気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

ゆく年くる年

2014-12-31 07:27:00 | 日記

安倍晋三首相は29日、東京・六本木のホテルで年末年始の休暇に入った。

 元日に皇居での「新年祝賀の儀」に参列するほかは静養に充てる考えだ。ホテル滞在中は歴史小説「決戦!関ヶ原」や、台湾の李登輝元総統の「李登輝より日本へ贈る言葉」などの読書に挑戦する。

 年明けはゴルフを楽しむ予定。5日は三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝し、同市で年頭記者会見に臨む。

とのこと。(2014.12.29 20:41 産経)

不急不要のご注進を避けて、ホテルでひとり自身の滋養涵養に充てるのだろう。。

 

時間は万人に等しく流れ、その使い方は人それぞれである。

 ずいぶん前のことだが、独りヨットで海に出てボーっと過ごしたり、自家用車一人旅などしてきた。穴水セーリングクラブには、競技に出るヨットマン、北海道やウラジオストックまで独りヨットを走らせる人(御年73歳)、釜山までご夫婦でセーリングする人、豪華なヨットを持っていながらほとんど陸揚げしたままの人がいた。

 八日間、自家用車一人旅では、スーパーやコンビニで買い物する時以外は会話はない。道の駅、市役所の駐車場、コンビニの駐車場、海岸での車中泊。満足な食事とゆっくり風呂入るための温泉宿は車中泊以上に侘しかったことなどを思い出していた。

さて、平凡な一年であった。来る年も平凡ながら、良い時間を多く持つよう心がけよう。


【2014年世界驚愕ニュース10】

2014-12-30 08:29:48 | 日記

8日、環境保護団体グリーンピースがナスカの地上絵の付近でつくった巨大メッセージ(グリーンピース提供・共同)

 

世界を揺るがすさまざまな事件や事故が駆け巡った2014年。重大ニュースにはランクインされないが、世界中の人々に語られた出来事がある。セレブのヌード写真流出、スポーツイベント中のスキャンダル、そして、独裁国家の不可思議な実態…。今年、話題となり、世相や各国の社会事情を映し出した「2014年世界驚がくニュース10」をまとめてみた。【2014年世界驚愕ニュース10】産経


(1)【五輪と野犬、トイレ】
ソ連時代を通じて初めてロシアで開催された冬季五輪。プーチン政権は巨資を投じて、世界中のアスリートや観客が招き入れたが、玄関口の空港で出迎えたのは、野犬の群れだった。
競技会場にも選手村にも、宿泊エリアにも野犬、野犬、野犬…。ソチ市役所は駆除に乗り出し、一週間かけてほぼ完了した。駆除は夜間に実施され、毒が付いた吹き矢で野犬を殺したのだという。動物愛護団体から批判がわき上がった。・・・

(2)【W杯の疫病神】
多くのドラマを生んだサッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会。最も印象的だったのは、王者ブラジルが準決勝でドイツに1-7と予想外の敗北を喫したことだろう。・・・

(3)【APECブルー】
11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)の期間中、普段はスモッグに覆われている北京に、見違えるほどの青空が広がった。
同じ国際的なイベントでも、1カ月前、微小粒子状物資「PM2・5」の大気中濃度が危険水準を超える中で行われた北京国際マラソンの時とは大違い。中国政府は、北京や周辺地域にある工場の操業を停止させるなどの「空気品質保障工作」を取り、APECブルーを実現させた。・・・

(4)【香港デモ隊のバカへ】
古今東西、反政権デモは、為政者や近親者の破天荒な言動により、火に油が注がれる。香港で続いた民主化デモもそうだった。・・・

(5)【ドラえもんは侵略者】
9月末から10月初めにかけて、複数の中国紙に人気アニメ、ドラえもんの批判記事が展開された。
「われわれの両目をふさごうとするドラえもんに警戒せよ」

 「われわれの痛みをドラえもんでごまかされるな」

 掲載のタイミングが一致しており、メディアを管理する共産党宣伝部の指示があったことが推察される。・・・

(6)【北の刈り上げ命令】
2014年3月、北朝鮮当局は国内の男子大学生に対してある命令を出した。

 「偉大な指導者と同じ髪形にせよ」・・・


(7)【女優の自分撮りヌード流出】
9月、米アカデミー賞を受賞したジェニファー・ローレンスさん(24)ら有名女優や歌手らの私的なヌード写真などがインターネット上に流出し、米連邦捜査局(FBI)が捜査に乗り出した。米アップルのデータ保管・共有サービスの「アイクラウド」のアカウントがハッキングされたのだという。・・・

(8)【やりたい放題のナンパ師】
 “痛い人”たちは2014年も世間を騒がせた。

 「ナンパの達人」を自称し、米国を拠点に女性をおとす方法を教えているジュリアン・ブランク氏。3日間で約2000ドル(約25万円)の料金がかかるセミナーでは、受講生の男性らを前に「東京で白人男性はやりたい放題だ」と言いふらした。・・・


(9)【グリーンピースへの脅威】
 “痛い”人たちの行き過ぎたパフォーマンスは世界遺産をも冒とくした。

 国際環境団体グリーンピースは12月、ペルーのリマで開かれた気候変動枠組み条約第20回締約国会議(COP20)に合わせ、世界遺産「ナスカの地上絵」の付近で、布で作った文字を並べて気候変動に関する巨大メッセージを伝えた。・・・


(10)【号泣会見への意外な感想】
日本からは、ネットユーザーが選ぶ2014年の「ワースト謝罪会見」の2位にもランクインした元兵庫県議の野々村竜太郎氏を挙げたい。

 政務活動費問題の釈明会見で、「うあああああ」と激しく号泣する姿は、世界中に打電され、英BBC放送の電子版サイトでは一時、トップ級の扱いに。動画は英語やスペイン語にも翻訳され、パロディー版も登場した。・・・

 

http://www.sankei.com/world/news/141230/wor1412300002-n1.html

 

 

<memo> 野鳥用にと庭木に吊るしておいたミカンが食べられていた。


養老孟司×隈研吾 日本人はどう死ぬべきか? 第4回

2014-12-29 12:15:39 | 日記

 

昆虫の研究のためにアジアの秘境にも出かけていく養老先生。建築の仕事のために世界を飛び回る隈さん。お互い飛行機に乗る恐怖はないものの、養老先生の理想は「ラオスに死す」。一方、隈さんは巨大な建築を建てた偉大な建築家が、晩年を過ごしたひっそりとした小屋に憧れを抱きます。連載第4回です。

今回の対談は「死」についてがテーマでしたが、前回はどんどん「葬礼文化」についての話になりました(笑)。

養老:いや、「死」そのものについては語ることがないんですよ。だってそれは、あるようでないようなものだから。共同体から言えば、誰かがいなくなるということですけど、本人から言えば関係ないんだもの。自分が死んでも困る自分はもういないよ。

隈さんもそう思いますか。

:まあ、そういうふうに思わないと、毎日、転々と国境を越えて、日替わりで違う国で仕事をしていく、なんていう日々は送れませんよね。

なるほど。では、養老先生は、こういうお墓に眠りたいという願望はありますか。

養老:それも全然ないよ。どういう死に方がいいかと聞かれたら、ラオスに昆虫採集に行って、飛行機が落っこちるのが一番いいかな、ぐらいかな。よく落ちるんだよ、ラオスは。去年は2回落ちたの。知っている? 


養老先生は「ラオスに死す」が理想とおっしゃいましたが、隈さんはいかがですか。

:別に、何もこだわっていませんね。

死ぬ場所も、死に方も、こだわりがないですか。

:全然考えないですね。


そんな隈さんにとって、年を取っていくロールモデルはあるんですか。

:おやじは85歳まで生きたし、母方の祖父母は90歳、100歳まで生きました。だから、僕は彼らと並走した感じはありましたね。

そちらのお祖父さまは、畑仕事が好きで、自然に寄り添うのをよしとされた方ですよね。

:その母方の祖父は、東京の大井町で90歳過ぎまで開業していて、週末は畑仕事をしていた。彼は90歳を過ぎても患者を診ていて、患者は怖くないのかな、と僕は思っていました(笑)。まあ、ほとんど会話はないんだけど、それでも患者とスムーズに関係を築いている祖父を見て、こういう年の取り方は、なかなかいけているじゃないか、と思いました。それに比べて、サラリーマンのおやじの方は、やっぱりストレスフルなわけですよ。

:ルイス・カーンというアメリカの有名な建築家は、1970年代にニューヨークのペン・ステーション(ペンシルベニア駅)で死んで、しばらくは行方不明者として身元が分からなかったんですよ。

 彼はバングラデシュの国会議事堂を設計した人で、死亡の直前はインドに通っていたんですが、バングラデシュから帰ってきたところで、倒れたんですね。なぜ身元不明者として処理されたかというと、パスポートに住所が書いてなかったからだというんですよ。本当かウソが分かりませんが、フィラデルフィアの3階建てのオフィスビルには、階ごとにそれぞれ奥さんがいたとか(笑)。

それが隈さんにとっても理想なのですか。

:いやいや(笑)。ただ、最後にインドに旅行をして、ペン・ステーションで倒れたっていうのは、カッコいいなと思っているんですよね。

養老先生にとって、お母さまの姿は、年を取っていくモデルになりましたか。

養老:それはそうですよ。年寄りが邪魔だというのは、おふくろを知っているから。それこそ90歳を過ぎても開業していたから、「丈夫な患者がいるもんだよ」って、俺はしょっちゅう言っていましたね。だって真面目に考えてみてくださいよ。90歳の医者に誰がかかるんだよ。よっぽど健康に自信がないと来ないからね。

鎌倉の偉い人はみんな、養老先生のお母さまに裸を見られているとか。

:ゴッドマザーですね。

養老:陰のボスだよね。人の弱みを握って。

お母さまが亡くなったときの感情というのは?

養老:まあ、95歳だから、死んでもいいよな、と。感情もくそもないよ。

思い残すこともなかったですか。

養老:当然だよ。長生きし過ぎだよ。

 90歳の時に一度、動けなくなったんですよ――と、本人は言ったんですよ。その時に一応、姉と兄とで家族会議じゃないけど、相談をしたのよ。姉貴は「ぜひ入院させろ」って言ったんだけど、本人に聞くと「入院したくない」と言う。しょうがないから、俺はおふくろ寄りで入院させないことにしたの。90歳で寝込んだら、もう起き上がることは無理だろうなと思っていたら、冗談じゃない、1年後に立って歩いているんだよ。だまされた、って思いましたね。

 あれは、こっちがあんまり面倒を見ないから、倒れたふりをしやがったんだね。起き上がって歩いた時に、姉貴が何て言ったかといったら、「ほら、ご覧なさい、あのとき入院させておけば今ごろは死んでいるのに」って(笑)。当時、院内感染がありましたからね。

養老家はすごいブラックなファミリーとか。

養老:いや、本当のことを言っているだけですよ。うちの姉貴は気性が強くて、おふくろとしょっちゅう喧嘩をした。俺のうちは脇に警察があった横町にあったんだけど、おふくろと喧嘩した姉貴が、包丁を持ちながらおふくろを追い掛けて、警察の周りをぐるっとひと周りしてきた、ってこともあった。

うわっ、激しいですね。

養老:喧嘩すると茶わんを割るじゃない。後で姉貴が1人でぶつぶつ言っていたから何かと思ったら、「私は考えて安い茶わんを割っているのに、お母さんは高い茶わんでも見境なく割る」と怒っていました。


(日経ビジネス 2014年12月29日(月)より抜粋)


 


12月28日

2014-12-28 15:47:52 | 日記

 

年の瀬の季語である「煤(すす)払い」は、平安期にはすでにあった風習とされる。江戸時代は12月13日がその日とされ、江戸の城内も町中も総出で、はたきとほうきを持った。大掃除が落着すれば、家の誰かをつかまえて胴上げする習慣まであったという。

 ▼察するに灰神楽が立つような一日だったろう。『江戸川柳飲食事典』(渡辺信一郎著、東京堂出版)によると、胴上げの後は鯨(くじら)汁に舌鼓を打ったというから文字通りの「打ち上げ」である。〈江戸中で五六匹喰(く)ふ十三日〉の句が年中行事としての重みを今に伝える。

 ▼清潔な場所を好む年神様にとって、しめ飾りは「清掃済み」の証文となる。きのうも小欄で触れたが、慰安婦報道で日本をおとしめた朝日新聞と、STAP細胞問題に揺れた理化学研究所が駆け込みで会見したのも年神様にいい顔をするための「煤払い」だったか。

 ▼ゆく年に置き去りにしたい重荷や過ちは誰にでもある。ただし、朝日の会見は折に触れ自己保身の色がにじんだ。頭を下げるしかない場面で、「重く受け止める」の常套句で逃げ切ろうとした。煤を払うどころか、わざわざ煤を吸い込むとは。世話が焼ける会社だ。

 ▼ゆく年に流してしまえない、悲しみと怒りもある。9月下旬に噴火した御嶽山(おんたけさん)の山頂付近では、取り残された登山客が雪解けを待っている。北朝鮮による拉致問題はまたもや年を越す。紙面を通して関係者の苦悩を伝えてきた報道の側が、先に煤払いとはいくまい。

▼歳末の季語には「煤逃げ」もある。大掃除に及び腰の旦那衆が、屋外に避難するさまをいう。〈煤逃げをするにネクタイ締めにけり〉森田公司。よくある年の瀬の情景を、奪われてしまった人々がいる。せめて年神様の加護を、と切に願おう。
 

【産経抄】

 

<memo> 久々の好天日だった。明日からは崩れてくる予報。好天でも荒天でも室内で過ごすこの季節だが、青空と太陽を見ると気がより上向く。


2014年12月27日

2014-12-27 13:54:04 | 日記

 

 

 昨日で今年の教室は終わった。出席者数は7人と少なかった。悪天候と寒さか?年末の忙しさか?
今年最後の日は、心行くまで指導してほしかった思いが残った。ならぬこととは思いながらも。

 今日の午前中は、ユーチューブで音楽を色々と聞いていた。
ブラームス ハンガリー舞曲第5番 、仏教音楽「清净法身佛(古筝)」、潜在能力を引き出す。やる気・意思決定・能力開発の曲イメトレBGM など、その他。

音楽や楽器には全く関心なく過ごしてきたので、曲を聴いていても情景が浮かばない。今日幾つか聞いた中で上記曲は何となく感じるものがある。

仏教音楽「清净法身佛(古筝)」は、太極拳に合うような気がする。
「清净法身佛」とは、清浄な法の体仏陀(Yahoo!翻訳)煩わしいものがない法からだの仏陀(Excite 翻訳)とあるが、さっぱりわからない。「古筝」とは、指ではじく弦楽器らしい。「琴」のようなものか?

「清净法身佛(古筝)」
https://www.youtube.com/watch?v=JWKzfgixwVk

やる気・意思決定・能力開発の曲イメトレBGM
https://www.youtube.com/watch?v=L-tm4juKRSQ


 


NHK連続テレビ小説「マッサン」

2014-12-26 09:25:19 | 日記

 

 

 

 

ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝氏と妻リタの生涯を描いた物語、「マッサン」を見るのが楽しみである。鴨居商店社長とその息子やエリー、周囲の人達が、ウイスキー造りに情熱を注ぐマッサンを支えている。

 番組が始まった頃、リタ役を演じるシャーロット・ケイト・フォックス(29)が不器用に日本語を話すのに味わいがあった。吃音障害者が、汗を拭きふき話すのと似ている。

シャーロット・ケイトさんに番組や心境をインタビューした記事を興味深く見た。

http://www.sankei.com/west/news/141225/wst1412250006-n1.html


クリスマスキャロル

2014-12-25 11:20:19 | 日記

 

 「チャールズ・ディケンズの『クリスマスキャロル』を知っていますか」。平成17年の年の暮れ、青森地裁の裁判官が、被告に問いかけた。強欲な金貸しの男が、クリスマスイブに見た夢をきっかけに改心するおなじみの物語を紹介して、こう諭したという。「社会的弱者のために自分に何ができるか、考えてください」。

 ▼キリスト教の信者が総人口の1%に満たない日本に比べて、3割を超える韓国では、クリスマスは休日である。その国で今、誰よりも「改心」を求められているのは、財閥・韓進グループのオーナー一家であろう。

 ▼傘下の大韓航空の機内で、趙顕娥(チョヒョナ)前副社長(40)が引き起こした、いわゆる「ナッツリターン」騒動は、いまだ収束する気配はない。今度は、同社の専務を務める趙氏の妹がやり玉に挙げられた。「すべての役職員の過ちだ」。部下に責任転嫁するメールの内容が発覚したのだ。

 ▼ソウル西部地検はきのう、航空保安法違反などの容疑で、趙氏の逮捕状を請求した。確かに財閥のお嬢さまのわがままぶりは目に余るが、これほどの大事に発展するとは思わなかった。

 ▼背景に、売上高がGDPの7割を占める財閥に対する、多くの国民の羨望と反発がある。経済の民主化と格差解消を訴えて政権の座に就いた朴槿恵(パククネ)大統領の周辺では、身内のスキャンダルが次々に浮上して、とても改革どころではない。「ナッツ姫」をスケープゴートに仕立てて、政権への批判をかわす。こんなうがった見方も、出ているらしい。

 ▼日本ではきのうの聖夜、第3次安倍晋三内閣が発足した。幸い総選挙に大勝した安倍首相は、政権を運営するのに姑息(こそく)な手段を弄する必要はない。山積みの難題に、正面から立ち向かってほしい。

【産経抄】12月25日


大学入試改革案

2014-12-24 10:27:10 | 日記

大学入試改革案を、中央教育審議会(中教審)が二十二日、下村博文文部科学相に 答申した。 「絵に描いた餅になることなく、やり尽くすことがわれわれの使命だ」。二十二日の答申を受け、下村博文文部科学相は自らの不安を払拭するように語ったという。

 今の小学六年が高校三年になる2020年度から導入。ペーパー試験で測る学力重視から、人物重視の入試に変わりそうだ。

評価の公平性を懸念する。

①「個別入試は各大学の主観に任されるのか。
② 受験者が毎年数万人に上る私大では、論文の採点や面接をできるのか。
  文科省は作問や採点の民間委託も検討するとのこと。
③ ペーパー試験の入試では田舎の公立高校の受験生でも高得点を取れば東大に合格できるが、人物重視だとそうはいかない。公立高校の受験生が灘や開成の生徒よりも優秀であることを証明する手段なんて、ペーパー試験以外にはほとんどない。

④ ガリガリ参考書開いて勉強するより、大学入試でアピールするためのエピソード作り(例えば海外留学経験とか日本自転車一周旅行とか)が重要になると、貧富の差が生じる。ペーパー試験は男女、氏素性、貧富に関係なく平等に競争できたところが最大の利点と思う。

新しい大学入試はどんな社会をつくっていくのだろうか・・・。

 

下記HPなどを参考にした。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014122302000132.html


昭和は遠くなった

2014-12-23 10:13:14 | 日記

 

高倉健 菅原文多 が世を去り、石原慎太郎が政界を去った。
高倉健 菅原文多 については、映画を見たわけでもなくテレビなどで時折見た程度でなので良くは知らないが、任侠、人情の世界にピッタリ合う役者さんだったように思われる。古くは鶴田浩二がいた。

任侠、任侠道とは
弱者を虐げる強者に阿る心ほど、人間として卑劣な事はない。強者を挫き弱者を扶くるを任侠という。人間の美徳である。仁(人を慈しむ心・人情)に厚く、義(人として行うべき正しい道)を貫く者の道なのだということ。

今の芸能界でこれらのキャラクターをもつ役者を探し出すのは難しいのではないか。

弱い者イジメや高齢者をターゲットにしたおれおれ詐欺など、陰湿な行為が蔓延るご時世である。

良いも悪いも時世の流れを感じる。


12月21日

2014-12-21 12:00:55 | 日記

 

今年も残すところ10日になった。もうすぐクリスマスとか正月を迎えるが感慨はない。年末年始をどう過ごそうかと思案している。商業施設を除いて、多くのところがお休みなのは不都合である。

27日(土曜日)から1月4日(日曜日)までのプログラムをつくって実践することとしよう。

① 見たいテレビ番組の洗い出し。② 自宅でする運動メニューをつくって実践する。 ③ 来年のおおまかな計画をたてる。


毎日サンデーの身でも、ペースが乱れやすい年末年始である。 


ヘミングウェイの謎

2014-12-20 10:31:27 | 日記

キューバにて(1950年) ウイキペディアより

 

米国の文豪、アーネスト・ヘミングウェーが、キューバの沖合をヨットで航行中、手こぎボートに乗った老人が、巨大な魚と格闘しているのを目撃する。手助けを申し出ると、「あっちへ行け」と拒まれた。

 ▼ヘミングウェーは老人の様子をじっと見つめて、メモを取っていたという。1952年に発表された『老人と海』は翌年、ピュリツァー賞に輝き、2年後のノーベル賞につながっていく。

 ▼世界を旅してきたヘミングウェーだが、実は人生の後半生の22年間をキューバで過ごしている。『誰がために鐘は鳴る』など、ほとんどの作品もこの国で生まれた。にもかかわらず、キューバ時代のヘミングウェーについては、謎があまりにも多い。解明を阻んできたのはもちろん、米国とキューバの長年の敵対関係である。

 ▼フィデル・カストロ氏が率いる革命軍が勝利を収めたのは、59年だった。翌年に米国に帰国したヘミングウェーは61年、猟銃自殺を遂げる。同じ年に米国は、キューバと国交を断絶する。キューバに配備されたソ連製ミサイルをめぐる、62年の「キューバ危機」は、第三次世界大戦を引き起こす可能性さえあった。

 ▼にらみあいを続ける両国に、雪解けの機会がなかったわけではない。74年には、米国の民間テレビのキューバ入国が特別に認められた。当時のカストロ首相も愛読者だった、ヘミングウェーの特別番組の制作が、目的だったからだ。

 ▼そんな両国が、国交正常化に向けた交渉をようやく始めるという。社会主義体制下にあるキューバが、米国側が求めている人権状況の改善に果たして応じるのか。交渉は、予断を許さない。少なくとも、両国をともに愛したヘミングウェーは、進展を望んでいるはずだ。

【産経抄】 12月19日

 

◆ ヘミングウェーの名言 ウイキペディアより


あちこち旅をしてまわっても、

自分から逃げることはできない。

 


今はないものについて

考えるときではない。

今あるもので、

何ができるかを考えるときである。

 

 

とにかく、

新しい毎日なんだ。 

 


四季の楽しみ

2014-12-19 06:50:27 | 日記

高級魚のアマダイ

 

春には 新緑 薫風 小鳥のさえずり 咲く花々      夏には 暑さを忍しての釣り       秋には 澄み切った空、川の流れ 錦繍の山々

そして冬は 落葉した木々の枝ぶり 熱々のご飯に冷たい漬物 


四季の楽しみ

2014-12-19 06:50:27 | 日記

高級魚のアマダイ

 

春には 新緑 薫風 小鳥のさえずり 咲く花々      夏には 暑さを忍しての釣り       秋には 澄み切った空、川の流れ 錦繍

の山々

そして冬は 熱々のご飯に冷たい漬物 温い布団の中 


【さらば石原慎太郎】 引退会見

2014-12-17 07:00:48 | 日記

 石原慎太郎前衆院議員(次世代の党最高顧問)は16日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、「今度の選挙で(落選という)結果になって、私は引退を決心した」と述べ、政治活動からの引退を表明した。政治家人生を振り返った石原氏は「歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたことは政治家としても物書きとしてもありがたい経験だった」と語り、「欣快(きんかい)として、わりと晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」と語った。会見の詳細は以下の通り。

 「皆さん、こんにちは。僭越(せんえつ)でございますが、大してニュースバリューもないこの私が個人の資格で皆さんにこうやって大がかりな記者会見を申し込んだ理由は、私も延べ50年以上政治に携わってきたが、結局、今度の選挙でああいう結果になって、私は引退を決心した。ただ、(衆院選の)開票日に、いってはいけないが、自宅にまで浅薄なメディアの先兵が押しかけて、歩く途中もマイクを突きつけて『一言、二言』と(コメントを求められた)。そこで、後にゆっくり話させてくれということで、日本記者クラブにご厚意いただいて、この機会を設けさせていただいた。私が申し上げたいことを端的に申し上げて、皆さんに批判をいただきたい」
 

見回せば、国会議員最高齢

 「結論から言えば、かねがね私はこの解散が決まったときに、選挙をきっかけに引退をするつもりだった。私自身も肉体的にひびが入ったりもして、見回してみると国会議員の中の最高齢者になった。これ非常に皮肉な話だ。かつては奥野誠亮さんという尊敬していた大先輩が、90歳を過ぎるまでかくしゃくとして国会議員を務められたそうだが、とても私にはその自信も能力もないので、これをきっかけに引退ということを声明しようと思った」

 「限られた仲間が『今引退されると党、選挙の趨勢(すうせい)に悪い影響を与えるから思いとどまってほしい』ということだった。特に若い議員からは連判状などもいただいた。いろいろ勘案して、選挙の事前に私が引退を声明することは仲間のためにもよろしくない、と判断した。それならば皆さんと、とにかく戦うと決心した」

 「いずれにしても私は引退を覚悟で戦いをするわけだから、討ち死にを覚悟の出陣ということで、東京比例のランキングは一番最後してほしいことを、党の方も受け入れてくれた。ある意味で結論が知れていることだったので、空いている時間に仲間の応援に駆け回った。残念ながら風邪をひいたりして肝心の名古屋の大きな大会には出席できなかったが、仲間に対する義理だけは最低限、果たせたな、と思っている」
 

落選で討ち死には1つの宿命

 「私の実家の石原家は、武田武士の残党だった。武田家は(織田)信長に滅ばされて雲散霧消した。武田の赤備えというのは戦国時代有名だったそうで、武田武士を争って3つの藩が抱えたそうだ。1つは毛利藩、1つは井伊藩、もう1つは伊予藩だった。私の先祖は甲州から追われて伊予藩に抱えられたそうだ」

 「かつての時代に弓矢の武功で禄を食(は)んでおって、家の家紋は黄金分立のきかない『7つ矢』だ。珍しい家紋だ。正月に赤塗りのお膳で家族そろって雑煮を食べたりするときに、据えられたお膳に7つの紋が記されているな、と印象深く覚えている」

 「母の方の略紋は三ツ矢サイダーに似た3つの紋だったが、7つの紋はなかなか日本に珍しい家紋で、私もいわれを聞かされて子供心にプライドを持っていた。石原家の弓で勝ち取ったわが家の家訓は、『明日の戦 己はむなしと心得べし』という。これは武士の家訓としてもなかなかいい家訓だなと思った」

 「それを受けて私は討ち死に覚悟というか、本当なら引退を声明して退くべきだと思ったが、やっぱり仲間の若い武士たちのために自分も一緒に戦って、恥ずかしいことだが落選という形の討ち死にすることは 自分の1つの宿命かな、と思って決心をした。私からこの選挙についてのかかわりについて申し上げることはそれだけだ」
 

晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる

 「振り返ってみると、参院の全国区から始まって、衆院を25年務め、インターバルをおいて、思うところあって都知事に就任した。できるだけのことはやったつもりだ。政治家として、どの国も物書きが政治に参画、コミットするのは例がないわけではない。ゲーテとか、(フランスの)ドゴール(大統領)の文化相を務めた(アンドレ)マルローの例もある」

 「印象的だったのは激しい最初の、自民党からの優秀な人材が5、6人出た選挙で何とか都知事になったとき、縁があって日本に来られたときに2日ほどお会いして旅もした マルローなんていう人は印象的な人物だったが、アンドレ・マルローの未亡人から私に『知事になって頑張れ』という手紙をもらったのを覚えている」

 「今までのキャリアの中で歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたことは私にとって、政治家としても物書きとしてもありがたい、うれしい経験だったという気がする。それをもって、私が欣快(きんかい)として今、わりと晴れ晴れとした気持ちで政界を去れるな、という気でいる。1つご理解いただきたい」

 

 

 政界引退を決め、会見する石原慎太郎氏(左)=16日午後、東京都千代田区内幸町(三尾郁恵撮影)

 

<一問一答>


 「尖閣の中国公船、私なら追っ払う」「言いたいこと言い、憎まれて死にたい」

 --週刊誌で「シナと戦争して勝つこと」と発言。文学者としての発言なのか、政治家としての発言か。日本政府が尖閣諸島を国有化した後に海域の緊張が続いている

 「私が首相なら追っ払う。ある週刊誌のインタビューで『一番したいこと』を聞かれたので『シナと戦争して勝つこと』と。私は日本人として言った」

 --衝突が起きてもいいのか

 「衝突を仕掛けているのは中国だ。けんか仕掛けているのは向こうだ。日本の領海に入っているのはシナ人の方だ。頭を冷やした方がいいよ、シナの人は」

 --メディアには政治家をどう扱ってほしいか

 「お互い人間だから問われたことに対して簡潔に分かりやすく話したか話さなかったかはある。メディアも相手の言論に対する理解力が足りないと思う」

 --政界を引退したらヨットレースをするか

 「今でも暇な時は乗っている。今年の夏も2つほどレースで優勝した。来年もまだ生きてて元気だったらレースの試合をしたいと思う」

 --若い芸術家の育成以外にトライしてみたいことがあれば

 「新しくつくった財団で、アラブとか東南アジアとか、日本人と違った感性を持っている若い芸術家がいるから、そういう人たちに日本に来てもらい、刺激を受けて、新しい芸術を世界のために展開してもらいたい。その手伝いをできるだけするつもりだ」


心残りは憲法が一字も変わらなかったこと

 --政治生活で成し遂げたことは何か。心残りは何か

 「小さなことで都知事の立場でやれたことはいくつかあった。ただ、痛快だったのは日本の経済使節団が中国に行った。周恩来が『これからいかなる日本人も歓迎する』と言った。経済人が『青嵐会も歓迎するか』と聞いたら、周恩来が呵々大笑(かかたいしょう)して『私は彼らを非常に評価している。青嵐会の人たちは昔の日本人ですね』と発言したそうだ。心残りは憲法が一字も変わらなかったことだ」

 --都知事時代に東京五輪招致の道筋をつけた

 「都知事時代に招致運動で敗れはしたが、一回灯したたいまつだからもう一回火をつけようということで、在任中だったがもう一回チャレンジをすることを権限で決めた。皆が頑張って、世界の情勢もずいぶん変わったのだろうが、東京に決まったということで、たいまつの火を消さずにいてよかったなあと思っている」

 --憲法改正に対する国民へのメッセージは

 「もう一回前文だけでも読み直してもらいたい。あんな前文を持っている憲法は世界中にない」

 --今の心境は

 「いくつで死ぬか知らないが間もなく死ぬのだろう。死ぬまでは言いたいことを言って、やりたいことをやる。人から憎まれて死にたいと思う」

 

 

会見を終え、退席する石原慎太郎氏=16日午後、東京都千代田区内幸町

 

 

【さらば石原慎太郎】2014.12.16 産経より

 

 

 

 --今の心境は

 「いくつで死ぬか知らないが間もなく死ぬのだろう。死ぬまでは言いたいことを言って、やりたいことをやる。人から憎まれて死にたいと思う」・・・

 多くの人は加齢とともに弱気になっていくように見受けられるが、石原さんはまだまだ大丈夫のように思われる。政界引退後も天下のご意見番になっていてほしいと思う。