標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

月下美人ってどんな人? 花とは知らなかった頃。

2017-09-30 20:22:36 | 日記

2017年9月29日に咲いた月下美人

昨晩、ナシの送り物をしてくれた、娘(我が息子のお嫁さん)さんから、LINEで写真が添付されてきた。近所のお蕎麦屋さんから頂いたという月下美人だ。

妻が30年ほど前のエピソードを持ち出した。妻が月下美人という花を知った時の話である。妻の知人の夫が、大分酔いながら語った。

先日、月下美人に会いに行ったという。行ったところはラーメン屋だ。月下美人はすごくきれいで、良い香りがする。夜中までラーメン屋で過ごしたという。妻は、月下美人が花とは知らなかったので、どんな美人を見に行ったのかと、内心ヤーネと思いながら、妙なワクワク感を持って話を聞いていた。

彼は酔うとあれこれと講釈が得意で、月下美人の説明を始めた。月下美人は、新月や満月の夜に華やかな花を咲かせる。とても良い香りを放ち綺麗なんだ。そして次の日には、香りがなくなり短い花の命の終わりを迎える。まさに美人薄命だ。彼は俗説を含めながら得意げに語った。

このくだりでは妻はまだ、花だとは思っていなかった。彼は花と言っていたのだが、妻は比喩として捉えていた。つまり、妻はあくまで美人、人だと思っていた。月のように華やかで良い香りが漂う美人とはどんな人が登場するのだろうか。と、期待を持って聞いていた。そして、妻は彼に問うた。「その美人は何時ごろ会えたの?」と。

すると日付が変わる頃かな。深夜にラーメン屋のおやじさんから呼び出されたんだ。月下美人が咲きそうだから、すぐ見にお出でとの電話があった。

この時「咲く」といったので、月下美人って「花なの?」と妻が問うた。知人は「えぇー!」と言って、「花だよ」と言った。後はただ、二人で大笑するしかなかった。

そして、ラーメン屋から知人に株分けされた月下美人。さらに、その月下美人を妻は知人から株分けしてもらった。

その後、わが家で10年ほど咲き続けただろうか。しかし、現在の地(標高330m)に越してきて3年後、大きくなりすぎて家の中に入れられなくなった。翌年、外での越冬に耐えられなくなり枯れてしまった。


妻は嫁から送られてきた画像を見て、スマホの中に保存されていた過去の写真を探した。あった。残念ながら香りは記憶の中だが、画像だけは残っていた。



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選挙違反取締本部が設置された。政治家は悪行をするの?

2017-09-29 19:14:14 | 日記
ニュースで、警視庁は29日、衆議院総選挙違反取締本部を設置したという。前回の衆議院選挙以降、昨日まで都内で衆議院選挙に関する選挙違反の検挙はなかったが、ポスター掲示などに関する警告が28件あったという。

(イメージ画像)

私的な庶民感覚としては、政治家を志そうとする人が法を犯すことはないと信じたい。しかし、すでに軽微であるが警告が出ているという。

「政治家は法を犯すことはない」ということは無い、とのことから取り締まる。警視庁は2000人を動員して取り締まるとのこと。選挙に係る経費とは別に、警備費用が必要となる。

そもそもこのような取締本部が何故設置されなければならないのか?

「性善説」と「性悪説」ということばがある。


孟子は、「性善説」を唱えている。人は生まれつきは善である。悪は外在する環境(社会)にある。従って悪行に染まることがある。しかし、善行を為すように努力すれば、もともと性である善を為すことができるということだ。



荀子は、「性悪説」を唱えている。
荀子は人も含めた自然そのままの本性を「悪」とした。人間に内在する悪(性や情)を放任すると、争いなどがおこり社会的混乱を招くという。礼は外在し、礼によって人を矯正・感化する必要があると説いた。

いずれの説も、人は悪行を為すことがあるということだ。しかし、心がけや行いによって善行を為すことができるということを説いている。

残念ながら、選挙違反に限らず、当選して政治家になっても、悪行を為す人がいる。

二元論を採用するなら、人の性(さが)は性善か性悪かどちらかとなる。政治家になろうと志す人は、「性善であっては、悪行を為さないよう」に努力し、「性悪であったとしても、善行を為すよう」に努力してもらいたいものである。

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衆議院解散のあと、万歳三唱がされた。いったい何が喜びなのだろうか?

2017-09-28 19:18:09 | 日記
衆議院は、今日正午から開かれた本会議で、議長が「憲法7条により衆議院を解散する」と解散詔書を読み上げ解散された。


その直後議事堂内に、一部の野党議員が欠席する中、主として与党議員による万歳三唱の声が響いていた。これは、恒例という。いったいどのような意味があるのだろうか。


朝日新聞より

前回の総選挙の費用は、616億9千万あまり費やしたとのこと。今回も600億円規模の費用がかかる。現政権は、大義がないといわれつつ、臨時国会の冒頭で何の審議もないまま、解散に踏み切った。与党内からも、今回の解散は意味がない、分からないと疑問の声も上がっているのに・・・。「万歳」に費やすより他に税金の有効な使い道はなかったのか?

もともと「万歳」は、中国で使用されていた古語で、「万歳」は「1万年」を表し、皇帝の寿命を示す言葉であったとのこと。
日本で「バンザイ」と発するようになったのは、明治時代で、大日本帝国憲法発布の日に天皇の馬車に向かって万歳三唱し歓呼の声をあげたのが初めてだという。

想えば父が生前、戦争の話をするたびに上級の戦士が「天皇陛下万歳」と言いながら死んでいったと話していた。悲しいかなこの使い方が最もふさわしかったのか?と思う。

幸いかな、私は、まだ、万歳三唱をしたことがない。いくつかの宴会で、一本締めや三三七拍子には参加したことがある。しかし、内心いつも照れながらやっていた。ほとんど喜びの思いを込めた覚えはない。

辞書には「バンザイ」と歓呼する時に両手を挙げる動作だけの意味も説明されている。「降参すること。お手上げ」という。つまり無言の「バンザイ」だ。解散時には声高に唱えた万歳だが。果たして、この議員達は落選したら、無言の「バンザイ」をするのだろうか?

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発達障害を障害というのではなく、特性として対応する

2017-09-27 19:32:54 | 日記
NHKのあさイチで発達障害のことを放送していた。以前からしばしば取り上げている。今日は大人の発達障害のことでパニックやコミュニケーションの取り方についてがテーマであった。

ゲストの栗原類さんがアメリカと日本とでは(発達障害)に対する認識が違うという発言をしていた。アメリカの方が障害に対する理解・対応がよいというニュアンスだった。



発達障害にかかわらず、日本は過去、健常者をモデルとした社会づくりをしてきた。障害のある人を特別な人として捉えていたといえる。

しかし、障害を障害として捉え特別な対応をするのではなく、障害の有無にかかわらずすべての人に内在する特性(または個性)として捉えることが必要だ。

その人が家庭、会社などの集団で生活する場合は、障害認定の有無(障害手帳の取得の有無)とは違った、その人の個性として認知し対応する。

しかし、残念ながら、現実には障害(特性)を差別としてとらえている現実がある。

機能的な障害ではないが、原発事故でのいじめの問題などは、社会が生み出した障害と言える。原発事故後、避難してきた小学生が避難先の学校で黴菌がついているなどといういじめが発生した。その人は手記で学校も、先生も嫌いだと記している。

このような悲痛な出来事を無くすためには、社会全体が障害を差別としてでなく、その人の特性として捉え、障害の有無にかかわらず共同して生活していく社会づくりが必要だ。

こうした環境はにわかにはできないかもしれない。

例えば地震等の災害時の避難訓練を行うように、障害とその特性に対して、普段から理解と対応について学んでおかなければならない。

また、単に職場や一家庭だけの理解だけでなく、社会全体が障害とその特性について理解していかねばならない。これには成人になって障害についての学習をするというより、小中学校での教育の中で、障害について学ぶ必要がある。

近年は、車いす体験、手話体験、点字の知識などについては、行っているところが多い。しかし、外見だけでは分かりづらい障害についても学ぶことが必要だ。精神疾患のこと、発達障害のこと、高次脳機能障害のこと、認知症など。

そしてなにより大切なのは、障害という概念だけでなく、一人ひとり状態が違うことを知る。障害というよりその人にある特性なんだということ知る。そして、その特性のある人を集団の中で受け入れ、一緒にいる仲間たちと勉強、遊び、生活を通して共に歩んでいくことの大切さを学ばなければならない。

「障害のあるAさんと学ぶ」という認識ではない。「Aさんと学ぶ」ということが大切だ。でもAさんには障害があるのでちょっと配慮しようという理解・対応が必要だと思う。
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野生のカラハナソウの採取と来年のためのグリーンカーテン作り

2017-09-26 18:47:30 | 日記
今日は次男が仕事が休みとのことで、家にやってきた。妻が以前から和室の前だが、西日が当たるところにグリーンカーテンを作くりたいと言っていた。次男はもともと園芸に関心が強く、これ幸いと息子に手伝ってもらい、グリーンカーテン作りを行った。

和室の西側には、以前にも毎年グリーンカーテンを設置したことがある。年により植物の種類は様々であった。朝顔、ニガウリ、いんげん、瓢箪、へちまなど。でも、どの年も急場しのぎの設置だったので、その年限りで終わっていた。


今回の計画は、和室の掃き出し窓から50cmくらい離して、グリンカーテンのために支柱を立てることとした。そこにクレマチスを這わすことにした。

ところがこれだけでは寂しいので、山のつる性の植物を取ってこようと、次男、妻と私の3人で山に行った(山といっても家から200mほど登ったところの藪林だ)。

センニンソウを探しに行ったが、花が終わっていた。葉の形状からそれらしきものを採取した。ところが!


その近くで「なんだこれ。ホップみたいだ!」と息子が、思わず叫んだ。山中なので人をはばかることなく叫べる。ストレスを発散するには最適。


息子がホップと言ったのは、あながち間違えではなかった。調べてみると、カラハナソウといって雌花の果穂がホップに似ている。根から採取したこの花をグリーンカーテンの一員とすることにした。


もともと、明治初期に北海道の開拓時代、アメリカ人のトーマス・アンチセルという人が、ホップの野生を見つけて、これを原料に、ビールを作ったという。しかし、苦味が出ず、まずいビールになってしまった。このホップと間違えた雑草が、日本全土に野生するカラハナソウだったとのこと。
その後、カラハナソウが育つなら、環境が合うのではないかと、いわゆるホップ(セイヨウカラハナソウ)の苗を輸入して、北海道で本格的なビール醸造が始まったという。


つるが絡むように井桁状の支柱をつくり、クレマチス、カラハナソウ、センニンソウと思われるつる性植物を植えた。あとは来年が楽しみだ。

今日も、日中は暑かった。カラハナソウは思わぬ収穫だった。カラハナソウ取りは僅か往復400mの行程だったが、汗だくだった。それと、わが国のビール発症のいわれを知ったことだし、夕食時にビールを飲もう。今晩のビールは格別にうまいに違いない。
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