大峰山・八経ヶ岳(1,915m)
「~ 大峰山はわが国で最も古い歴史を持った山である。この山についての古記録は、枚挙にいとまがない。昔は山中に金を産するというので、金岳と呼ばれた。それが金峰山となった。甲州の金峰山、肥後の金峰山、その他諸国にある金峰山は、みなこの本山から蔵王権現を分祀して名づけられたものである。 ~」
(『日本百名山』深田久弥(新潮文庫))
三省堂の『日本山名事典(改訂版)』をひくと、読みが”きんぷさん”や”きんぽうさん”などの「金峰山」「金峯山」という山は、全部で12ありました。事典には、鹿児島県の「金峯群山」も出てきます。「薩摩山地北部に位置する金峯山・高倉山・中岳などの総称」とのことですが、いかにも金がたくさん埋蔵されていそうな名前です。
八経ヶ岳は、「わが国で最も古い歴史を持った」大峰山の最高峰です。世界遺産「大峯奥駈道」の最高峰にして、近畿地方の最高峰でもあります。大峰山脈のうち、山上ヶ岳とその周辺は今も女人禁制が続いていますが、八経ヶ岳はそうではありません。
何といっても、高いだけでなくとても奥まった雰囲気だったのが印象に残ります。
八経ヶ岳は登山口までが遠いです。近鉄の下市口駅から国道309号線を南下していきます。紀伊半島を南へ南へ進めば、いずれは海に出るはずですが、逆に山深くなる気配しかしません。
天川村に入り、洞川温泉への分岐を過ぎると、道幅が狭くなります。すれ違いの難しい場所もありますが、幸いにも対向車は現われません。ここは行者還林道を国道309号線に編入した区間ですが、名前が変わっても実態は林道のままだと思います。高い崖の岩石が、道にせり出しているところもあります。
行者還トンネルの入口に、登山口がありました。トンネルをのぞくと、反対側の光がかすかに見えていました。
登山道は、屋根の形をした橋を渡ると、急登が続きました。あちこちで木の根が張り出しています。足もとに笹が増えてくると尾根に出て、大峯奥駈道に合流しました。
普通の登山道から世界遺産の道に入ると、傾斜は緩くなって歩きやすくなりました。眺望の開ける場所もあり、三角のピークをいくつも連ねた大普賢岳が印象に残りました。台風の影響か、複雑に折り重なった倒木もあります。
木段・石段をこつこつこなすと弥山小屋が建っています。ここでも倒木が多く、その向こうに目指す八経ヶ岳がそびえています。
陸上で海から最も遠い点(または、海上で陸から最も遠い点)のことを、到達困難点といいます。日本で陸上の到達困難点は長野県佐久市にあり、海岸線からの距離はおよそ115km、「日本で海岸線から一番遠い地点」の標識が立っているそうです。
八経ヶ岳に登ると、実際にそうではなくても、ここが近畿地方の到達困難点と思わせます。地図上で最も到達することが難しい唯一つのポイントを正確に測ってみると、寸分たがわずそこに近畿地方で最も高い山があったというような、幾何的な不思議さすらあります。頂上に立つと、目に見えた人工物は山頂の剣と標識、それに弥山小屋だけでした。いくら探しても、それ以外のものは見当たりませんでした。
どこをとっても、遠くまで来たという空気をひしひしと感じる、とてもユニークな山でした。
来た道を戻り、この日は洞川温泉で泊まりました。大きな満月が山の向こうから昇って来るのが見えました。5月でも、部屋にはまだ炬燵が置かれていました。
(登頂:2012年5月初旬)