外来翌日からステロイド(プレドニゾロン)を増量・調整しています。
それまでの一日1mgを2mgにしたり3mgにしたり、
様子を見ながら増減しています。
3日後には関節の強張りがほとんどなくなり
関節痛も軽減してきています。
薬の力はすごい
で、本題
血液検査ですが、血球はほぼ標準値
までは良かったのですが
「 WT1 が58です」
「え~~ 」
「前にも言いましたけど、これくらいの数値はよくある事なので気にしないでください」
「はい・・・・・」
(いやぁ~ 気にするでしょ!)と心の声
たとえ僅かな数値でも出た以上は気にするよ
私にとって WT1(腫瘍マーカー) は命のバロメーターみたいなもの。
次回は50以下でありますように。
入院し、少しずつ移植にむけての検査を行なっています。
今日は、前処置について聞きたいと思いました。
最近説明を受けて、「前処置(抗がん剤治療)は移植日の3〜4日ほど前から」ということだったのですが、甘夏さんの場合もそのようなスケジュールだったでしょうか?
白血病だった方の闘病記は読むことがあり、もっと早い段階で抗がん剤治療を始められていたのですが、MDSの場合はそこまで早く治療をしなくてもよいのだろうか、と思っています。
また、「この時期が本当に辛い」という話を聞いたのですが、抗がん剤治療からいつ頃までが大変だった時期だったでしょうか?
辛かったご経験を思い出させてしまい、申し訳ありません。
ただ、その時期を乗り越えられるように、これまで希望が湧く言葉を集めたり闘病記を読んだりしていたので、今のところは、池江さんグッヅなどにしがみついてでも、しっかりと耐えていきたい、と思っています。
点滴用のPICCを右上腕に入れ、翌日から抗がん剤。
たぶん二種類。放射線なし。
6日間抗がん剤を入れ、翌日に免疫抑制剤の点滴。抗がん剤を始める2日前と、初日に数種の薬の内服もありました。
抗がん剤3日目くらいまでは症状もなく、楽に過ごせましたが、その後徐々に表れて1週間ほどで脱毛が一気に早まりました。シャワーでごっそり抜けたのはびっくり。排水口の掃除は禁止なので、そこに溜まった毛髪を清掃の人に掃除してもらうのが申し訳なかったです。
粘膜障害、不眠、首の痛み、吐き気、頭痛など
個人差はありますが種々の症状が出てきます。
辛いなりにも有難いことに今の時代は
医療用麻薬や吐き気止めが十数年前に比べるとはるかに良くなっているそうで、
ひと昔前に移植した人はもっと苦しかったんだと思うことで少しは救われました。
麻薬は大量には使ってもらえませんが、痛みの緩和にはかなり貢献してくれたと思います。
私の場合、熱はあまり高くなりませんでしたが、頭痛薬が効かず、頻繁にアイスノンのお世話になっていました。
辛い時期はブログもメモも記す元気がなく、空白の期間です。
その頃のブログを振りかえってみても1ヶ月くらい更新していない時期があります。
その時期に頻繁にブログを更新できるほど体力がある人はそんなにはいないよ、と医師も言ってました。
もし私の過去のブログを見ることが可能でしたら、
2020年1月10日から移植前処置の記事が始まっていますので、よかったら見てください。
今日は休日で病院内はいつもより静かでしょうか?
私も当時を思い起こしています。
私の病棟は12階、しかも無菌病棟だったので平日でも外来の喧騒とは関係ないのですが、それでも休日は何となく普段より静かでした。
いよいよ移植
不安でいっぱいかもしれませんが、本当にしんどくなると不安も怖さも考える気力もなくなり、ただただ時が過ぎるのを待つのみ。
そして時が経てば記憶にない部分も。
昨日、テレビで佐野史郎さんも似たようなことを言ってました。
成り行きに任せるしかないのですが、
苦しい、辛い症状はきちんと医師や看護師に伝えて、少しでも楽に過ごせるようにしてください。
たぶん、スタッフ全員が心得ていて、言わなくてもいろいろ配慮してくれるとは思いますが。
味覚障害や粘膜障害が出ないうちに、食べたいものをいっぱい食べて体力をつけて下さいね。
少しでも苦痛が少なく、一日も早く生着することを祈っています。
頑張ってください。
質問に答えていませんでしたね(⌒-⌒; )
抗がん剤の種類や量は進行度や症状、年齢、体力などでまちまちだと思います。
私の場合は移植8日前にPICC、7日前から6日間抗がん剤、前日に免疫抑制剤でした。
その病院の無菌病棟は全て広い個室(個室料無し)だったので気楽に過ごせて、不眠が続く時は消灯後もテレビを見ることも出来ました。テレビもずっと無料です。
パソコンも持ち込んでいましたがWi-Fiが弱くて動画は途切れ途切れでした。
クイズの本なども買いましたが、一番しんどい時期はテレビも動画も本も触る元気はなかったです。以上追加です。
私の場合、まだ移植の何日前から何をする、という詳細なスケジュールは聞いていません。
(無菌室に行く時期は示されています)
ただ、カテーテルは1週間〜2週間前に付けて、数日前から抗がん剤を開始して、免疫抑制剤は移植後から開始ではないかと思います。
ご返信を読ませていただくと、治療をいつどのように行うかは、患者の症状や年齢によって本当に違うのだな、と思います。
今回はもう一点だけにしますが、質問させていただきたいと思います。
資料や病院でお世話になる方の発言で、移植は「命懸けの治療」と言われることがとても多いのですが、やはりそれぐらいとても辛い治療だったと思われますか?
というのも、白血病だった方に相談したところ「辛さは、よく体験記などで読むものの8割くらい」と言われたこともあるのです。
自分が、色々な体験記や人の話で情報を入手しすぎなのかもしれません。
そして、どれだけ辛いかも、人によって違ってくるのだろう、とも思いますが…
辛い時期がいつ頃まで続くかは、GVHDの出方によっては違うと思うので、移植後100日くらいは何かしらあるのだろう、と少し長めに考えておこうと思っています。
(すみませんが、甘夏さんの過去の記事は見方が分かりませんでした)
そして、吐き気へは強力な吐き気止め、GVHDへは免疫抑制剤(私はフルマッチではないので少し多めに使うと言われています)、口内炎にはうがい薬、と対策が取られているので、様々な副作用を過度に怖がりすぎる必要もないのでは、という風にも思っています。
休日は、病棟は少し静かめです。
でも、それでも休日返上で私たちのために働いてくださる看護師さんたちに感謝だと思います。
あと、この病棟では平日昼間は多くの看護師さんが勤務されていて、すごいなと思います。
今は大部屋なのですが、来週から個室です。
早く、周りを気にせず自由に過ごしたいと思いますが、そのときには食事制限が始まります…
そちらも体調を見つつという状況の中、毎回丁寧に、本当にありがとうございます。
お大事にしていただけたらと思います。
誰を基準に8割と言ったのかは分かりませんが、
体力が最も落ちた頃は
このまま翌朝目が覚めなくてもいいかな と思うこともよくありましたが、周りで頑張ってくれている人たちの手前、そういうことを口にしたことはありません。
毎日確実に医師など数人の人と話したり、シャワーを使ったり薬を飲んだり・・・・・
決して寝たきりではなかったはずですが、不思議と痛みや苦しさは思い出せず、数日間は暗闇のなかでベットに沈み込んでいたような感覚が残っています。
私は抗がん剤のあとの味覚と嗅覚の障害や吐き気が酷く、ほとんど食べられないのと合わせて、口内の粘膜障害を防ぐための緑色のジェル状の薬がどうしても飲めなくて、口内や食道の粘膜から出血し胃に溜まれば血を吐き、腸まで行けば真っ黒な墨汁のようなものを排泄。
たぶん、GVHDも絡んでいたと思います。
私もフルマッチではなく、1座違いの移植でしたので医師もGVHDをかなり心配していました。
高齢でもありGVHDで命を落とす場合もあると言われました。
私の場合は粘膜、胃腸、頭痛、不眠、関節痛などでましたが、医師がうまく薬で調整して軽くしています。人によっては肝臓、腎臓などにも表れるので、移植の辛さのバロメーターは無いと思います。
GVHDは少し残るくらいの方が再発のリスクが少ないそうです。
その時はつらくても、退院して家で過ごせるようになればその記憶は薄らいできますよ。(^^)v
その代わり、食べ物、ペットや日常生活の制限は多々ありますが、四季を愛で家族と過ごすことで辛さはずいぶんと軽減されると思います。
先ずは退院することを目標に頑張ってください。
私の過去のブログですが、パソコンでしたら画面左の「バックナンバー」から、
スマホの場合、記事の一番下まで行くと 「一覧」 がありますのでそれをタップ、次の画面でアンドロイドはそのまま、iPhoneは少しだけ上下にスライドするとどちらも上部に「新着順」とか「月別」などの項目が現れますので適当に選んでタップしてください。
コメントは大歓迎ですが、即返信できないことが多いと思いますのでご了承ください。
ではまた。
ブログのバックナンバー、見ることができました(ちょっと操作すれば見られましたね^^; )。
抗がん剤治療開始時点から、本当に大変だったのですね…
ご返信の方へも、思い出して書いていただくことになってしまい、すみませんでした。
読んだ体験記でも、「周りの人に移植の時期のことを聞いても『よく覚えていない』と言われてしまった」という内容があったように思います。
きっとそれくらい、辛い時期なのだろうと思います。
自分も、覚悟したいと思います。
そして、どんなに辛くても、命の光を小さくても輝かせながら、クリーンルームの時期を乗り切りたいと思います。
先日、栄養指導があって、「外泊の時期にはこうなる」「退院の段階はこうなる」というような話を聞きました。
今はこれからの治療やその副作用が気になります。
でも、それはずっと続くものではないのだから、その先の生活を目指していかなくちゃ、と思います。
お互い、体調に留意しながら穏やかに過ごせていけたら、と思います。