気の向くままに

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首相の米議会演説の全文

2015-04-30 09:31:39 | 日記

 

 【ワシントン=永沢毅】安倍晋三首相は29日午前(日本時間30日未明)、米議会の上下両院合同会議で演説に臨んだ。戦後70年を踏まえて先の大戦への「痛切な反省」に言及し、「アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない」と表明。かつて敵対した日米両国が緊密な同盟関係を築いて和解に至った経緯を強調し、世界の平和と安定に貢献する考えを打ち出した。

 首相の演説は英語で約45分にわたった。

 

首相の米議会演説の全文

■はじめに

 議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、日本の首相としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。

 「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国首相として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。

 申し上げたいことはたくさんあります。でも「フィリバスター」(長時間演説による議事妨害)をする意図、能力ともに、ありません。皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。

 マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベーカー。民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。

 キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

■アメリカと私

 私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。

 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日ごろ、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。デル・フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。

 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。

 上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方ならちゅうちょなく採用する。

 この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。

■アメリカ民主主義と日本

 私の名字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティズバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。

 農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

■第2次大戦メモリアル

 先刻私は、第2次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐(せいひつ)な場所でした。耳朶(じだ)を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星一つ、ひとつが、斃(たお)れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。

 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。

 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海……、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙とうをささげました。

 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼をささげます。とこしえの、哀悼をささげます。

■かつての敵、今日の友

 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、おっしゃっています。

 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉をたたえることだ」

 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のおじいさんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。


 熾烈(しれつ)に戦い合った敵は、心の紐帯(ちゅうたい)が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。

■アメリカと戦後日本

 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではありません。

 アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。

 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。下って1980年代以降、韓国が、台湾が、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

■環太平洋経済連携協定(TPP)

 こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。

 太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。

 その営為こそが、TPPにほかなりません。しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。

 経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私たちの子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

■強い日本へ、改革あるのみ

 実は……、いまだから言えることがあります。20年以上前、関税貿易一般協定(GATT)農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。

 ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。

 日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。

 世界標準にのっとって、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍(やり)の穂先となりこじあけてきました。人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。

 日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

■戦後世界の平和と、日本の選択

 親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。

 日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

■地域における同盟のミッション

 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」(再均衡)を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。

 日本はオーストラリア、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。

 アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。第1に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第2に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第3に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。

 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私たちには、その責任があります。

 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。

 戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。

 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。


■日本が掲げる新しい旗

 1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。

 これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。

 国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。

 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。

 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢(けんろう)さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

■未来への希望

 まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。

 「落ち込んだ時、困った時、……目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」

 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。そして、そのときでした。米軍は、未曽有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。

 私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。希望、です。米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。

 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。

 2015/4/30 1:33  日経


気になるシニカルな風潮

2015-04-27 10:39:36 | 日記

 

 ネパールの大地震の支援で国際緊急援助隊が二十六日、現地に向け出発した。消防士も加わっている。危険も伴う任務である。頭が下がる

▼消防士は子どもが憧れる職業の一つである。最近のある調査によると、警官、スポーツ選手、バス運転手、医者などとともに男の子がなりたいと思う職業の上位に入っていた

▼この職業も消防士と同じで「人の役に立つ」、少なくとも「役に立ちたい」と願っているはずの仕事なのだが、この手のランクの上位には入らない。政治家である

▼統一地方選が終わった。前後半戦を通じて深刻なのは議員の「なり手」が減っていることだ。大人も政治家にはなりたくないらしい

▼分からないでもない。これほど人に批判される商売もあるまい。国民意見が対立する時代にあって、すべての国民を納得させることは難しい。一つ判断すれば、世間の「半分」からは批判される。国政で与野党が逆転しても同じだろう。つまり、あらゆる政治家は絶えず誰かには嫌われている

▼政治家を擁護する気はない。そういう対立的な時代をこしらえたのは他ならぬ政治家であるが、その一方で世間の政治に対する無責任であまりにシニカルな風潮も気にならないわけではない。<あんたがやってよ、オレは文句だけ言うからさ>。結果、われわれの前に出現するのは、さらに無能な政治家でないことを切に祈る。

中日春秋 4月26日

 

<memo>

好天が続く。今日は気温27,5℃ 湿度28% 13時45分。


わかっちゃいるけど

2015-04-25 07:46:58 | 日記

 

 

 わかっちゃいるけど、やめられないのが植木等ならば、わかっちゃいたけど、やってないのが国会である。首相官邸屋上に侵入した小型無人飛行機「ドローン」は、以前から危険性が指摘されていた。

 ▼はなはだ手前みそながら、小紙は1面トップで「飛行野放し無人機」(昨年12月26日付)、発見前日にも社会面で「無人機テロ警戒せよ」(21日付、いずれも東京本社版)と警鐘をならしてきた。役所も国土交通省を中心にルール作りに着手していたが、立法府の動きは鈍かった。

 ▼米ホワイトハウスの敷地にドローンが侵入したのは、1月下旬。日本でも同じような事件が起こるのでは、というちょっとした想像力が国会議員にあれば、法規制論議はもっと進んでいたはずだ。

 ▼政治家に限らず、この国では「ちょっとした想像力」を欠いた人が、有名人にも結構多い。ノーベル文学賞候補と世評の高い村上春樹氏も残念ながらその一人だろう。

 ▼メディアを避け気味の村上氏にしては珍しく、共同通信社のインタビューに応じたが、一部のファンをがっかりさせた。歴史認識について「相手国が『すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう』と言うまで謝るしかないんじゃないかな」と語ったのである。

 ▼彼のナイーブさがよく出ているが、仮に謝罪し続けても中国や韓国の指導者が「もういいでしょう」と言う可能性はゼロである。心から日本の「侵略」を謝り続けた村山富市、鳩山由紀夫両氏の首相時代も中韓ともに高圧的な態度を崩さなかったのが、何よりの証拠だ。国語の名教師だった春樹氏の父親は、「歴史も教えておけばよかった」と泉下で悔やんでいるかもしれない。

【産経抄】4月25日


微少なプラ片、日本周辺を漂流

2015-04-24 08:18:37 | 日記

日本近海で採取された微小なプラスチック。シャーレの大きな目盛りは1センチ・メートル(福岡県春日市の九州大学で)

 

 日本周辺の沖合100~200キロ・メートルには、長さ5ミリ・メートル以下の微小なプラスチック片が海水1トンあたり2・4個の割合で漂流していることが、環境省による初の実態調査で分かった。

 特に、沿岸から遠く離れた沖合での量が多く、魚介類や海鳥など生態系への影響が懸念される。

 環境省によると、海面近くを漂うプラスチックのごみは、細かく砕けるなどして、プランクトン程度にまで小さくなることが分かっている。魚介類や海鳥などの体内からも見つかり、プラスチックそのものや、海中でプラスチックとくっつきやすいポリ塩化ビフェニール(PCB)などが生態系に悪影響を与える恐れも指摘されている。

 これまで、プラスチックがどのように外洋を漂い、どこに滞留しているかは未解明で、環境省は2014年度に日本周辺の実態把握に乗り出した。調査は、委託先の東京海洋大学と九州大学が昨夏に実施。津軽海峡から九州南端まで日本の周りの海域45か所で、海面付近の試料を採取して分析した。

2015年04月23日 YOMIURI


日中首脳会談

2015-04-23 10:44:26 | 日記

 

会談する安倍首相(左)と中国の習近平国家主席=22日、ジャカルタ(共同)

 

 安倍首相演説“無視”の習氏、即座に「歴史」反論の首相…冷徹な現実、友好ムードはあくまで「演出」

産経新聞 2015.4.23 06:56更新

 安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による日中首脳会談は、昨年11月の前回とは打って変わって「和やかな雰囲気」(同行筋)で行われた。だが、歴史認識やアジアインフラ投資銀行(AIIB)などに関しては、意見の隔たりは大きいままだった。

 「せっかくの機会だから、中日関係の発展について安倍首相の見解を聞かせてほしい」

 22日夕、会談会場で首相を出迎えた習氏は、笑顔で首相と握手をした後、ソファに座ってこう切り出した。会談後も、会談内容を質問しようと習氏を追いかける50人近い記者団に笑顔で何度も手を振り、友好ムードを醸し出した。

 だが、歴史認識問題になると習氏は態度を一変。「歴史を正視する積極的なメッセージを出すことを望む」などと、何度も首相にくぎを刺すことを忘れなかった。これには首相も即座に反論し、緊張が走った。

 午前中のバンドン会議60周年記念首脳会議でも、こんな場面があった。

 「プライムミニスター、シンゾー・アベ」

 場内に首相の名前がアナウンスされ、演説が始まる直前のことだった。それまで各国首脳の演説に耳を傾けていた習氏が突然、席を立って会場を後にしてしまったのだ。その時の習氏の「無表情」ぶりは、昨年11月の首脳会談で見せた態度を彷彿とさせた。

 中国側は首相の演説を、今夏に出す戦後70年談話の「原型」とみなし、注視していた。

 バンドン会議50周年の2005年の首脳会議では、当時の小泉純一郎首相が過去の「植民地支配」や「侵略」を謝罪した戦後50年の村山富市首相談話を踏襲する演説を行い、同年8月に出された小泉談話にも引き継がれた経緯がある。

 しかし、首相はこれまで「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」としながらも、戦後70年談話では、過去の首相談話の文言をそのまま踏襲することはしない考えを示してきた。

 首相の演説が、中国側にとって満足のいかない内容になることは、火を見るより明らかだった。それを黙って聞かされることは、メンツを重んじる習氏にとって耐えかねる屈辱だったとの見方もある。

 実際、首相の演説は「未来志向」の色合いが前面に出た。戦後日本が平和国家としてアジアやアフリカで果たしてきた貢献の実績をアピール。注目を集めた「侵略」という言葉は「バンドン10原則」を引用する形で触れたが、日本の行為としての文脈では使わなかった。

 代わりに首相は「バンドンの先人たちの知恵は、法の支配が大小に関係なく、国家の尊厳を守るということだった」と指摘。南シナ海などで力による現状変更を試みる中国を牽制したとみられる。

 首相はまた、アジア、アフリカに対する新たな人材育成支援策を表明した。AIIBを活用した「ハコモノ」開発を画策する中国との差を鮮明に打ち出した形だ。(ジャカルタ 石鍋圭)

 


日中首脳会談:「関係改善進む」 首相「歴史認識引き継ぐ」

毎日新聞 2015年04月23日 東京朝刊

 【ジャカルタ木下訓明、石原聖】インドネシアを訪問中の安倍晋三首相は22日午後(日本時間同)、中国の習近平国家主席とジャカルタで約25分間会談し、両国の関係改善が進んでいるとの認識で一致した。首相は今夏に発表する戦後70年談話を念頭に、1995年の村山富市首相談話、2005年の小泉純一郎首相談話を含めて「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる。平和国家としての歩みは今後も不変だ」と述べ、中国側の理解を求めた。会談後、首相は今後も国際会議などの機会に習氏と会談する意向を記者団に表明した。
   
      
 両首脳の会談は昨年11月10日に北京で行われて以来、約5カ月ぶり。

 習氏は冒頭で「最近、(政府)双方と両国民の共同努力のもとで中日関係はある程度、改善できた」と述べ、首相も「昨年11月の首脳会談以降、日中関係が改善しつつあることを評価したい」と応じた。そのうえで「日中関係の発展は両国国民の利益だ。戦略的互恵関係を推進し、地域や世界の安定と繁栄に貢献していくことはわれわれの責務だ」と述べ、青少年交流などさまざまなレベルでの両国の交流促進を呼びかけた。

 一方、中国中央テレビによると、習氏は「歴史問題は中日関係の政治的な基礎に関わる重大な原則問題だ。日本側がアジアの隣国の懸念に真剣に対応し、歴史を直視した積極的なシグナルを発信してほしい」と述べ、首相の戦後70年談話の内容を注視していることを伝えた。

 中国が設立を主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)を巡っては、習氏が「国際社会から広く歓迎を受けた」と述べたのに対し、首相は「アジア地域に高い需要があるとの認識は共有している」と一定の理解を示しつつ、組織運営や融資基準の透明性確保を改めて求めた。

 両首脳は東シナ海情勢に関しても意見交換した。首相は、沖縄県・尖閣諸島周辺などでの偶発的な衝突を回避する「海上連絡メカニズム」の早期運用開始を提起するとともに、先月4年ぶりに再開した両政府間の安全保障対話をさらに進める必要があると指摘した。

 会談に先立ち、首相は22日昼(日本時間同日午後)、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議で演説し、第二次大戦への「深い反省」を表明した。05年の50周年首脳会議で、小泉首相(当時)が「村山談話」を引用して表明した「植民地支配と侵略」への「心からのおわびの気持ち」には言及せず、戦後の日本のアジア・アフリカ地域への貢献と今後の関係強化を強調した。

 首相は、55年のバンドン会議で採択された「バンドン10原則」のうち、「侵略または侵略の脅威、武力行使によって他国の領土保全や政治的独立を侵さない」「国際紛争は平和的手段によって解決する」の二つの原則を紹介。「この原則を日本は先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と強調した。

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 ◇日中首脳会談 骨子

・両首脳は日中関係が改善しているとの認識を互いに表明

・安倍晋三首相は「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と説明

・首相は東シナ海での衝突を防ぐ「海上連絡メカニズム」の早期運用開始を改めて提起

・両首脳はアジアインフラ投資銀行(AIIB)で意見交換 


絶滅危惧種のハヤブサ、県庁ベランダで子育て

2015-04-21 12:59:11 | 日記

 

巣を温めるハヤブサの親鳥。胸元に見える白い羽毛がヒナ(16日撮影)=石川県自然環境課提供

 

 ヒナが誕生したのは、昨年4月に続き2年連続。

 発表によると、親鳥が4個の卵を産んでいるのを3月16日に県庁職員が確認。今月16日に、卵3個が孵化ふかしたのを確認した。

 ハヤブサは県や国の絶滅危惧種に指定されており、県内では能登半島と加賀地方の海岸で繁殖が確認されている。断崖に巣を作る習性があり、近年は高層ビルでも営巣が確認されている。

 県庁では2005年から高層階のベランダで営巣しており、昨年は3羽が巣立った。県職員が巣の下に砂や保温マットを敷いたりして繁殖に配慮している。

2015年04月21日 10時47分 YOMIURI ONLINE

 

 


<コメント> この記事は以前にも書いたような気がする。営巣して10年になるわけだ。この珍客の来庁を来年も再来年も・・・と期待する。

 


納豆の食べ方

2015-04-20 07:59:11 | 日記

 世界的な和食ブームを追い風にして、納豆を海外に売り込む動きが始まっている。「水戸納豆」で知られる茨城県と県内のメーカーは昨年、外国人にも食べやすい「粘らない」納豆を開発した。調理が容易で、それぞれの国の伝統料理にアレンジしやすい利点もある。今年はじめ、フランスの食品見本市に出展したところ、商談の申し込みが相次いだという。

 ▼もっとも、納豆好きの日本人にとっては、あの糸を引く「ネバネバ」こそが、醍醐味(だいごみ)である。美食の限りを尽くしたかの北大路魯山人も、納豆の糸が多いほどうまい、と言っている。そのために二本の箸で、「不精をしないで、また手間を惜しまず、極力ねりかえすべきである」(『魯山人味道』中公文庫)。

 ▼きのうの生活面の記事によると、糖分を加えても納豆の糸引きが強くなる。新潟県などでは、納豆に砂糖を入れる伝統があった。全国納豆協同組合連合会では、チョコクリームや小倉あんと混ぜて、バタートーストにのせる「納豆スイーツ」をホームページ上で紹介している。

 ▼シェークにしたり、アイスと組み合わせたりする食べ方もあり、子供たちには好評らしい。正直言って、食指が動くとは言い難いが、納豆の消費拡大につながるなら結構なことだ。

 ▼納豆の効用を説いてやまない発酵学者の小泉武夫さんは、海外旅行のたびに大量の納豆を持参する。おかげで、一度も食当たりに苦しんだことはない。その小泉さんが最近、読売新聞紙上で、自慢の納豆料理を披露していた。

 ▼油をひいたフライパンに納豆を入れる。真ん中にくぼみを付けて、生卵を落とし、約5分蒸し焼きにするだけ。ご飯の上にのせて、かつお節と醤油(しょうゆ)をかける。こちらは、文句なしにうまかった。


4月20日【産経抄】

<懐古> 子供のころは、よく見かけた鳥たちである。今ではほとんど見ることがない。

 

捕食確率100% Kingfisherーの名は伊達じゃない 

 

羽を広げる雄のインドクジャク=野毛山動物園提供    同園の「春の風物詩」として知られている。

カイツブリ

 

「新倉山浅間公園」(山梨県富士吉田市)にある「忠霊塔」と呼ばれる五重塔がライトアップ(午後6〜10時)され、「富士山」「満開の桜」「五重塔」と日本を象徴する光景が収まっている。山梨県富士吉田市新倉で2015年4月17日、小田切敏雄撮影

4月20日 産経より

 


「常識」がすれ違う春

2015-04-19 10:28:34 | 日記

 

トヨタ自動車の入社式。1504人もの新入社員が作業服姿で参加した=4月1日、愛知県豊田市

 

 街中で新入社員の姿を見かける季節になった。みなさん、意欲満々なのかと思いきや、入社して1カ月も経たないうちに、「また怒られるかと思うと頭が痛くなり、胃がキリキリ痛む」と訴えて病院を受診なさる方が必ずいる。だいたい最初は内科で診察を受けることになるが、検査をしても異常が見つからないことがほとんどだ。そこで、われわれ精神科医の出番となるわけである。

 話を聞いてみると、新入社員のほうも早く仕事を覚えようと頑張っているし、上司や先輩も一人前に育て上げるべく熱心に教えているのはわかるのだが、それぞれにとっての「常識」というものがかみ合ってないように見えることが結構ある。

 たとえば、幼稚園に就職した女性は、年配の園長先生から細かく注意されたり、叱責されたりして嫌気がさしていた。それでも、せっかく就職したのだからすぐに辞めるわけにはいかないと頑張っていたのだけれど、ある出来事がきっかけで、出勤しようとすると吐き気がするようになってしまった。

 彼女にいったい何があったのか? 雑巾の絞り方がなっていないと、園長先生から怒鳴られたのである。

 最近は、学校でも掃除の時間に雑巾がけなんかしないのかもしれない。おまけに、家でも掃除機とモップを使っていたら、雑巾の絞り方を教わる機会はないだろう。そのためだろうか、この女性はきつく絞らずに床を拭いていた。当然水がぼとぼと落ち、床がびしょぬれになった。それを見た園長先生から大目玉を食らったというわけだ。
 
 園長先生からすれば、雑巾の絞り方なんて「常識」で、そんなことも知らないなんてとんでもないというところだろう。一方、新卒の女性からすれば、雑巾の絞り方を教わったこともないのにそんなことで怒られるなんて理不尽だという感じなのではないか。

 まあ、最近は大学を卒業するまで親にも教師にも怒られたことがない若者が増えているらしい。こういう若者は、就職して上司から怒鳴られると面食らうようだ。そのせいで出社拒否になり、われわれ精神科医のもとを訪れることもある。

 新入社員を迎える側も、すぐに辞められたら困るので結構気を使っているようだが、まず「常識」が必ずしも通じるわけではないということを認識したうえで、当たり前のことから教える覚悟が必要かもしれない。

2015.4.18  【精神科女医のつぶやき】より


南の島人との交流を大切に

2015-04-18 10:06:58 | 日記

 ある拍子に蘇る記憶がある。

 天皇、皇后両陛下が先ごろ、西太平洋のパラオ共和国を訪問されたときのことだ。両陛下は最大の激戦地ペリリュー島の南端に立たれ、鎮魂の思いを込めて黙祷された。蒼い空と海が広がっていた。

 紙面に見入るうち、タラワの海を思い出した。

 もう15年も前になる。太平洋の赤道上にハンマーのような形で広がるキリバスを訪ねた。首都タラワの海際に、幾門もの大砲が南太平洋をにらんでいた。

 第二次世界大戦、南下した日本軍はパプアニューギニアからソロモンを攻め、オーストラリア北部のダーウィン、シドニーを攻撃した。そしてキリバスに転じ、タラワで玉砕。多くの犠牲がでた。

 大砲群にほど近い林にコンクリート造りの司令部跡があった。

 「全然、風化していない。角が面取りされるなど、丁寧に造られている。非常時なのにここまでやった、すごい技術だ」。同行のJICA(当時・国際協力事業団、現・国際協力機構)職員の感嘆に地元の案内人がうなずいた。

 不幸な過去があったにもかかわらず、日本の技術力の高さは現地で語り伝えられていた。最大の業績が「ニッポン・コーズウェイ」と言ってもいいだろう。

 キリバスは33の環礁島で構成される。なかでも国際港のあるベシオ島と多くの住民が暮らし、行政機関も所在するバイリキ島は国の最重要拠点。コーズウェイ(連絡路)は両島3・4キロを直接結びつけた。

 サンゴ礁地盤に干満の差が激しい海中の難工事。当初請け負ったオーストラリアが断念、日本の建設会社が苦難の末に完成させた。地元住民の喜びは尋常ではなく、「高い技術と不撓不屈の精神に学べ」と近くの小学校を「日本小学校」と名付けたほどだ。

 記憶をたどるうち、老朽化したコーズウェイ改修計画に行き着いた。計画案提出は今年2月。気候変動による高潮、潮流の変化などで浸食が進み崩落も発生、全面改修は喫緊の課題となっていた。

 日本政府には大きな支援の手をさしのべてほしい。責務と思う。

 今、太平洋の島々は多くの課題に直面している。3月中旬にバヌアツを襲った大型サイクロンのような自然災害、気候変動による環境被害、海上の島国は海面上昇の影響をうけやすい。

 日本の約5倍、広大な排他的経済水域(EEZ)を抱えるものの財政面や人的基盤、技術力のなさで苦慮している。太平洋を共有する隣国、日本への期待は大きい。

 5月22、23両日、福島県いわき市で「太平洋・島サミット」が開かれる。1997年から3年ごとに地域の首脳が日本に集い、課題を話し合ってきた。第7回の今年は17カ国・地域が参加、2回連続不参加の域内大国フィジーも参加の意向という。

 天然資源を有し地政学的にも重要な位置を占める地域では昨今、中国の浸透が加速している。日本の対応が注目されるゆえんだ。

 単なる中国への対抗とか国連での1票獲得といった次元でなく、長い人的交流、人材育成を大事にしたい。地域の人々は今も日本の貢献を理解していると聞く。(特別記者)

2015.4.18 産経【一筆多論】


<参考>

▼過去の無償援助例としては,「ニッポンコーズウェー」という名前の,島と島を結ぶ道路があります。かつて,豪州を始めさまざまな国がコーズウェー建設を試みては,速い潮の流れ等によって,建設途中の崩壊で建設を断念していきましたが,日本企業の技術力によって1987年に完成させることが出来ました。(外務省ODAメールマガジンより)

日本コーズウエイ

 

 

 

▼全国民脱出まで、あと30年。

 キリバスは赤道直下の33の島から成る国です。排他的経済水域は世界第3位(!)なのですが、なんせ陸地が海抜60cm~1m程度の環礁ばかりで、温暖化の影響をモロに被ってます。

 「海面上昇で国土が沈没する前になんとかしよう」と、政府は前例のない大胆な行動に出ました。2000km近くも遠く離れた、まったくの異国のフィジーに22平方kmの土地を購入したのです。

 キリバスは将来の移住先として数年前からフィジーに目をつけていました。何度もお願いしてやっとOKが出て、今年、フィジーで2番目に大きな島の耕地の1区画を877万ドル(約9億円)で購入することで合意に達したのであります。キリバスの低地は海水を冠って農作物がやられてしまったので、当座はこの耕地でキリバス国民の食料の作物を生育します。

 キリバスはあと30年ぐらいで居住不能になるとの予想もあります(海面上昇で国土が浸水し、淡水の地下水が海水にやられてしまう)。将来的にはキリバス国民約10万人の移住先も必要です。フィジー以外にも、ニュージーランドにも移住を認めるよう働きかけています。

 国土水没の危機で移住先が必要な国はキリバスだけじゃありません。モルディブ、ツバル、マーシャル諸島…いずれも海抜が低く、温暖化の影響を真っ先に被ります。国連は「こうした国々では全国民が国を失うだろう」と報告しています。気象変動に国境なし。(下記ホームページより)

http://www.gizmodo.jp/2014/07/2000km_1.html

 

▼キリバス共和国 基礎データー3(外務省)
1.面積

730平方キロメートル(対馬とほぼ同じ)

2.人口

約10万人(2013年、世界銀行)

3.首都

タラワ

 

 

<雑感> 

 バリ島、ジャジャカルタ、中国、国内47都道府県に足を踏み入れたことがあるが、記憶に残っていることは少ない。ここ数年、グーグルマップで世界を見て歩いている。マップの案内人(お人形さん)連れて。

 どの国のどこを見て回ったのはいつ頃だったかを忘れたころには、実地に見て回ったように錯覚するほど鮮明に思い出す。富士山についても、四季折々の、いろんな角度からの富士山が脳裏にある。


頼藤先生の診断

2015-04-17 10:08:34 | 日記

 

 

 長年の小紙の読者なら、「人生応援団」のコーナーを覚えておられるだろう。精神科医の頼藤和寛(よりふじ・かずひろ)さんが、読者の悩みに答えていた。ユニークで、軽妙で、ときに辛口の文章は、相談ならぬファンレターも舞い込むほどの人気だった。頼藤さんが平成13年に、53歳の若さで亡くならなかったら、連載は今も続いているだろう。

 ▼こんな相談を思い出す。39歳の女性が鬱病でかかっている、神経内科の医師に恋してしまった。これに対して頼藤さんは、その先生にラブレターを出すことを勧める。3通りの可能性が試せる、というのだ。

 ▼まず、やに下がって乗ってくるようなら医師失格、かといって、急に無愛想になるのも、医師としては未熟である。「手紙を読んで、あなたへの理解が深まりました」などと、なんの変わりもなく応対してくれる医師が、スグレモノだ。

 ▼川崎市の聖マリアンナ医科大病院で発覚した、「精神保健指定医」の不正取得問題のニュースを聞いて、想像してみた。資格を取り消された20人の精神科医の先生たちなら、女性患者にどんな態度を取っただろう。

 ▼指定医は、重い精神疾患患者を強制的に入院させるかどうか判断するなど、大きな権限が与えられる。診療報酬も優遇される。その資格を取るために11人の若手医師は、実際は診察していない患者のリポートを提出していた。残りの9人は指導医として、確認を怠った。病院によれば、不正が認定された医師は既に100人の患者の強制入院に関わっている。判断が誤っていたとしたら、重大な人権問題である。

 ▼学生のカンニングを想起させる情けない不正行為は、この病院だけの問題なのか。若者論の著作もあった頼藤さんなら、どんな診断を下すだろう。

2015.4.17  【産経抄】

 


G7、中国の埋め立てを非難…初の海洋安保宣言

2015-04-16 07:47:14 | 日記

 15日、ドイツ北部リューベックで開かれたG7外相会合で、記念写真に納まる岸田外相(右端)ら(ロイター=共同)

 

 【リューベック(ドイツ)=佐藤竜一】先進7か国(G7)外相会合が15日、リューベック市内で開かれ、「海洋安全保障に関する外相宣言」を初めて取りまとめた。

 海洋の「大規模埋め立て」などの一方的な現状変更に反対するとし、中国による南シナ海での岩礁埋め立てを非難した。共同声明では、ウクライナ東部の停戦合意の完全な履行をロシアに求め、日本人人質事件を起こしたイスラム過激派組織「イスラム国」を「強く非難する」とした。

 外相宣言では、「東シナ海及び南シナ海の状況を引き続き注視」するとし、「大規模埋め立てを含め、現状を変更し、緊張を高めるあらゆる一方的な行動を懸念している」と明記した。さらに、「威嚇、強制、力による、領土または海洋の権利の主張を目的とするいかなる試みにも強く反対する」と強調した。

 中国は近年、東シナ海の沖縄県・尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返し、同諸島を含む防空識別圏を設定している。日本のシーレーン(海上交通路)である南シナ海では、岩礁を埋め立て、軍事利用が目的とみられる施設の建設を進めている。

 外相宣言は、中国を名指しすることはしていないが、「東シナ海及び南シナ海の状況」という表現で、こうした中国の威圧的な行動を対象にしていることを明確にした。G7で一致して中国をけん制する狙いがあるとみられる。6月にドイツ・エルマウで開かれるG7首脳会議でも、海洋安全保障が議論される見通しだ。

 
2015年04月16日 01時02分 YOMIURI ONNLINE

 

<参考>

 


これも「粛々と」か…

2015-04-15 16:06:33 | 日記

 

 東の鉄路に、と思えば西の空路に、運輸安全委員会は休む暇なし。まさか、まさかで揺れる「安全」。

      ◇

 プロ野球にtoto構想。「黒い霧」の苦い記憶から、勝敗選びはコンピューター任せの「非予想系」限定と。

 世には、事故で「非想定系」の言い訳はびこる。

      ◇

 ナイジェリア。少女集団拉致から1年。なすすべのないいらだち、申し訳なさ。

      ◇

 富裕層の余剰産物か、大気汚染下の北京、スーパーカー暴走の奇態。

 

毎日新聞 2015年04月15日 東京夕刊

 

<memo>

おー、いたか。よかった~。雨のなか ホ、ホケキョ と鳴いている。


両陛下パラオ訪問 戦没者慰霊へ

2015-04-09 10:39:13 | 日記

両陛下きょうからパラオ訪問 戦没者慰霊へ

4月8日 4時01分 NHKニュース

 

天皇皇后両陛下は戦後70年に当たり、太平洋戦争の戦没者の慰霊などのため、8日からパラオを訪問されます。

両陛下は戦後70年にあたり、戦争によって亡くなった人々を慰霊し、平和を祈念するため、また、日本とパラオとの友好親善関係に鑑み、8日から2日間の日程でパラオを公式訪問されます。
両陛下のパラオ訪問は初めてで8日午前、民間からチャーターした特別機で羽田空港を発って夕方、パラオに到着し、空港での歓迎行事やレメンゲサウ大統領夫妻との会見に臨まれます。
続いて日本の支援で建てられた、さんご礁の研究施設を視察したあと、両陛下の訪問に合わせて招かれたミクロネシアとマーシャル諸島の大統領夫妻と共に歓迎の晩さん会に出席されます。この席で天皇陛下がパラオの大統領と親善のスピーチを交わされます。
両陛下は、夜は日本から派遣された海上保安庁の巡視船の船長室に宿泊されます。
そして9日午前、アメリカ軍との戦闘でおよそ1万人の日本軍がほぼ全滅したペリリュー島を巡視船に搭載されたヘリコプターで訪問されます。両陛下は日本政府が建てた慰霊碑を訪れ、生き残った元日本兵や遺族らも見守るなか、日本から持参した白菊の花束を供えて犠牲者の霊を慰められます。そしてアメリカ軍の慰霊碑も訪れたあと、日系人も多い島の住民と交流する機会を持ち、夜、帰国されます。

 

両陛下パラオ訪問 晩さん会あいさつ 全文

毎日新聞 2015年04月09日 東京朝刊

 

 

 戦後70年に当たる本年、皇后と共に、パラオ共和国を訪問できましたことは、誠に感慨深く、ここにレメンゲサウ大統領閣下のこの度のご招待に対し、深く感謝の意を表します。今夕は、私どものために晩さん会を催してくださり、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、ありがとうございました。また、この訪問に合わせ、モリ・ミクロネシア連邦大統領ご夫妻、ロヤック・マーシャル諸島共和国大統領ご夫妻がここパラオ国をご訪問になり、今日、明日と続き、私どもと行動を共にしてくださることも誠にうれしく、心より感謝いたします。
     
 なお、この度の訪問を前にして、ミクロネシア連邦を襲った台風の被害を耳にいたしました。ここに犠牲になられた方々を悼み、ご遺族へのお悔やみをお伝えするとともに、被害を受けた大勢の方々に心よりお見舞い申し上げます。地域の復興の一日も早いことを念願しております。

 ミクロネシア地域は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になりました。パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領はじめ、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。

 しかしながら、先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。

 また、私どもは、この機会に、この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。

 ミクロネシア3国と日本との外交関係が樹立されてから20年以上がたちました。今日、日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。

 ここに杯を上げて、パラオ共和国大統領閣下、令夫人、ミクロネシア連邦大統領閣下、令夫人、及び、マーシャル諸島共和国大統領閣下、令夫人のご健勝とそれぞれの国の国民の幸せを祈ります。

 

 

画像は保守速報より

 

 

 

 

<memo>

・昨日の飲み会では数年ぶりの酔いだった。17時30分~22時40分までに一次会と二次会を一応こなした。二次会のスナックでボトルに「七人衆」と書いてキープした。昨日は〇東さんが都合で出席できなかった。

 100歳の女性が1500mを1時間15分台で完泳したこと、日本はAIIBに参加すべきか、タラの芽、コゴミ、大きなフキノトウがある場所の話題は盛り上がった。

 みなさん何がしかの運動をしているらしい。後ろ向きに200mを歩いている人の話では、後ろに気をつけて歩くからボケ防止になると言う。

 今朝8時30分起床。太陽の光が目に染みたが、このブログを書き終わる頃には通常の体調にほぼ戻った。


心を映すカメラ

2015-04-08 08:09:18 | 日記

 

 


 昨年80歳で亡くなった作家の渡辺淳一さんが書き残した、自身の結婚式でのエピソードである。仲人を務めた渡辺さんの恩師は、心配でたまらなかった。女性関係が華やかだった渡辺さんの結婚式が、無事に済むわけがないというのだ。

 ▼控室から披露宴の会場に向かう段になって、先頭を歩く恩師が、後ろの渡辺さんにささやいた。「君が先に行きなさい。角に、硫酸でも持った女性がいると大変だからね」(『風のように・返事のない電話』講談社文庫)。

 ▼古今東西、硫酸が凶器となる犯罪は、絶えることがない。ただしたいていの場合、被害者になるのは女性である。イラン中部の町では昨年、男が女性に硫酸を浴びせる事件が連続して発生し、社会問題化した。被害女性はいずれも、国内で義務づけられている全身を覆う服装ではなく、ささやかなおしゃれを楽しんでいた。このため、「宗教的に保守色の強い人物の仕業」との見方がネットに流れたのだ。

 ▼中国の上海市では約20年前、女性銀行員が、かつての男友達に硫酸をかけられて、顔にひどいやけどを負う事件があった。「容貌を損なう重傷を負わせたことは、卑劣で残忍な犯行だ」として、裁判所はなんと被告に、死刑判決を言い渡した。

 ▼群馬県高崎市でもここ数日、女性が硫酸をかけられて軽傷を負う事件が相次いでいた。現場付近の防犯カメラには、被害女性の近くで不審な動きを見せる男が写っていた。群馬県警が公開した画像は、知り合いなら一目でわかるほど鮮明である。あっという間に通報があり、市内に住む30歳の男が逮捕された。

 ▼ただ、見ず知らずの女性を次々に襲う動機がさっぱりわからない。最新のカメラでも、ゆがんだ心の形までは映し出してくれない。

【産経抄】4月8日

 

<memo>

・今日、お隣さんの畑を耕す。花見の飲み会出席。


敵は日本国?

2015-04-06 10:33:25 | 日記

 

 

 「保守に知恵があった」。きのうの朝、TBS系の「サンデーモーニング」で、コメンテーターたちが、橋本龍太郎元首相をたたえていた。

 ▼沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の返還で、米国との合意にこぎつけた橋本氏は、何度も当時の沖縄県知事と会談した。それに比べて、翁長雄志知事と会わない安倍晋三首相には、知恵がない、というのだ。

 ▼橋本氏の功績を認めるのにやぶさかではない。ただ、平成8年3月に中国が台湾周辺にミサイルを発射した、台湾海峡危機の要因も大きかった。沖縄の戦略的重要性と日米同盟強化の必要性が、両国で再認識されたからだ。それには沖縄県民の基地への理解が欠かせない。

 ▼合意から19年たった今、中国の軍事的脅威は、飛躍的に高まっている。にもかかわらず、名護市辺野古への移設をめぐって、政府と翁長氏との対立は深まるばかりだ。移設問題をこじらせた張本人は、「最低でも県外」の無責任発言の鳩山由紀夫元首相である。翁長氏は、その鳩山氏よりも「もっと危険な親中派の人物」。沖縄在住の作家、恵隆之介氏のこんな見方を昨年コラムで紹介した。

 ▼少なくとも翁長氏は、中国を脅威とは感じていない。2月に県議会で読み上げた所信表明演説では、中国の公船が領海侵入を繰り返している尖閣諸島について、「国において関係改善に向けた動きが模索されております」と触れただけだった。

 ▼きのう那覇市内のホテルで菅義偉官房長官と初めて会談した翁長氏は、辺野古移設反対の方針をあらためて強調した。さらに移設への理解を求める菅氏に、こう言い放ったという。「日本国の政治の堕落だ」。まるで反日を国是とする、どこかの国の指導者のような口ぶりである。

4月6日【産経抄】

 

 

<コメント> 

 沖縄県財政は、国庫支出金がなければ極めて苦しい。貧に耐えても基地撤廃を望んでいるようにも、大国中国に併合された方がよいと考えているようにも、遠くからは見える。この財政状況では琉球国をもう一度とはとても不可能だ。

下表は、沖縄県財政課の資料(平成25年12月)である。