日記も気ままに

JULIEというフィクション、澤田研二というノンフィクション。
フィクションには裏打ちされたノンフィクションがある。

『TOKIO』編曲の後藤次利さんのお話 その①

2020-07-14 | ジュリー
最近は、ちびたちと子ども番組見てて、後藤さんのお名前をよく見ます。
うれしいですよ~ そんなときはね。

で、昨日のラジオは。
おおっ、村山由佳さんの司会かぁ~ と、こちらも嬉しく。


ざーっと聞いてるだけでは、ちゃんと入ってこないので、しっかり聞かなな、、と思いまして、
久しぶりに、書き起こしをしてみました。
結構長かったので、わけて書きますね。



↓ こちらから聞き逃し、きけます~
眠れない貴女へ



  すみません。敬称略で、よろしくおねがいします。

村山
あの名曲に秘められた物語 
このコーナーでは毎回ひとつの名曲にスポットを当てて、
その名曲に携わったシンガーソングライター・作詞家・作曲家の方にご登場いただきお話を伺います。
今夜ご紹介するのは、沢田研二さんの代表曲『TOKIO』です。
お話を伺うのは。

後藤
こんばんは。音楽をやっています。後藤次利と申します。


村山
後藤次利さんは、1952年東京のお生まれ。
スタジオミュージシャンなどの活動を経て、1976年 高中正義・高橋幸宏のお二人とサディスティックスを結成。
1980年には、沢田研二『TOKIO』で、日本レコード大賞編曲賞を受賞されました。
以来、作曲家・編曲家・音楽プロデューサーとして、シブがき隊、おニャン子クラブ・工藤静香・吉川晃司など、
多くのアーティストを手掛けられ、また、現役のベースプレイヤーでもあります。
そんな後藤さんが、数多く手がけた楽曲の中から今日ご紹介する一曲は、沢田研二さんの『TOKIO』です。
ザ・ワイルドワンズでもお馴染みの加瀬邦彦さんが作曲。作詞は糸井重里さんです。
当時は、シンセサイザーのYMOのテクノなんかももう有ったんですけど、それにしても、なんとまあ新しい物を見ているんだなぁ、、自分は。
っていうふうな印象がありましたねぇ。
沢田研二さんの衣装も奇抜で、歌詞も意味があるようなないような、不思議な感じで本当にインパクトが強かったのを覚えています。
まずは、若かりし後藤さんがどんなご縁で沢田研二さんと繋がったかを伺いました。

後藤
沢田研二さんは、ザ・タイガースというグループサウンズ時代、大変人気バンドをやってらっしゃいました。
で、ザ・タイガースが解散して、メンバーの方々が三つのユニットに分かれて再スタートを切ったんですね。
沢田研二さんはピッグ、P・Y・Gと書いて、PYG。
で、僕はですね、岸部シローさんが組んだ、シロ―とブレッド&バターというユニットのベースを弾くことになったんですね。
それも、ひょんなことで。ブレッド&バターとは面識あったんですが、えー、連絡いただきまして。
ツアーに出るのにベースがいないから、ちょっと弾いてくれる?と言われて。
まっ、若かったですから、ギターの6本より弦が少ないから簡単だろう、と、はい、ってすぐ言ったんですがね。
で、リハスタ行ったら、自分、ベースなんか持ってないですから、ベースが用意されてたんですね。
それは、シローさんのお兄さんの一徳さんの楽器だったんですが、それをお借りして、3曲くらいだったと思うんですが、練習して、翌々日くらいには本番のステージ立って弾いてたような気がします。
で、ツアーなんかもですね、その沢田さんのやってたPYGなんかと何カ所か回ることができたんですが、
当然、僕はまだ学生半分、学生みたいなもんでしたから、会話なんかできる状態じゃないですね。
それが、僕が19歳の時の出来事なんです。


村山
いやぁ、、19歳の時にこの、ビックチャンスですよね。でも、ご本人はわりと淡々としてらっしゃる感じで、
ギターだけでベースなんて弾いたことないのに。その人がですよ、なんたって、あのザ・タイガースのジュリーと、雲の上の人と言っても過言じゃないと思うんですけれども、そういう人と、もう、、ツアーという。
どれだけの度胸とそして運の強さ。ねぇ。びっくりしますけれど。
更に、『TOKIO』のプロデューサーでもあった加瀬邦彦さんとの出会いも、その後の後藤さんのキャリアに大きな影響があったそうです。

後藤
沢田研二さんの『TOKIO』の前にですね、沢田研二さんの『ロンリーウルフ』というシングル曲があったんですが、
それに携わることができたんですね、アレンジで。
それは、渋い大人のロックっていう感じの楽曲だったですが。引き続き次のシングルを、と言うことを依頼をいただきまして、
『TOKIO』に入っていくわけです。
で、作曲は加瀬邦彦さん。加瀬邦彦さんをはじめてお見掛けしたのは、僕は、中学2年の時なんですね。
アストロノーツというアメリカのバンドのコンサートが有りまして、姉に誘われて僕は見にいったんですね。
で、その時に共演バンドが寺内タケシさんのブルージーンズだったんです。
そこで、セカンドのサイドギターを弾いてたのが加瀬邦彦さんなんですね。
ステージを見て、あっ、かっこいい~ と思って、そのコンサートを見てからギターを始めたんですね。
ギターを始めたきっかけになった加瀬邦彦さんのステージとベースを持つことになったきっかけの、
沢田研二さんのPYGとのツアーも面白い。なんですかね、縁ですね。



つづく~
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