(つづき)
昼食後、大正池へ移動しました。槍や穂高の登山で上高地に行けば、徳沢や横尾は必ず通ります。しかし、大正池方面へは行ったことがありませんでした。バスの車窓から眺めたことがあるだけでした。
「~ しかし、多くの親しい訪問者のうち最も楽しかったのは、東京帝国大学の地震学教授、大森房吉博士で、彼は現在の地震学界を代表する最もすぐれた学者である。このときちょうど、彼は焼岳の状態を調査していたところだった。焼岳は、上高地温泉から二、三キロ梓川を下った地点の上方に、九〇〇メートル高くそびえる大火山である。彼の説明によると、焼岳の東方約八〇キロにあり、焼岳と同じ高さと性質を持つ、姉妹峰ともいうべき浅間山と焼岳との間には、隠された火山の火がどこか地下でつながっていて、そのため、この姉妹峰は規則正しく、交互に噴火を繰り返すのである。 ~」
(ウォルター・ウェストン著・水野勉訳『日本アルプス再訪』(平凡社ライブラリー))
活火山の焼岳がそびえています。立ち止まって眺めると、凄い山だと思います。眼前の焼岳と大正池は切っても切れない関係にあります。なぜなら、焼岳が大正4年に噴火し、泥流が梓川を堰き止めてできたのが大正池だからです。
さきほどの『日本アルプス再訪』には、
「~ 彼は噴火の起こることを予想したが、それはすぐに的中した。二年もたたないうちに、最近では最も激しい噴火が起きたのである。 ~」
とあります。噴火の激しさもさることながら、大森博士が噴火を予想して、それが間もなく的中したことに対する、ウェストンの驚きの現われではないでしょうか。
焼岳と浅間山が姉妹峰というのも、画期的な雰囲気がある記述だと思いました。
立ち枯れた木々が見られるとのことでしたが、思っていたより数が少なかったです。しかし、とても大きな樹が立ち枯れたまま残っています。上高地は雨も多く、冬には当然雪も多いのに、どうして倒れないのだろうと思います。また、水面では「第三長良丸」という平べったい船が操業中でした。船は大正池の浚渫作業をしています。毎年のこの作業がなければ、大正池は埋まってしまうといいます。
焼岳の威容はいつまでも残ります。もし大正池がなくなったら、この景観はどうなるのだろう?と興味が湧いてきますが、そうなれば再び大正池をつくることは出来ません。上高地の個性的な景観は自然ありのままではなく、人の手によっても守られているのです。
焼岳も凄いですが、水面に映っている穂高連峰がそれ以上に凄いと思いました。
砂の堆積しているこの辺りも、ずっと前は大正池の一部だったかもしれません。
大正池から田代池までは15分ほどでした。田代池には、六百山や霞沢岳からの伏流水が湧きだしているといいます。そのため、冬でもこの池が凍ることはありません。水は澄み切って、深さはほとんどないくらい浅く、手に取るように様子の分かる底の土は極彩色です。目の前にぱっと湿原が広がる瞬間の開放感が素晴らしく、穂高岳のコラボレーションも絶景です。
(つづく)