日記も気ままに

JULIEというフィクション、澤田研二というノンフィクション。
フィクションには裏打ちされたノンフィクションがある。

すっぴん ダイアモンド★ユカイさん 2020年3月3日

2020-03-04 | ジュリー
聞き逃しはこちら
ですが、記録してみました

  

オープニングは『勝手にしやがれ』が
曲がかかっている間にジュリーの履歴紹介。なんだけど、ザ・タイガースのデビュー曲紹介、「瞳のマリー」って。ちゃうやん!
『僕のマリー』だよ。(後で訂正は入ったけどww)

→PYGからソロへ。俳優としても活躍、「太陽を盗んだ男」「悪魔のようなあいつ」などがあります。

小学校生の頃でしたけどね、ほんとに好きでしたねぇ。何が良かったのかってかわからなかったけど、なんか魅力的だなと感じました。
やっぱり一番は声ですかね、、ルックスはもちろんですけど。


→ユカイさん小学生のころだと新御三家の時代、そこと比べてジュリーの存在感ってどうだったんですか?
タイガースから知ってたわけじゃないんですよ、、アイドル的だけどGSで。バンドをやってる。
あの、、シンガーとして一世を風靡したじゃないですか。
ちょっと大人っぽかったんです。アイドルの中では異質の存在。小学校3年生くらいですからね、、
3年生からすると、なんか妙な色気みたいな、、感じてましたね。


このあたりから『許されない愛』が

首を振りながら『許されない愛』を歌ったんですよ。
だいたい普通のアイドルの人でも歌手の人でも、首を振って歌ってる人っていなかったんだ。
これ、自然の本能だと思うんだけど。そういうところに魅力を感じてたのかもしれない。


→声の他にグッと来たところは?
だからその自然の本能みたいなものが伝わってくる。
ロック自体は知らないですからね。そのころは。

歌謡曲全盛の時代でロックっていうと。歌謡ロックって言葉もなかった時代ですからね。
だけど今振り返ると、もともとロックをやってた人で、バンドやってたひとだから、ロックの要素があったんじゃないですかね。ジュリーにね。そう思いますけど。


で、ここで、タイガースのデビュー曲は『僕のマリー』だよ。とツイッターでメッセージがきたとお詫びされてます。
そういう間違いよくあるからね。とユカイさん。


ここで、『ストリッパー』がかかる。思わず一緒に歌ってしまった(*^-^*)

はい。『ストリッパー』お送りしていますがね。
やっぱり、歌謡曲っていうのがあったんですよ。我々小学校の時代。
んで、ロックって言うのが、やっぱり、、洋楽と分かれてたっていうか。
で、日本語でロックを歌うっていうこと、この矛盾みたいのがあったんですよね。
沢田さんはもともと洋楽思考だと思うんですよ。ビートルズやストーンズやってたから。
で、それが、歌謡曲の中に入ってやることになって、でも、その中で、振り切ったっていうところが、一つの魅力。
振り切っちゃって、もう、、じゃあ今の俺のやれることを思い切りやろうじゃないかってことで、まあ、、何だろう、、、歌謡界の中でもトップに輝いた。
でぇ、その中でもまた、このロック的な「ストリッパー」のような曲をやり続けてきたっていうか。
ま、これなんかロカビリー調のね、ストレイキャッツが流行った時代でもあったんですよ。
このギターのちょっとストレイキャッツっぽい、ネオロカビリーみたいなね、スタイル。
こりゃカッコイイっすよね。


→このころからエキゾティクスがバックバンドになった?
そう。井上バンドからまたあらたな。自分と同世代。もしくは自分より下の世代の人たちと、こういった新しい。
ま、歌謡曲の中でトップになっちゃったから、歌謡とロックと融合みたいなものをめざして行く。そう思います。


→ユカイさんが実際お会いになったのは、最初は?
最初はね、沢田研二さんのプライドっていうアルバム、、ああ、、永遠な単純ってアルバムがあったんですけど。
って、ちゃうし!つづけて書きますが!
その中でねレコ―ディングに参加したんです。1990年でしたね。
ここらあたりから『プライド』がかかる。
それでね日比谷野外音楽堂でね、一緒のステージに立たせてもらったんです。

  で、ここで訂正が入る
→「単純な永遠(しんぷるなえいえん)」って言うんですかね。
あ、そうです。『単純な永遠』。そう。失礼。

→どうでしたかお会いになって。
すごく紳士で優しい人でしたね。一緒にお酒を飲んだことがありまして。日比谷野音の打ち上げだ。
打ち上げによんでくれまして、ミュージシャンの人たちとみんなで、吉田 健さんもいました。
威張ってましたよ。当時の健さん。プロデューサーだっつって(笑)
そん中で、沢田さんと俺は別の席みたいなことに座ってね、ユカイくん飲もうよ。って湯呑を出してもらって。
湯のみに日本酒をなみなみと入れて、水のように飲んでました。
お酒、強いなんてもんじゃないね、あれは。酒豪ですね。ごくごく飲んでましたね。

で、沢田さんの前ではね、「オレのおふくろがファンなんですよ」って。当時俺はカッコつけてたんだよ。
ほんとは俺、沢田さんのファンだったんですけど、おふくろがファンなんですって。
「お母さんかあ」って不思議な、顔、、(笑)
もう、、30年前ですが、、、そんなことがありましたねぇ。

でも、ライブとかあるたびに顔出して、、、

(ジュリーのバックバンドの人たちとお友達だったようです)よく遊びに行ってました。

→今現在のジュリーは? というリスナーからの質問。
さっきも言いましたけど、沢田さんの凄いところは、振り切ってるっていうか、いちいち悩んでないっていうか、自分のやりたい道をもうまっすぐに突き進んでる、いつの時代も。
なんかそういうところが、吹っ切れちゃってる。って言うんですか。


→現在も? 
そう思います。

これだけの人気がでたら、いろんな人から、やんややんや言われるじゃないですか?
でも、それでも動じないっていうか。自分の思うことを突き進んでるっていうか。
もう、、これぞ、日本のロックスターだとおもいますよ。うん。俺はそう思います。


→では、最後の曲に参りましょう。
日比谷野音の最後に、沢田さんが歌ってた。印象的だった。なかなかラジオではかからないと思うんで。
で、この曲をお送りします。
『コバルトの季節の中で』


と、ざっとこんな感じのお話でした。
ユカイさん、ジュリーとのお話をありがとうございました

あっ、そうそう。ユカイさん、ジュリーはね。
「まよったりころんだり しながらも~」
って歌っております。

と言うことで、澤会さん一昨日インフォの発送されたようです。


我家は今日かな~

コメント (2)