標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

予告通りに届いた今シーズン初物の「梨」

2017-08-31 19:00:53 | 日記

贈り物が届いた。多摩から旬の果物の梨だ。箱をみた瞬間思い出したことがある。7月に、息子の嫁のお義母さん(おかあさん)から、そのうち時期が来たら贈り物を送りますねという予告電話があったことだ。思わず微笑んでしまった。予告通りのうれしい宅配便だった。

お義母さんは、穏やかでおしゃれなウイットに富んだところが、微笑ましい。いつも息子と孫がお世話になっている。


送られた箱には「多摩湖梨」と書いてある。種類は何だろうと思い、送り状を見たら、「幸水・稲城・豊水」と書いてあった。でも、一つひとつが正確にはどれがどの種類かは分からない。予測すると一番右のは大きいから豊水かもしれない。

みかんやリンゴは旬がずれてもある時期までは食べられる。しかし、梨は収穫したてが食べごろだ。追熟しない果物だそうだ。

梨は日本の果物としては歴史が古く弥生時代からあったとのこと。したがって西洋梨に対して和梨という文言もある。シャリっとした食感がみずみずしくてよい。それに比べ、西洋梨をはじめて食べた時の柔らかさには驚いた。西洋梨には申し訳ないが、柔らかい舌触りは梨を連想できず今でも好きになれない。


我々はふたり暮らしなので一度に3種類を、食べ比べるわけにいかない。手に取った梨を剥いて食べた。多摩湖梨は甘くておいしかった。梨はお尻側や皮に近い方が甘いそうだが、これは種に近いところでも甘かった。お義母さんの心遣いに感謝すべきうれしい贈り物だった。
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「肩させ裾させ寒さが来るぞ」の季節がやってきた

2017-08-30 19:01:06 | 日記

「お盆を過ぎると、海は土用波、草原(くさはら)ではコオロギが鳴きだす」と、父がよく言っていた。幼心に覚えている。この草の中のどこにコオロギがいるのだろうか?

もう一つ、父の言葉で鮮明に、今でも残っている思い出がある。それは父が幼かったころ、父の祖母から聞いたという、コオロギの鳴き声の意味だ。「肩させ裾させ寒さが来るぞ」と鳴く。父は小学校低学年の頃、このことを作文にして、表彰されたという。後から知ったが、これは全国的なコオロギの鳴き音(ね)の意味付けだ。父の作文が評価されたのは、コオロギの鳴き音そのものでなく、別な要素があったのだと思う。

父は文言だけでなく、意味も説明してくれた。これから秋も深まり冬になる。その前に寒さに備えて、肩や裾(衣類)のほころびを針を通して(刺して)直しておきなさい。この文言が鳴くコオロギのリズムとともに耳奥に残っている。

私は鳴き始めの時期の音を風呂に入っている時や、布団の中で聞くのが好きだ。鳴き始めは「肩させ」から始まり「寒さが来るぞ」をリズムの1サイクルとする。お盆の頃の鳴き始めはサイクルの途中で止まる。「かたさ...」で終わったり、「かたさせす...」、「かたさせすそさ...」など中途で終わるのが面白い。次はせめて「かたさせすそさせ」まで鳴けるかななどと期待し、密かにコオロギを応援する。そして、日を追うごとに短文だったのが次第に長くなり、フルフレーズを鳴けるようになる。

やがて、何サイクルも唱えるようになる。涼しい日々が増えてくる。私も声は出さないが、コオロギとともに「かたさせ...くるぞ」と暗唱する。1サイクルしたところで息継ぎをするとリズムがよい。鳴き始めの今頃はよいが、秋も深まってくるとしだいにコオロギの鳴くサイクルのスピードが速くなる。そして、何サイクルも繰り返すようになる。すると、私の方は息継ぎをする間がなくなり、やがて苦しくなり一呼吸せざるを得ない。コオロギは鳴き続ける。コオロギに敗れた。

昨晩、入浴中にコオロギの鳴き音を聞いた。「かたさ」くらいで、「さむさ」まで鳴くのはまれであった。残暑が続く間はきれいなサイクルの音はまだ聞けないかもしれない。

今年もコオロギの鳴き音を楽しむ季節が訪れてきた。


知人がシュロの葉で作ったキリギリス。


別の知人が荷造りひもで作ったキリギリス。
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北朝鮮のミサイル発射について思う

2017-08-29 19:16:09 | 日記

オリンピックシンボル色の千羽鶴
北朝鮮もオリンピックに参加しているのに。

今朝、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したとのニュースが流れている。日本のできることは、国連安保理にて北朝鮮に対する制裁を強める、首相とアメリカの大統領との(電話)会談、万が一の時は迎撃ミサイルで破壊するという。しかし、迎撃ミサイルを使うことは重大な事態を招くリスクが高い。どのように対応するのか、非常に難しい難題だ。

北朝鮮のミサイル等の発射は、今回で5回目とのこと。過去、制裁を徐々に強化してきているが一向に改善されない。エスカレートするばかりである。これは当初から、いくら反対されようとミサイル開発、核開発に邁進するという北朝鮮の方針だろう。したがって制裁を科すという手法は、現実的であるかもしれないが、効果はあまり期待できない。各国の対応の足並みがそろえば効果を期待できるかもしれないが、北朝鮮と政治的または経済的関係を持っている国は多いという。足並みをそろえるのは難しい。

(私は評論家ではないので、世に問うというより、私の稚拙な考えかもしれないがつぶやいている)

すでに水面下では行われているかもしれないが、日本としてできる二つの方法が考えられる。一つは、日本が単独で北朝鮮とのルートを作ること。これは水面下でもよいと思う。二つ目は、日本は、アメリカや韓国との会談だけでなく、中国とロシアと個別に話し合いのチャンスを設けることではないか。当初は水面下でもよいが、何らかのルートまたはやり取りができたなら、すぐ公表する。さらに、願わくば中国とロシアそれぞれが表裏どちらでもよいので、北朝鮮とのルートを設けることを願う。

アメリカと日本との関係を強調するだけでは、リスクは増すばかりである。
以前、韓国の文大統領が北朝鮮に話し合いを提案したように、日本も独自に行うべきだ。韓国大統領の呼びかけに対して北朝鮮は無視した。このように即座によい結果が出なくともよいので、水面下も含めて働きかけることが必要ではないだろうか。

あまりにも性善説すぎる考えかもしれないが、今は性善説を推し進めるしかない。
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コナラ ドングリのついた青い落ち葉の清掃

2017-08-28 19:17:24 | 日記

今朝は涼しかった。妻の提案で道路の落ち葉掃きをした。落ち葉といっても枯れ落ち葉ではない。まだ緑色の落ち葉だ。毎年夏の終わりになると落葉する。家の近くの道路で、ガードレールの下が谷になっていて、下から生えているコナラの木から葉とドングリが落ちる。


道路の反対の山側は石積みの擁壁がある。こちらは杉林で杉のほか雑草が生えている。これらの枝や葉がおち、枯れて側溝の蓋の上にたまる。放っておくと腐り黒くなり泥のようになりやがて雑草が生える。家から200mほど登って、山側、谷川を交互に横断しながら下り清掃する。時々自動車が通るので横断時は左右注意。知り合いの人がリュックを背負い降りてきた。おしゃべりでしばし休憩をとった。

この地域に住みだした頃は、道路際の雑草の下には土があると思っていた。2、3年してから、草刈りを始めようと鍬を使ったところ、泥の下は擁壁の際まで側溝だった。コンクリートで施工されているので土はなかった。谷側にもL型側溝が敷設してあり、こちらも土はない。側溝のふたやL型側溝は、腐敗した枯れ葉や砂などで埋もれて、その上に雑草が生えていたのだ。発起して200mほどの区間の泥と雑草取りを数日かけて行った。

その後、ご近所の人とともに年に何回かホウキで道路清掃を行うことが、不定期だが行事となった。犬や人の散歩で通る道としてお世話になっていると思いつつ、良い運動になるので道路清掃を慣例としている。


清掃後のガードレール沿い


清掃後の擁壁沿い

今の時期は青い落葉なので量も少なく掃きやすい。本格的な秋から冬にかけての落ち葉は多量で、掃いた次の日にはまた、落ち葉がたまる。いずれにしても作業中は無心になれるので嫌ではない。作業後はきれいな清掃したての道路をじっと見つめる。独りよがりかもしれないが、満足感を味わっている。


葉を落とすコナラの木


落ちたコナラの葉とドングリ


帽子をかぶったドングリ


まるでお椀みたいなドングリの帽子
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広瀬川河畔で忘れてはならない平和を願う被爆者記念碑

2017-08-27 19:17:06 | 日記
昨日の前橋市広瀬川河畔散歩の続編です。


この遊歩道は南側の岸辺の方が歌碑や銅像などのオブジェ、美術館、文学館などが並んでいる。行きに気が付いていたのだが、北側の岸辺には前橋市戦災被爆者平和記念碑があった。帰り道は対岸の北側の歩道を歩き、記念碑を見舞った。1945年8月5日から6日にかけ前橋市がB29爆撃機の焼夷弾を主とした爆撃により被災した。一般市民の535名に及ぶ犠牲者を追悼し平和を祈願する記念碑。


右手にハトを天にかざす女性とその左手を子供が両手で支えられるように握りハトを仰ぎ見ている。平和を願う大人と子供が凛としていて力強く描かれている。
河畔周辺の住民が自主的に清掃をしたり、河畔地域に住む児童で「広瀬川河畔緑の少年団」が結成されて活動しているとのこと。


碑文は次のように書かれている。

 昭和二十年八月五日前
 橋大空襲の犠牲となり
 死没せる一般民間市民
 の群霊五百三十五名に
 及ぶ当時最も爆撃激し
 く犠牲者多き比刀根橋
 防空壕跡地に記念碑を
 建立不生不滅の実想の
 中永遠の平和を祈念し
 遺族有志永年の悲願を
 実成す
  昭和五十一年四月五日
   前橋市戦災被爆者遺族会


記念碑の右下に猫の置物があった。遠くから見たら、昔飼っていた猫の再来かと思うほど生き生きとしていた。

今朝テレビで温暖化によりサンゴ礁が白く枯れてしまう「白化」現象のことをやっていた。沖縄の海では漁師や研究者の人たちによって、サンゴの海を取り戻す活動がされているという。

自然を救うという活動だ。こうした行動ができる人間なのに、過去だが戦争を起こした(世界では残念ながら今も)。人が人によって殺されてしまった(ている)。記念碑に綴られた碑文の後半に「永遠の平和を祈念し」という下りがある。同様の記述や発言は様々な時、場面で、多くの人によって語られている。これを子供たちの世代をはじめ子々孫々と伝えなければならない。

確かに僅か1.2kmの遊歩道は水と緑と詩、そして風とともに満喫できた。しかし、それだけでなくこの記念碑の存在は「水と緑と詩の町」の味わいとは別に、決して忘れてはならない存在である。
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