祖母は、とてもいいお天気の日に天に昇り、お骨になって自宅に帰ってきました。火葬場での最期の別れ、辛すぎました。あと何回、生きているうえで、この経験をしないとならないのだろうと思うと、なんだか人生が空虚に感じました。
(暗くてごめんなさい)

ところで、小さなことから大きなことまで、母と私は祖母の死後も考え方や過ごし方が違います。摩擦が生じて口論になってもおかしくないくらいです。母も我慢しているでしょうが、私もかなり我慢しています。普段、仲はいいのですが、単純に考え方や行動様式が異なる時があるという。。。
祖母が亡くなった後、一週間も経たないうちにレンタルしていた車椅子や介護ベッド、テーブルの返却をしました。つづけて役所での手続きなどもほぼ終わらせました。
私は祖母の痕跡がなくなってしまうのが寂しくて、もう少し長くレンタル品を置いておきたかったです。一方で、母はすぐに返して骨つぼを置くスペースをつくりたい人でした。
私は祖母のベッドの上でたくさん喋って、オセロやトランプで遊び、手芸もして、毎日ごはんを一緒に食べていたので、思い出がたくさん詰まっていました。そんな私は、祖母がいた証をまだしっかりと噛み締めながら静かに過ごしたい人です。
友達と会う元気もないし、旅に出る気力もない。日常生活においても、悲しみで食が喉を通らない日もあるし、遺影の前で涙が止まらず、音楽を聴きながら浅い眠りにつく日も。介護が終わって楽になったという気持ちはなく、ただただ寂しいです。
一方で、母は動いて気を紛らわせているように見えます。母に自覚はないそうですが、仕事に役所周り(これは私も同行)とものすごく動いています。私は時期尚早と嫌悪感がありますが、トイレの工事も2月に入って早々、予定通り行っています。音も含めて、バタバタと落ち着かない感じがすごく嫌です。
(業者さんや大工さんはいい方たちです)
昨日はお世話になった施設へご挨拶にも行きました。祖母は施設が嫌で、抵抗して、ご迷惑をおかけしました。それでも、今となってはその抵抗する元気さがあったことに懐かしさを覚えました。そして、「この(施設の)駐車場でもなんだかんだと声をあげていたな」と、敷地にいるだけで切なくなりました。
施設には、ちょうど看取りのときに来てくださっていたスキルが高く、最期2日間お世話になった所長さん(看護師)、最初から最後まで嫌な顔ひとつせず常にあたたかく祖母に対応してくださっていた介護士さんがいらっしゃりました。
「(祖母がいなくなって)あみさん、大丈夫ですか?」と声をかけていただいた時は、涙がこぼれました。本当に、本当にお世話になりました。
要介護5でも受け入れてくださったこと、しかも陰気くさくない綺麗な施設、コロナウイルスを理由に外部と遮断して何が中で行われているか分からない施設が多いなか、透明性の高い施設、仕事に対して真摯な方が多い施設、家族と施設の意思疎通がはかりやすかったこと、一人ひとりの要望になるべく沿うように臨機応変に対応してくださる姿勢。母と施設をいくつか見学に行きましたが、「絶対にここがいい!」という理由がたくさんある施設でした。
まだまだ祖母の死を乗り越えられてはいません。特に夜になると辛さが増します。入院してから18ヶ月、自宅に帰ってきてから14ヶ月。祖母とこれまでとは比べものにならないくらいたくさんの濃厚な時間を過ごしてきました。ここから少しの間、私自身の体を休めて、これから生きていく力を溜めようと思います。
さいごに。祖母が晩年の晩年、ずっと「故郷の◯◯に連れて行って」と言っていました。その希望を叶えようと航空券とホテルを予約しました。
遺影とともに香川県に行く予定です。航空券を取る際、きちんとその旨を航空会社にお伝えして了承を得ました。祖母と母と私の親子三世代で香川県の地に久しぶりに行けそうです。そこでも、私は静かに過ごしたいので、あまり人に会わずに香川県の空気を吸ってエネルギーに変えようと思います。
長文にもかかわらず、読んでいただきありがとうございました。寒さ厳しき折、どうか皆さま、お体を大事にお過ごしください。乾燥しているので湿度も大事です。

写真:ストックとデンファレ
お花屋さんで買ったお花。私たちは信仰する宗教はないので、祖母が好きだった紫色のお花や好きなお花を飾っています。