広島旅行のダイジェスト☆彡
大和ミュージアムに行ってきました。
この潜水艦は、大和ミュージアムの2Fデッキから見た、向かいにある海上自衛隊呉史料館です(*^^)v
すごく大きなスクリュー!
戦艦「陸奥」の主砲身とスクリューと主舵等、建物に入る途中に引揚げ品などが展示されています。
ミュージアム内の最初にあるのが、戦艦大和があるフロアーです。
戦艦大和の大きさの1/10の模型です。
船尾からの画像です。
戦艦大和の当時の画像です。(GATAGフリー画像様より参照)
主砲は、船首と船尾の両方に、装備されていました!
主砲が、45度の角度の時には、砲弾が42km先まで飛んで行ったらしいです。(^^)/~
*参考に大和の詳細です。
基本情報 | |
---|---|
建造所 | 日本、呉海軍工廠 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦級 | 大和型戦艦 |
建造費 | 約137,802,000円 (1936年3月 艦政本部試算) |
経歴 | |
計画 | 第三次海軍軍備補充計画 |
起工 | 1937年11月4日 |
進水 | 1940年8月8日 |
就役 | 1941年12月16日 |
除籍 | 1945年8月31日[1] |
最後 | 1945年4月7日沈没 |
要目 | |
排水量 | 64,000トン (基準) 69,000トン (公試) 72,809トン (満載) |
全長 | 263.0m |
水線長 | 256.0m |
幅 | 38.9m |
吃水 | 10.4m |
ボイラー | ロ号艦本式缶12缶 |
主機 | 艦本式タービン4基4軸 |
出力 | 153,553馬力 |
最大速力 | 27.46ノット[2](公試成績) |
航続距離 | 16ノットで7,200海里(13,334km) |
乗員 | 竣工時:2,500名 最終時:3,332名 |
兵装 |
新造時 45口径46cm3連装砲塔:3基 60口径15.5cm3連装砲塔:2基 40口径12.7cm連装高角砲:12基 25mm3連装機銃:52基 25mm単装機銃:6基 13mm連装機銃:2基 |
装甲 | 舷側 410mm 甲板 200mm〜230mm 主砲防盾 650mm 艦橋500mm |
搭載機 | 7機(カタパルト2基) |
大和が実際に砲弾を撃っている画像☆彡
そして大和の最後は1945年4月7日に激戦区の沖縄に向かう途中の坊ノ岬沖海戦(鹿児島県)でアメリカ軍の攻撃を受けて爆破しながら沈んでいったそうです。(>_<) 大和が攻撃を受けた数は、いろいろありまして、日本側は魚雷・爆撃合わせて12~17発に対して、アメリカ側からは、15発~爆撃隊によっては、30~38発ほど撃ち込んだと、結構幅があります。
こちらか「海龍」と呼ばれる、日本の試作型潜水艦です。
映画「男たちの大和」のセットで使われたらしいです。
砲弾の色々
実物の人間魚雷「回天」などが展示されているのが、10分の1大和の奥のフロア。
特攻兵器である人間魚雷。この中に入る人は、どんな気持ちで臨んでいったのかを考えさせられます。 (回天Wikipedia)
*こんな兵器は、決して無い方がいいけれど、本土を敵国に攻め入られ、輸送船や船舶を撃沈され、多くの命が犠牲にされ、本土をも攻撃されるかもわからない時に、家族や他の人々を守る為に、わが身を犠牲にして不本意だったかもしれないけど、敵艦に向かわれた行動には敬意を払います。・・・日本を守る為に有難うございました。
琵琶湖から引き揚げられたゼロ戦
終戦直前の8月にエンジントラブルで琵琶湖に不時着し沈んでいたものを1978年に引き上げて修繕復元したゼロ戦。
レプリカではなく、本物を修復したものです。
このコックピットに乗り込んで、操縦をしてたんですね!
余談ですが、2017年5月に完読した著書「これだけは伝えたい 武士道のこころ」の一説からですが、1979年(昭和54年)12月、韓国の中学校教頭をしていた張志学氏の自宅に、名越氏(大学教授・その他)と日韓教育文化協議会の草開省三氏が招かれました。その時、名越氏は張氏に次のような質問をぶつけました。 「大東亜戦争(太平洋戦争)をどう思われていますか?」
「良い質問ですね。ただ私には少し難しい質問です。」張氏は、前置きをしたうえで語り始めました。
「いつか日本の方々にお知らせをしたいと思っていた話があります。ぜひ聞いて頂きたい。 私は教頭になる前に視学官をしていました。その時韓国では珍しい女性の小学校の校長がおられました。 なかなか優れた方で、男性教師からも尊敬されていましたが、その方は未亡人で子供がいらっしゃりませんでした。 実は校長のご主人は、韓国ではあまり言えないのですが、特殊隊員として沖縄で戦死したのです。ご主人は航空隊に入隊すると、死を覚悟したのか、自分の出身校を訪れ、校庭に桜の木を植えたのです。今ではその桜の木も大きくなっていますが、校長が赴任した小学校は、ご主人が桜を植えた小学校だったそうです。
校長は言っていました。・・・「寂しいときは桜の木の下に立つと心が安まる」と。
私はこの話をぜひ日本人に伝えたいと思い、ソウルにいる日本の新聞社にそれとなく伝えると、朝日新聞の記者が校長のもとへ取材に訪れました。 校長が記者を桜の木の下に案内すると、「日本の軍国主義がご主人を騙して申し訳ないことをしました。」と記者が述べたそうです。(>_<)
いつも温厚で謙虚な校長でしたが、「騙した」という言葉に激怒しました。「私の主人は騙される人ではありません!自分の意志で特攻隊として出撃したのです。騙されたというのは、人間に対する侮辱です。取材はお断りします。」 これが私の大東亜戦争(太平洋戦争)観です。」
張氏は、この話をすると、あとは何も語らなかったそうです。張氏の発言に同席した名越・草開両氏も深い感銘におそわれたという。
先の戦争や特攻隊を後付の知識で評価するのは簡単ですが、そのこと自体を評価するより、当時、かかわった人や周りの人達の気持ちを考える方が大切だと思いますね。(*^^*)
お土産屋さんには、色んなものが置いていました。(^^♪
でたー(#^^#)海軍さんのカレー☆彡
見てて楽しくなりますね ^^) _旦~~
次に海上自衛隊呉資料館に行きました。
こちらは隊員の代わりに機雷に近づき作業をする海中ロボット。
潜水艦の中は、空間が限られているので、省スペースで考えられているのですね!
コンパクトですね。
船外活動用の潜水具ですね。
自衛隊の皆様方、いつもご苦労さまです。
それでは皆様。 Have a nice day!
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