こんにちは、園田涼です。
僕は高校の卒業式で、大好きだった先生にこう言われたことが今でも衝撃として残っています。「すべてを疑いなさい」。
僕の中高時代の友人にNという男がいて、風貌は見習いの板前さんのようだったけれど、頭脳は間違いなく天才でした。高校在学中に数学オリンピックで金メダルを獲とり、東大医学部に入学した後、数学者になるために転部。大学1年生の頃から大学院生の研究施設に寝泊まりし、大学の定期試験では誰よりも遅く試験会場に入り、誰よりも早く試験会場を出て行く。まさにヒーローのような男です。
彼は、とある数学の試験で「この問題はこうこうこうで、理論の破綻している部分がある。つまり、問題として破綻している。以上」と解答用紙に記述して、その結果教官は確かに問題にミスがあったことを認め、その試験を受けた生徒全員が「優」をもらったという伝説まで作ってしまいました。彼にそのことを後で聞いたら「まぁ、そんなこともあったかなぁ」と涼しい顔。ヒーローは多くを語らない。
グアムでライブ!ビーチサイドでの演奏、最高でした
バンマスの優しい言葉にびっくり
とにかく、この話からもわかるように、東大の先生でさえ、一番の得意分野で間違えることがあるわけです。この話に乗っかって今の自分を擁護すると、本番で弾く音を間違えることも当然あります。もちろん、人によって、ミスが多い/少ない、ミスをしたときの対処が上手うまい/下手という違いはありますが……。
昔、僕があるライブで、ミスをやらかした時がありました。終演後、バンドマスターに謝りに言ったら「いいよいいよ、間違うことはみんなある。人間だもの」と相田みつをさんもびっくりの優しい言葉をいただいて、それからピアノに向かうのが少し楽になりました。今は、観客の方もどこかでそういう人間らしさを求めてコンサートに来られるんじゃないかとさえ思っています。ミスのないピアノ演奏を聴きたいなら、自動演奏ピアノを聴いてればいいわけだから。いや、もちろんノーミスの演奏を目指して、日々努力はしてますけれども……もごもご……。
人間だもの、というのは本当に重みのある言葉だと最近つくづく思います。確かに僕たちの社会は人間が集まって出来ているから、完璧なんてことはまずありえないのです。それぞれの人がそれぞれのやり方で完璧を目指すし、僕だってこの言葉を本番で間違えたときの言い訳に使うつもりはないけれど、例えば学校の先生が、贔屓ひいきのプロ野球チームが負けた次の日にカリカリしてたっていいじゃないですか。先生も人間。生徒も人間。
それで話は冒頭の「すべてを疑え」という話に戻るのですが、これは一見ネガティブな言葉に思えるけれど、その実はとてもポジティブで、この気持ちでいると「それ、ほんとかな?」と、自分の生き方がけっこう主体的になります。読売新聞のヨミウリ・オンライン(YOL)で連載させていただきながらちょっと書きにくいけれど、新聞やテレビが間違えることだってあるわけです、正直言って。この世はけっこう嘘うそで溢あふれかえっているのです。
オークラフロンティアホテルつくばでのディナーショーにて
そのカラクリは完璧に現実世界だった
最後に、いまだに僕が「疑っている」話を。
小学校の国語の教科書に「えいっ」という話がありました。熊の親子が登場して、お父さん熊が「えいっ」と赤信号を指差すと、ぱっと信号が青になって「お父さんすごーい!」と子どもの熊が感動する話(と書くと、まったく何も伝わらないな)。
この本を授業で読み終えたあと、先生が子どもたちに聞きました。
「なぜ、お父さんが『えいっ』とやると、信号は青になるのでしょう?」
ある女子生徒は答えました。
「お父さん熊には不思議な力があって、赤信号をすぐ青信号に変えられるから!」僕も彼女が正解だと思いました。
しかし先生は言いました。
「違います」
そこで、また別の男子生徒が、お父さん熊みたいに得意げな顔で手を挙げて答えました。
「お父さん熊は、もう一方の信号が赤になったのをこっそり確認して、その瞬間に『えいっ』とやってるんだと思います!」
すると先生、
「正解! S君に拍手!」
…この時のショックはいまだに忘れられません。熊が服を着て言葉を喋しゃべっているファンタジー世界の中、「えいっ」のカラクリはこれ以上なく完璧に現実世界だったのです。
僕は大人になった今でも、お父さん熊の指先にはこんなちっぽけな現実を飛び越える魔法の力が宿っていたんだと信じています。そしてあの時、こう先生に逆質問しておけば良かったとも思うのです。
「先生、この熊の親子はどうして服を着て、人間の言葉を話すんですか?」
2016年02月15日 05時20分 YOMIURI ONLINE 中高生新聞より