標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

梅雨明けを告げるように昨日と今日の朝と、二日続けて開花した真っ赤なユリ。

2018-06-30 20:43:43 | 日記
ほぼ毎日、早朝6時前後に、妻はタロ(犬)の散歩に行く。40~50分ほどして帰宅する。そして、私がタロのシャンプーをしている間に、妻は庭の水まきをする。シャンプーが終わり、水まきが終わってから朝食タイムだ。妻が、「知人から頂いた、昨日からユリが咲きだしたよ」と言う。ウッドデッキ脇の鉢に3本植えてある。そのうち1本は昨日、もう一本は今朝、ユリが咲きだした。



わが家にはこの妻の友人の花がいくつも植わっている。この友人(Yさん)は、ほぼ毎朝、妻とタロの散歩を一緒に行く。Yさんの家にも犬がいるが、外出するのを嫌がるとのこと。したがって、Yさんご自身の散歩もかねて、タロの散歩に同行してくれるとのこと。タロはYさんが大好きで、Yさんの家の前に差し掛かると、玄関の方を向いてYさんが出てくるのを待っているという。タロと対面すると、Yさんは撫でたり、抱っこしたりしてくれる。その間、タロのしっぽはたゆまなく左右に振れっぱなしだとのこと。


さて、Yさんから頂いたユリは、真っ赤だ。赤でも朱色に近い。先日紹介したエキナセアほどではないかもしれないが、暑いさかりに咲く。でも、何となく日本的な赤で、私にとっては蒸し暑い夏を連想させる。ユリの場合、盛夏に咲く花としては、白の方がよいかもしれない。

図鑑等で調べると、日本でユリの花の鑑賞が本格的に行われるようになったのは、明治後半からだという。幕末にシーボルトが、日本からユリの球根を持ち帰り、復活祭にイースター・リリーとし、大流行したそうだ。ユリの球根が絹に次ぐ、主要輸出品となったとのこと。それが、明治末になり、逆輸入され観賞用の花としてわが国でも流行したという。

今日も暑く35℃を超えた。一昨日からの猛暑のため、路面や擁壁が温められ、暑さがたまっているようだ。
さて2輪の赤いユリの花の隣に、もう一本茎が伸びているが、これは黄色だ。明日咲くかもしれない。それを心待ちすることで、少しでも暑さを忘れよう。
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財務相文書改ざん問題も日大アメフトの問題と同じように第三者委員で解明すべきだ

2018-06-29 20:06:17 | 日記
西日本では大雨や突風による被害があった。関東は観測上最も早い梅雨明け宣言とのこと。かつて、地理で学習した温帯気候でなく、亜熱帯気候への移行が年々加速されている。孫たちの世代には、熱帯となってしまうのではないかと心配だ。

さて、日大アメフト部の悪質タックル問題で、原因究明に向けて設置された第三者委員会が、前監督とコーチの指示によるものだと認定したとの中間報告を行った。

報道記事によると、報告の骨子は次の通りとのこと。

〇ルールを逸脱した極めて危険なタックルは、(前監督の)内田正人氏と(前コーチの)井上奨氏の指示で行われた

〇試合直後のミーティングや記者会見で、内田氏が自らの責任を認めるような発言をする一方、事情聴取では井上氏とともに不自然な弁解を繰り返し、自らの責任を免れ、(当該)選手に責任を押しつけようとしている

〇事件発生後、一部の日大関係者より、(タックルをした)当該選手に責任を押しつけ、監督コーチの指示はなかったことにしようとする不当な介入が行われた

このニュースを聞き、財務省の文書改ざん問題こそ、省内の調査委員でなく、日大と同じく第三者でやってほしい。それも、国側の弁護士や専門家でなく、公募で第三者を決めてやるべきだ。

第三者で調査をしたなら、私の試案だが、次のような報告が想定される。

〇財務省という国の重要な機関での、文書改ざんは、官邸や財務省の上層部の指示で行われた。
〇財務省は、改ざんの内容を把握していたにもかかわれず、1年間も隠ぺいしていた。
〇改ざんの発端は、総理の国会答弁で、「私や妻が関わっていたなら、総理も議員も辞める」と発言したことがきっかけである。
〇財務省本省と近畿財務局の上層部が相談の上、部下に指示して改ざんの作業を行わせた。
〇財務省や政権は、改ざんの責任を一部の財務官僚に押し付け、総理や財務大臣は、直接指示はしなかったかもしれないが、自らの政治責任を逃れ、責任を一部の職員に押し付けようとしている。

とにかく、総理自らが言うように「膿を出し切る」のなら、出口の見えない国会での与野党の論戦ではだめだと思う。政権の息のかからない第三者機関を設置して、問題点を明らかにしてほしいと願う。良識のある、真摯な、総理、財務省等の判断を求めたい。
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犬の散歩。暑さを忘れさせる、盛夏の花、ムクゲ。子や孫とのひと時→"C'est la vie"

2018-06-28 20:50:08 | 日記
今朝は小雨が降っていた。タロ(犬)の散歩は雨が上がってから、いつもより遅い時間に行った。タロの散歩道はロングコースは主に3通りで、ショートコースは1コースある。ロングコースのうち、一つは、私より早起きする妻が、連れていくコースで、下りだ。降りると田畑があり、農道を一周するという。その間、幾匹かの友達犬と遊ぶそうだ。だが、帰りはもっぱら上りで、タロはばてることもあり、ときどき妻が抱いてくる。でも、タロはこのコースは好きだ。友達に会えるからだろう。

でも、タロを飼う前は、ジロという名の紀州犬の雑種を飼っていたが、ジロも下りコースが好きだった。人間としては、帰りが楽な方がよいと思うのだが、犬は最初が楽なコースを選ぶのかもしれない。

さて、今日は妻は孫たちの食事作りなので、私と散歩に出かけた。タロに行きたい方向を選らばさせたところ、もう一つの下り坂コースの方に行った。このコースは降りると谷になっている。道がつづら折りになっていて帰りはもっぱら上りだ。

天気は曇天だったが、気温も湿度も高く、外にただ立っているだけでも汗がにじんでくる。いつもだったら谷に降りたころでもすがすがしいのに、今日は谷に降りたところ、汗がじわじわと出ている。また、谷に降りる道すがら、人に会わなかった。風もなく、道も植物も夏バテをしているかのように、動かない。一層暑さを感じた。

谷には数件の住宅がある。その中に、別荘として使用しているお宅の庭先に、ムクゲの木があり、花が咲いていた。多分例年はもう少し後に咲くと思う。今年は早い。昨日、今日と、30℃を超え真夏だ。


今日見たムクゲの花は直径10㎝近くあった。ムクゲは、韓国の国家だそうで、欧米でも夏咲きの花木として親しまれているとのこと。不思議と花を見た瞬間は暑さを忘れた。


数日前にトリミングして夏バージョンのタロ。散歩後、手足のシャンプー後の姿。

タロの散歩が終え、家に帰ると、孫達は外出の準備をしていた。孫は今日はだいぶ慣れてきたが、孫たちは明日はもう帰宅する。

親から子、子から孫へと受け継いでいく、自然の摂理の愛おしさを感じる一日だった。
こんな時私の脳裏によぎることばだが、"C'est la vie"(セ・ラ・ビ=これが人生さ)。フランス語の中で最も好きな言葉だ。
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孫たちとの関わりができること。この瞬間のささやかな幸せ!

2018-06-27 21:30:31 | 日記
昨日、今日の両日、保育園に通う次男の孫(6歳)が、溶連菌感染症になり、通園禁止ということで、わが家で世話をしていた。孫は発熱もなく、症状は軽いのだろう、喉の痛みを感じる程度だ。また、併せて便秘気味なので、食欲が細い。とにかく水分補給だけはさせようと心掛けた。
だが,大人の思うようには、ならない。食事の時はあまり食べないが、おやつに妻がホットケーキを焼いたら、喜んで食べる。その時に併せて水分を取るように促す。こんなケアが2日間続いた。昨日の昼から抗生物質を飲んでいるので、明日は保育所に復帰できそう。一安心だ。

この孫が帰ってしばらくすると、長男夫婦が2歳の孫を連れてやってきた。人見知りする年頃だ。もっぱらママ、パパに抱っこされている。毎回そうだが、来た当日は慣れるのに費やす。次の日、やっとジジ、ババに慣れる。そしてすっかり慣れたその翌日、お帰りとなる。

今日は、孫はパパ、ママに交代で抱っこされ、ママ、パパは交代で妻と私の相手をしていた。
今、孫はパパと風呂に入っている。上がったら寝るだろう。


宴たけなわ。一休み。まだまだ続きそう。

孫が寝たら、大人の時間。そしたら、一昨年作ったウィスキーでつけた梅酒と今朝焙煎した豆を挽いて、入れたてのコーヒーを飲みながら、談笑しよう。

こんな具合で、妻と私とタロ(犬)だけの日常に、訪れた子や孫との関わりにささやかな幸せを感じている。今日のブログはこれで終了だ。悪しからず。
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半世紀前のオルゴール曲「太陽がいっぱい」と庭のくちなしの花

2018-06-26 20:20:14 | 日記
妻が持っているオルゴール付きの小さなジュエリーケースがある。黒い漆塗りの箱だ。ふたを開けると曲が鳴るはずだが、スイッチの部分が錆びついているのか、開けただけではならない。スイッチ部分を指でつまんで刺激すると、メロディーが流れた。
曲は映画音楽「太陽がいっぱい」。箱の裏にあるネジを巻く曲が流れる。ネジを一杯に巻くと回転数を間違えたレコード曲のようにテンポが速すぎて、曲の趣がそがれる。しかし、オルゴールが何回か周回し、ゼンマイが伸びきる寸前の方がゆったりとしたテンポで、この曲には合っている。


45年前のジュエリーケース(横21cm、立て10cm、高さ8cm)で、蓋を開けると「太陽がいっぱい」の曲が流れる。

さて、このオルゴールの話題が、出たきっかけを語ろう。数日前から、庭に「くちなしの花」が咲きだしている。45年ほど前に妻が働いていた職場の数人の仲間で、「くちなしの会」という個人的な集まり(いわゆる女子会だが)を創設したそうだ。全員が退職後も数年に一度どこかに集まって、いまもって親睦を図っている会だ。妻と私の間でも、くちなしの花が咲くと毎年「くちなしの会」の話題になる。


今年も咲きだしたくちなしの花。

改めて妻に、何故「くちなしの会」になったのか、聞いたのだが、「よくわからない」という。しばらく妻の昔話を聞いていいたが、妻が、「そいう言えば・・・?」と語りだした。「当時、おしゃべりばかりしていたから、誰かが、『くちなし』という名前を付けたのかもしれない」と言う。もしかしたら、会のメンバーでなく外部の誰かが、付けたのかもしれないという解釈もできそうだ。

その会で、会の思い出として記念品を残そうとして、メンバーの一人が、オルゴールケースを人数分買いそろえたという。曲が「太陽がいっぱい」だったとのこと。

太陽がいっぱいは1960年の映画だ。私も、「冒険者たち」といっしょに、アラン・ドロン主演の映画が好きだった。当時、フランス映画は、どこか哀愁、無常観が漂っている。日本と共通するものがあるという評論が、私のお気に入りの映画になった切っ掛けだった。

1960年代は私が10歳前半から20歳の初期時代だった。私達団塊世代にとっては、忘れられない人生の青春期だった。1964年の東京オリンピックを中心に高度経済成長期といわれた。しかし、1960年に日米新安全保障条約が締結され、安保闘争、学生運動が高まった時期でもあった。

その他、わが国の1960年代の出来事:NHK連続テレビ小説(朝ドラ)の開始(1961)。ビートルズ来日(1966)。NHK大河ドラマ開始(1963)。小笠原諸島返還(1968)。府中刑務所外での三億円事件(1968)。東大安田講堂占拠(1969)など。

世界の出来事:ベトナム戦争(1960~1975)。人類初の有人宇宙旅行(1961)。ベルリンの壁の設置(1961)。ケネディ大統領暗殺(1963)。中華人民共和国、初の核実験(1964)。日韓基本条約の調印(1965)。アポロ11号人類初の月面着陸(1969)。

国内外問わず半世紀前にあったことが、続いている事項もあれば、変わったことも。しかし、50年たっても課題が山積している。年月を重ねた割には、平和を求める人類として、努力しているはずなのに、成長しているのだろうか。先日の相良さんのことばのように、国境、人種、宗教を超えた平和がくることを願うばかりだ。
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