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☆鶉野飛行場跡を探索☆

2017-03-28 21:28:30 | 史跡/鶉野飛行場跡

今日は、宝塚市に仕事の関係で寄ったついでに、ちょっと加西市まで足を延ばしてみました。

やって来た所とは、じゃじゃ~ん・・・!兵庫県加西市の鶉野飛行場跡(うずらのひこうじょう)です。

何か整備前のまっすぐな道に見えますが、これが70年ほど前に飛行機の滑走路として使っていた飛行場なんですよ。

「加西・鶉野(うずらの)飛行場」
戦後70年以上の月日を経て、今に残る戦争遺跡群、
大戦当時の規模と姿を今に残す全長1200メートルのコンクリート製滑走路、
そして、海軍最後の戦闘機『紫電改』がここで造られました。

 

 

当時の施設概要

姫路海軍航空隊基地施設

  • 基地名:姫路海軍航空隊其他(陸上)
  • 所在地:兵庫県加西郡九会村・下里村
  • 創設年月:昭和17年12月
  • 航空隊開設:昭和18年10月1日
  • 完成年月:昭和19年5月
  • 面積:2,531,040平方メートル
  • 滑走路:飛行場滑走路 1,200m×60m 1本
  • 主要機種:中・小型練習機(97式艦攻.93式中練)
  • 格納庫:(木造)9.157平方メートル 40m×120m2棟(4×4)
  • 兵舎:約8.919平方メートル
  • 収容施設:庁舎2,092㎡ 送信所179㎡ 講堂1,756㎡  移住施設6,200㎡(1,200人) 工業場1,580㎡ 倉庫1,454㎡
  • 防空施設:対空機銃25mm連装4ヶ所・単装2ヶ所

川西航空機株式会社姫路製作所

  • 工場名:鶉野組立工場
  • 所在地:加西郡九会村・下里村
  • 工場創設:昭和17年7月 日本毛織より川西航空機へ 。昭和19年8月 鶉野組立工場落成式
  • 工場面積:約93,500㎡
  • 生産機種:「紫電」446機製造  20年3月より「紫電改」生産開始 44機製造
  • 工場施設:第一組立工場 1,650㎡ 第二組立工場 185㎡ 2ヶ所 第一格納庫 875㎡ 第三格納庫 940㎡ 飛行指揮所・兵器庫・プロペラ調整室・点火栓室・管制器室

終戦後に残存した航空機

  • 紫電 57機
  • 紫電改 13機(他に未完6機)
  • 零式練戦 3機
  • 白菊・彗星・銀河・90式陸練・陸軍高連各1機、93式中練2機

 

 

「鶉野飛行場資料館」
第二次大戦に使用された滑走路横にある鶉野飛行場資料展示館、
当時の鶉野の歴史やパイロット、紫電改などに関する資料を展示しています。

住 所:〒675-2103 兵庫県加西市鶉野町2193
開館日第1・第3 日曜日 10:00 ~ 15:00

あいにく本日は、休館でした。

当時、紫電改の整備の時に使っていたらしい整備代が展示してありました。本物がまだあるとはすごい。

 

注)右翼ではないですよ(笑)

 

元滑走路横には、慰霊碑と日章旗がありました。慰霊碑の横には、桜の木が幾本かあるので開化の頃は

綺麗でしょうね。今はまだ、膨らんだつぼみでした。(撮影日H29年3月28日現在)

当時の画像です。

 

地下防空壕

防空壕はコンクリート造りで2部屋あり、東部屋が縦3.7メートル、横4.7メートル、西部屋は縦3.7メートル、横3.1メートルです。 両部屋とも天井はドーム状で、高さは最大約3メートル。壁は厚さ約1.5メートルの部分もあり、頑丈に造られています。

 

部屋と地上を結ぶ通路は2ヵ所にあり、それぞれ全長約10メートル。外から爆風が入り込んでも部屋まで届かないよう、各通路には曲がり角が3ヵ所あります。 この防空壕は、周囲に地上指揮所や、戦闘機を収納する格納庫があった状況から、空襲時に退避できる地下指揮所だったと推測できます。 また、防空壕内では戦闘機の模型や現物のタイヤ、写真などを展示、戦争関連映像も見られます。

中に入るのには、要予約が必要みたいです。残念・・!

入場料:無料

問合先
見学は7日前までに事前予約が必要です。加西市観光案内所にお申込みください。
※地下防空壕は民家の敷地内にあります。
加西市観光案内所(北条町駅内) TEL:0790-42-8823(8:30~17:30)

入場料:無料

姫路海軍航空基地跡の爆弾庫跡

大東亜戦争当時に機関銃、爆弾等の保管場所として使用され、頑丈なコンクリートは今なお強度を保つ。*大東亜戦争とは、日本や東アジア諸国の人が使っていた呼び方で、太平洋戦争のことです。1945年に日本が敗戦した時に、アメリカの占領政策として、GHQが色んなものを使用禁止にしたため仕方がなく、アメリカの言い方で現在にまで至ってるのが現状みたいです。・・・(これ以外に教育勅語や八紘一宇など沢山あるみたいです。)

なんか山手の大きな家の掘り込みガレージみたいですね!

ものすごい分厚いコンクリートで造っていました。厚みは1mぐらいはありそうです。70年前に造ったとは思えないぐらいに、とてもしっかりしていました。

素掘防空壕跡

素掘りの防空壕が残るのは日本でも珍しい。内部はコの字形に曲がり別の入口につながる。危険なので進入禁止。

防空壕跡

大東亜戦争末期に敵戦闘機の攻撃を回避するためにコンクリート構造で爆風に配慮された通路と内部は凸型に屈曲しており、2箇所の出入口でつながる。

防空壕の中は真っ暗で、少し行くと曲がって中で繋がってるんだけど、とても暗くて怖かったので反対側にはいけませんでした。

 

機銃座

戦時中は25mm連装機銃を装備し、飛行場の空を守っていた。戦後、長年放置され土砂が堆積し地下の弾薬庫は水浸しになっていたが、地元住民や自衛隊青野原駐屯地の隊員らが協力し、掘り起こされました。

中に降りていくと、こんな空間がありました。

 

神戸大学大学院農学研究科附属食資源教育研究センターの敷地の中にも、防空壕らしきものがありました。この辺の農道で映画「火垂るの墓」の撮影ロケがあったらしいです。

 

こんなところもありました。

 ここには、姫路海軍航空隊基地施設があったので、散策するとコンビニを探すぐらいの感じで、戦争史跡に巡り合えました。そういうことなので、加西市も町おこしのために力を入れて取り組んでいるみたいです。

 

こんな風に、機銃掃射で、空からの攻撃に備えていたんですね

それでは今回はこの辺で失礼します!   Have a nice day!

 

 



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