15世紀から17世紀前半にかけて、世界では船舶による新しい航路や新大陸の発見などが多く行われていました。一般的にこの時代のことを大航海時代と言われていることはご存知ですよね。この大航海時代以来、西欧列強と言われた国々は、世界各地に勢力圏を広げていき、自分たちより文明の遅れた国を、次々と植民地化して利益を一方的に搾取していました。
そういう時代が500年もの間続いていましたが、やがてその勢力はアジアの方へも広がって行きました。日本は、隣国の清が西欧列強の侵略にあっているのをまじかに見て、いずれ日本も飲み込まれるのではないか?と危惧するようになりました。そしてそれに対抗するために、226年間続いた鎖国体制を終わらせると、1868年に明治維新を行いました。
明治22年(1889年)には、大日本帝国憲法(明治憲法)を発布して、西欧列強に対抗するために強い軍隊をつくり、わずか20年足らずで、アジアで一番近代的な国に生まれ変わりました。
*アフリカ系の人を奴隷にする西欧列強。アジア系の黄色人種も植民地化され、利益を根こそぎ搾取されていました。
先にも触れましたが、アジア各地で植民地化が進む中、わが国は西欧列強に対抗するために、開国を拒む幕府側を討伐し、明治維新が起こり、大政奉還により第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)が1867年(慶応3)10月14日に、徳川氏265年間続いた政権を朝廷に奉還し、翌15日、朝廷がそれを勅許したことにより、明治天皇が誕生しました。
*明治天皇
全員では無いですが明治維新に関わった人達も写っている写真。
こうして、日本は、やがて朝鮮半島を狙うロシア帝国(のちのソビエト連邦)の侵略を防ぐために、日清戦争と日露戦争を戦って、最後はほかの西欧列強国も相手にして、大東亜戦争(第二次世界大戦)を戦いました。
*日清戦争の絵巻画
*日露戦争の場所と時系列
*日露戦争を戦った日本の武将たち
第二次世界大戦(大東亜戦争)勃発。1941年~1945年(昭和16年~20年)
戦争初期の頃は、世界で一番性能が良かったと言われた0型戦闘機(通称ゼロ戦)
しかし、日本はアメリカ軍によって広島と長崎に原爆を落とされたことと、ソ連の参戦(ソ連が日本との不可戦条約を破って参戦した)によって、もうこれ以上、戦い続けることは無理だと考え、昭和20年8月15日に、アメリカ・イギリス・中国・オランダ・フランスなどの連合軍に降伏しました。つまり、日本の敗戦です。
*昭和20年(1945年)8月15日の天皇陛下による玉音放送により敗戦を知る人びと。
終戦を機に、日本は連合軍に占領され、ポツダム宣言後の7年間は、占領政策を取られ、主権国家ではなくなりました。と同時に戦地に赴いていた人たちが続々と日本へ帰国してきますが、帰国時、持っていた持ち物はほとんど持って帰れず、金品物を含めて殆ど強引に没収されたり略奪されました。当時日本は、外地に多くの領土・資産を持っていましたが、戦勝国たちによって没収され、残った日本の領土は、日本本土(沖縄と小笠原諸島と北方領土は除く)だけになってしまいました。
*昭和15年(1940年)頃の日本の領土。
*当時、北方領土付近の日本の領土だったところ
当時、西欧列強に肩を並べる先進国の日本でしたから、外地に進出して、我が国の政府や民間企業が外地で莫大なインフラ整備などの投資をしました。例を挙げると、朝鮮半島の町なみは、日本が統治する前とした後では、すごい変わり様です。当時の写真を見るといかに財力を投入したのかわかります。ところでみなさん日本が朝鮮半島に投資した金額は、いくらぐらいあったと思いますか?
*日本統治前の朝鮮1
*日本統治前の朝鮮2
*日本統治前の朝鮮3
*日本統治後の朝鮮
当時の日本と朝鮮はお互いに仲良く協力し、日本政府と民間企業共に、学校・病院・ダム建設・道路・ホテル・図書館・橋・金融制度・上下水道・ガス・電気・博物館・郵便局・デパート・農業・司法制度・駅舎・より良い港・市庁舎などを朝鮮につくり、近代化を推し進めました。
日本が朝鮮半島に投資し残した莫大な資産
まず一つ目の例として、日本が朝鮮半島に投資し残した資産。GHQ資料などを基に産経新聞が試算した、昭和20年8月15日時点でわが国が朝鮮半島に残した資産の推定値があります。この記事では当時の金額(昭和20年)で891.2億円で、平成13年度時点での現在価値として16兆9300億円と試算しています。(これらは平成13年度時の資料です)
「■朝鮮半島に残した日本の資産■
(GHQ資料など/1ドル=15円)
昭和20年8月15日時点
朝鮮半島全体 891.2億円
北朝鮮 462.2億円
韓国 429.0億円
―――――――
現在価格(平成13年度時)
朝鮮半島全体 891.2×190=16兆9300億円
北朝鮮 462.2×190= 8兆7800億円
韓国 429.0×190= 8兆1500億円
―――――――
(注1)「190」は国内外の企業間取引の価格を測るモノサシである総合卸売物価指数。昭和9年から11年までの平均を「1」とした場合、平成13年は「666」。これを昭和20年の「3.5」で割った数値(日銀調べ)」
「その内、日本が韓国に残してきた資産は8兆1500億円。韓国政府が1949年3月に米国務省に提出した「対日賠償要求調書」によると、金や美術品など現物返還要求分を除いた要求総額は314億円(1ドル=15円)で、現在の価値に換算すると5兆9600億円。(北朝鮮地域の財産も一部含めた額)8兆1500億円-5兆9600億円=2兆1900億円。
敗戦時、戦後処理の為にお互い請求権を行使し計算すると、韓国側が日本に対して2兆1900億円も支払い超過になってしまう計算になります。」
(産経新聞 平成14年9月13日)
当時の常識として、植民地から独立する場合、旧植民地側が旧宗主国に対してお金を支払うのが常識でした!
インドネシアはオランダから独立する際、350年間のオランダ統治によってもたらされた、インフラや施設などの資産を使うことに対してや独立する為の権利獲得の代償として、旧植民地側が旧宗主国に対してお金を支払っていました!フランスによるハイチ独立への請求などもありました。当時としては常識だたことです。
ということは・・・
日本が、韓国や北朝鮮に対し戦前に投資した財産を単純に賠償返還請求すると、平成13年時の価格で16兆9300億円を請求できることになる。韓国だけの話にすると、日本は8兆15000億円を韓国に請求できるが、韓国が支払いにもしおおじた場合、1950年当時の韓国の歳入規模は、1ドルが360円として19億円程度になる。終戦時に日本が朝鮮半島に残した金額が産経新聞の言った通り、当時の価格で891.2億円だとすると、韓国は日本に対して、返済金の金利の支払いもできないことになります。
そこで1948年8月に元活動家で韓国の初代大統領になって大韓民国政府樹立を宣言した李承晩は考えました。韓国で日本が投資した朝鮮半島の資産を得て、なおかつ、賠償金も、もらえる立場を得ることはできないかと・・・。
*大韓民国第1代・2代・3代大統領 李承晩
そこで韓国はどうしたかというと、1949年にGHQに『対日賠償要求調書』を提出しました。さらに1951年にはサンフランシスコ講和会議に韓国も戦勝国の一員として参加することを要求したのですが、これは連合国に拒否されています。
無論韓国は当然の事実として、連合軍側の立場で無かったので、断られて当然である。それよりも、今まで仲良くしてた相手が負けたからって、すぐに寝返ってしまう変わり身の早さはどうかと思う! で、連合軍に認められなくても当初の考えを簡単に変える国ではなかったのです。
お金をだまし取るためになら頭を良く使う韓国は、日本と連合国との平和条約第14条の中の、「日本国が、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきこと」の文言を持ち出し、昭和27年(1952年)2月20日の、日本との第1回請求権委員会で、韓国の林松本代表が、「日本からの解放国家である韓国と、日本との戦争で勝利を勝ち得た連合国は、類似した方法で、日本政府や日本国民の財産を取得できる」と勝手に自分たちに都合の良い内容の文章をつくり、それを日本に要求している。
「やっぱり韓国は、昔も今もやってることは同じじゃん!」
この要望書により、韓国は日本に対して連合軍と同等の権利があり、朝鮮半島に残された日本の財産没収の正当性を主張しました。
本当にずる賢いですね!
「事実を語れない韓国」
韓国は連合軍に対し、日本の朝鮮併合中に「日本による協力と莫大なる投資や援助で近代化が進んだ事実」を認めるとなると、賠償金と日本の残した資産を獲得することの正当性を主張する論理が成り立たなくなるので、GHQの占領政策で「日本だけが悪かった」とするGHQの歴史史観に便乗し、「韓国も日本に酷い目に遭った」という嘘のストーリーを描いて、日本からを賠償金を取る戦略に出たのです。これらが、今も続く反日思想の根源ではないかと思います。だから反日をやめられないんですね!きっと。
韓国はそこまでして、日本が残した財産と賠償金が欲しかったのか、日本人の私には到底理解できません!
この後も、日本は周辺国に対して莫大な賠償金を払いましたが、其の賠償金については、今現在、多忙につき後日、追伸か第2部で載せたいと思います。
最後まで読んで頂き有り難うございます。
日本が外地に投資した場所の一つ、満州の動画映像も見てみてください!当時、日本政府とその民間機企業が手掛けたインフラ整備などの投資の凄さに注目してほしいです。
満州国・奉天《前編》The largest city in Manchukuo 1/2
満州国・奉天《後編》The largest city in Manchukuo 2/2
当時の日本の国力というか、色んなことに向かって行こうとする精神(開拓精神・チャレンジ精神)は、すごかったと思います!本当にすごいです!・・・個人の感想です!
Have a nice day!