国会の予算委員会で、来年以降に予定されいる、小中学校において道徳が教科に格上げされる件が取り上げられた。野党の質問者は、記述式の評価が入試に使われかねないと懸念を示した。
これについて、文科省は道徳の評価については、調査書(内申書)には記載しないように指導してるとのこと。文科大臣は「各学校に道徳の評価を入試に使わない趣旨の徹底を図りたいとのこと。質問者はさらに、一部の私立中学が通知表の写しの提出を求めていると危惧した。文科大臣は文部省で実態調査を行い、都道府県に結果を伝えたとのこと。
私は、答弁を聞いていたが、明確でない答弁で将来に不安・危惧が残ると感じた。
小中学校で道徳を教えることの必要性は分かるが、現実では大人が営む社会が模範とならなければならない。例えば、相撲界も模範とならなければならないはずだ。それなのに、しごき(暴力)はなかなかなくならないとか、今回の暴行問題も内々に処理すべきであったと発言する親方がいる。これでは、模範にならない。相撲界の闇を露呈している。
昨日、横綱審議委員会が開かれたが、その内容はさておき、相撲界でよく言われる「横綱の品格」について調べた。同委員会が定める横綱推薦の要領のなかに「品格」について判断する内規がある。
・相撲に精進する気迫
・地位に対する責任感
・社会に対する責任感
・常識ある生活態度
その他横綱として求められる事項
さらに、「品格の確認は、上記基準につき当該力士の日常生活の観察および師匠の証言等により判断して行う」とある。
この中の、「精進」と「地位」はべつにして、「社会に対する責任感」と「常識ある生活態度」は、相撲界だけでなく、どのジャンルでも共通することだ。道徳教育においても、このような「品格」を盛り込むことには異論はない。一方、相撲界のように、大人社会の中では、品格の欠如を問われるのは、当然であり、品格への責務がある。つまり、品格に欠けるところがあれば、責任が問われるべきだ。
しかし、小中学生にあっては、大人になるための道を歩んでいる最中である。発達の過程では、様々な悩みを抱き、時にはあやまちを犯し反省することもあるだろう。こうした、未熟、変動の時期を過ごし、やがて、大人になり、責任感や常識が身についた大人になっていく。ひと時の行動や思いなど、道徳評価を内申書に書くのは、危険だと思える。ましてや入試においては、この道徳評価で、子供の将来を縛ってしまう危険性がある。子供の個性や特性が埋没してしまう可能性がある。
戦前の道徳教育のように、時の権力の意向が反映できるものであってはならない。そのためにも、道徳を学んでいる最中の子供たちの自由を奪ってはならない。子どもを評価することは、その後の人格を固定化することになる。
発達途上にある子供の道徳観や態度を評価してはならないと思う。
これについて、文科省は道徳の評価については、調査書(内申書)には記載しないように指導してるとのこと。文科大臣は「各学校に道徳の評価を入試に使わない趣旨の徹底を図りたいとのこと。質問者はさらに、一部の私立中学が通知表の写しの提出を求めていると危惧した。文科大臣は文部省で実態調査を行い、都道府県に結果を伝えたとのこと。
私は、答弁を聞いていたが、明確でない答弁で将来に不安・危惧が残ると感じた。
小中学校で道徳を教えることの必要性は分かるが、現実では大人が営む社会が模範とならなければならない。例えば、相撲界も模範とならなければならないはずだ。それなのに、しごき(暴力)はなかなかなくならないとか、今回の暴行問題も内々に処理すべきであったと発言する親方がいる。これでは、模範にならない。相撲界の闇を露呈している。
昨日、横綱審議委員会が開かれたが、その内容はさておき、相撲界でよく言われる「横綱の品格」について調べた。同委員会が定める横綱推薦の要領のなかに「品格」について判断する内規がある。
・相撲に精進する気迫
・地位に対する責任感
・社会に対する責任感
・常識ある生活態度
その他横綱として求められる事項
さらに、「品格の確認は、上記基準につき当該力士の日常生活の観察および師匠の証言等により判断して行う」とある。
この中の、「精進」と「地位」はべつにして、「社会に対する責任感」と「常識ある生活態度」は、相撲界だけでなく、どのジャンルでも共通することだ。道徳教育においても、このような「品格」を盛り込むことには異論はない。一方、相撲界のように、大人社会の中では、品格の欠如を問われるのは、当然であり、品格への責務がある。つまり、品格に欠けるところがあれば、責任が問われるべきだ。
しかし、小中学生にあっては、大人になるための道を歩んでいる最中である。発達の過程では、様々な悩みを抱き、時にはあやまちを犯し反省することもあるだろう。こうした、未熟、変動の時期を過ごし、やがて、大人になり、責任感や常識が身についた大人になっていく。ひと時の行動や思いなど、道徳評価を内申書に書くのは、危険だと思える。ましてや入試においては、この道徳評価で、子供の将来を縛ってしまう危険性がある。子供の個性や特性が埋没してしまう可能性がある。
戦前の道徳教育のように、時の権力の意向が反映できるものであってはならない。そのためにも、道徳を学んでいる最中の子供たちの自由を奪ってはならない。子どもを評価することは、その後の人格を固定化することになる。
発達途上にある子供の道徳観や態度を評価してはならないと思う。
小学校の頃、道徳の授業は週に一度ありました。
覚えているのは、その頃の教育番組を視聴して(さわやか三組という番組)、番組自体の中でクラスや友達同士での何やら問題が提起され、問題は解決されないまま(どうすれば良いのか答えがでないまま)終わり、視聴後に先生が皆に答えを求める様な授業でした。
とても簡単な内容ばかりに感じましたが、クラスメイトの中には悪いお手本みたいなことを言う子もいました。今でも覚えています。
でもその子は小学校中学卒業後は高偏差値の高校へ進学。大学を卒業。今は三人のお母さんです。
道徳に内申がつかなくて良かったです。
その時の気持ちの波も子どもは上手く隠せなかったりしますし。
教育は未来をつくるといっても過言ではないと思います。
1つの参考として、子供達からの先生への通知表があってもいいんじゃないかと。。