心が満ちる山歩き

美しい自然と、山に登れる健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山・街歩き・温泉・クラシック音楽‥‥

北アルプス 槍ヶ岳から笠ヶ岳へ(7) 槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳の頂上へ

2021年11月07日 | 北アルプス


北アルプス 槍ヶ岳(3,180m)・笠ヶ岳(2,898m) ((6)のつづき)


 槍ヶ岳山荘は棟をいくつも連ねた大きな山小屋でした。テント場は、風の通り道のような際どい感じがする場所にありました。
 槍沢を見下ろすと殺生ヒュッテがあり、稜線上にはそれより小さなヒュッテ大槍があります。大きなピラミッドの常念岳から蝶ヶ岳へ続く稜線が、なんとか雲に隠れずに見えています。
 山荘から槍ヶ岳を見上げると、とんがり帽子になっている山頂は左右対称ではなく、東側の方が急になっていることが分かります。
 頂上に向かっていくつも梯子があり、頂上を目指す人と下って来る人が両方います。
 目の前で、小槍が小さく盛り上がっています。
 「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを ~」で始まる、有名な動揺「アルプス一万尺」の「小槍」がこれです。標高はちょうど一万尺、3,030mです。名前は小槍でも、登るのは本物の槍ヶ岳よりずっと難しく、ましてや「アルペン踊り」を踊ることは不可能です。どうして童謡の舞台に選ばれたのか知りたいものです。高さがちょうどいいこと以外に理由はなさそうですが‥‥ アルプス一万尺の原曲は、アメリカの民謡”ヤンキードゥードゥル”です。有名なのに作曲家は不詳とされています。


 穂先へのルートは、ほとんどの部分が登り用と下り用が分かれた一方通行になっていました。高度感はありますが、梯子はしっかりしていて、どこをどうやって登ればよいかはとても分かりやすいと思いました。それにここには、谷川岳の西黒尾根のような滑りやすい岩も、鈴鹿の御在所岳のような着地点の分かりにくい地点もありませんでした。
 頂上は想像していたより広く、30人は優に立てそうでした。雲の切れ間から、前年登った鷲羽岳が見えました。何ともいえない安堵感の広がる場所でした。
 北に向かって伸びるのが北鎌尾根です。ここには普通の登山者が歩ける道はついていません。いかにも細くて険しそうな尾根です。
 昭和11年には『単独行』を遺した加藤文太郎が、そして昭和24年には『風雪のビヴァーク』の松濤明が遭難し、北鎌尾根は悲劇の舞台となりました。
 こんな危険なところは歩けませんが、後ですぐ思い出せるように目に焼き付けて帰りたいと思いました。そうしていると、何と北鎌尾根から1人の男性が登ってきました。自分も含めて、山頂にいた人は皆驚きの眼差しで彼のことを見つめていました。話を聞くと、今日の朝1時に麓の中房温泉を出発したというのです。
 北鎌尾根を登ったのは三十年ぶりだそうです。昔に比べると人の登った跡はよく分かるようになっているが、かといって登りやすくなったわけでもないとのことでした。
 人間業ではない出来事が普通の表情でたんたんと語られていました。すごいとしか言いようのない時間が過ぎていく気がしました。

 梯子を慎重に下り、この日は槍ヶ岳山荘に泊まりました。平日なので、それほどの混雑ではありませんでした。夕食のテーブルでは、大キレットを通って穂高まで行くという話があちこちから聞こえてきました。北鎌尾根ほどではなくても、大キレットのように難しい岩場は歩けそうにありません。明日は、西鎌尾根を双六小屋へ、さらに笠ヶ岳山荘まで歩く予定です。10時間近くかかりそうですが、長い距離を歩くことなら自信があります。登頂した達成感と、その先に次の楽しみがあるという両方の気持ちを抱えて寝床につきました。





 (登頂:2013年9月上旬) (つづく) 



1 コメント

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Unknown (馬鹿も一心です。)
2021-11-08 05:52:23
50年以上前、厳冬期の北アルプス縦走しました。
昭和42年12月
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/bb717885def9e9fa43431a7fcd8c3dab

昭和44年3月北鎌尾根登攀
懐かしい想い出。
8人いた同期は現在 私一人。
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