気の向くままに

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至尊(天皇)といえども…

2017-06-10 21:44:10 | 日記

 「至尊(しそん)(天皇)といえども人類なれば、その欲(ほっ)せざる時には何時にてもその位より去るを得べし」。こう主張したのは皇室典範を起草した井上毅(いのうえこわし)だった。1887年、東京・高輪の伊藤博文(いとうひろぶみ)邸での会議の席である。

▲典範草案は天皇が重患の時には譲位を認めたのに対し、伊藤は「天皇の終身大位に当たるは勿論なり」と譲位を否定した。井上の先の言葉はそれへの反論だが、伊藤は天皇の個人意思に皇位を委ねるべきでないと譲位規定を削除する。

▲こうして国民はもちろん天皇の目も届かぬ元勲たちの会議で決められた皇室典範は近代の天皇の退位を認めなかった。そして今、実に200年ぶりとなる天皇の退位を実現するための特例法を成立させたのは主権在民下の国会だった。

▲元勲らの議論のいう「人類」たる天皇と安定を要する国家制度の皇位との矛盾を宿した近代天皇制である。象徴天皇のあり方を身をもって示してきた天皇陛下が、「おことば」ににじませたのは現代民主国家におけるこの問題だった。

▲「国民の理解と共感」がキーワードとなった以後の議論である。退位は皇室典範改正でなされるべきだとの筋論は最後まで残ったが、国会は「将来の先例になりうる」との政府答弁をふまえて特例法を“国民の総意”へとまとめあげた。

▲主権者たる国民一人一人が象徴天皇制のあるべき姿を陛下の歩みを振り返りながら考えたこの10カ月だ。付帯決議のいう皇位の安定的継承にむけた今後の取り組みも、むろん元勲なしでやっていける。

 

<👀も> 近藤さんから電話あり

 「誰だかわかる?」「・・・近藤さんでしょ。今どこですか?名古屋or金沢?」「金沢にいる」。「じゃ、顔を見に行っていいですか?」「足も手も動かなくなって、ミヤちゃんに教えてもらったインターネットで囲碁をしているだけ、息をしているだけ。インターネットを教えてもらってありがとう」

 6年ぶりの会話である。

 「足も手も動かなくなって、息をしているだけ」「明日帰る」と聞いたので、これは顔を出してこなくちゃと夕方お邪魔してきた。玄関には鍵がかかっていたので、携帯で伝えたら、「今、開けるよ」。奥さんが出てきて「私も膵臓がんで肺に転移していて余命数か月と言われている。主人には内緒にしてある」とのこと。見たところ元気そうであったが。

 とにかく、家に上がってご対面。やせ細っていて、声も小さい。「来てくれてありがとう」と握手を求められた。

 こんな場での話のタネは?と考えて、かって、穴水での楽しかったことを話題にした。

 「別荘とクルーザーとキャンピングカーをもっている者は今もなかなかいないよ」と彼は言う。

 小生がヨットを持ったのは彼に勧められてのことだった。「いつでも使っていいよ」と別荘のカギを渡されていた。

 昼は、午前に釣った魚の刺身と買い込んだ肉でのバーべキューがマリーナでのお決まりだった。近藤さんはビールや酒の横綱級だった。夕時になって別荘に移って、ビールや酒を飲みながら囲碁をしたあと、備え付けのカラオケもお決まりのコースだった。キャンピングカーで軽井沢~草津温泉~白根山~妙高へも行った。

 しがないサリーマンであった小生が出来る経験ではない。近藤さんのお蔭さんである。

 彼は月、水、金とリハビリに通っているとのこと。リハビリしている仲間に気に食わない人がいるからと、リハビリ施設を何か所も変わったとの奥さんの言。「今のところも気に食わないのがいるよ」と彼が言う・・・・。

 「金沢へ来たら知らせてね」と言って席を立った。玄関の外で奥さんが自分の病状や覚悟を5分ほど明るく話された。奥さんは、看病に行っていた名古屋から住所を移したとのこと。

 人生の終末は人それぞれの態様があると思いながら帰ってきた。 


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