゲローデという都市に行った。ヴェルニゲローデは、ハルツ郡にある都市。統一前は東ドイツに属していたため、ほとんど知られていなかった。東西ドイツ統一後、知られるようになった。今は、観光地として国内外からの観光客が来るようになっているとのこと。


バームクーヘンハウス。
ドイツが発祥の食べ物であるバームクーヘンは、今はドイツではあまり食べられないという。しかし、ヴェルニゲローデでは、人気の食べ物の一つにバームクーヘンがある。ドイツ語でバウムは木、クーヘンはケーキを表す。


カフェで出されたバームクーヘン。




ヴェルニゲローデの街並み

息子のレポート:「ヴェルニゲローゲは旧東ドイツで、お洒落に見える建物も、お金があった西ドイツでは、昔の古い貧乏人が住むっていうことで、立て直したり、壁を塗ったりしてあまり残ってないようだ。」


ヴェルニゲローデの紋章でデザインされたマンホール。


周辺の案内板。


息子レポート:「これはファッハヴェルクホイザー (Fachwerkhäuser)といって、日本の木造建築のように、柱や梁を木で作り、その間にツタと土で固めた建築。寒さに強く、石と違い安く早く出来上がるためにたくさん作られたという」


蒸気機関車が内外の観光客に親しまれている。市内を巡っていて、城がある山まで蒸気機関車で行ける。


街から望むヴェルニゲローデ城。


息子からの報告によるとヴェルニゲローデ城は標高340mに位置するとのこと。私のブログ発信地の標高より10m高い。


城から眺めたヴェルニゲローデの街並み。オレンジ色の屋根が連なりおとぎの国のよう。「自然のデズニーランド」と呼ばれているという。
息子のレポート:「城の近くにはブロッケン山といって、てっぺんに木が生えていない山がある。昔の人が不思議がって、魔女が踊ってるからだと言い出したようだ。ゲーテのファウストなんかにも出てくる話」

ブロッケン現象といって、霧の中に虹と似たような光の環が現れる現象がある。これは標高1,141mのブロッケン山でよく見られたことに由来するという。日本では、御来迎(ごらいごう)、後(御)光と呼ばれている。出現する影は阿弥陀如来と捉えられいるとのこと。

「ドイツからの便りその2」の終わりに、もう一度城から見下すヴェルニゲローデのパノラマ写真を見てみよう。
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