日記も気ままに

JULIEというフィクション、澤田研二というノンフィクション。
フィクションには裏打ちされたノンフィクションがある。

『TOKIO』編曲の後藤次利さんのお話 最終回

2020-07-16 | ジュリー
タローさんち更新


↓ 聞き逃しはまだ聴けます~
眠れない貴女へ


村山
沢田研二で『TOKIO』、お送りしました。
いやあ、、あの時代の空気が、ぶあーっとよみがえりますねぇ。
まあ、ある意味日本が今より、うんと元気だった時代、と言ってもいいのかなぁ、、。
こうしてお話を伺っても、それまで当り前とされていた常識、まあ、常識の頚城と言ってもいいでしょう。
そういう所からどこまでも自由っていう感じがしますねぇ。
この曲は、1980年の1月1日に発表され、その年の暮の日本レコード大賞編曲賞を受賞しました。
当時、受賞された反響について伺いました。

後藤
アレンジって言うとですね、あのぉ、僕なんかスタジオミュージシャンの頃に経験してますが、
大先生が来て譜面が配られて、オーケストレーションがあって、そんなのがやっぱほんとのアレンジだと思うんですが、
いきなりリズム、ベース、ドラム、ギター、ピアノ、シンセサイザーの、そういう楽曲だけで、アレンジ、編曲賞なんていう名前をいただいていいのか、
なんていうのがあるんですが。
ま、でも、そういう時代のスタートになったかもしれないですね。80年代の。
当時、まだ僕も20代だったわけで、若手だったんですからね(笑)
えー、そのおかげで、その後はアレンジの仕事とか、後にはそこから作曲に広がって、まぁ、
今日までなんとかやって来てますけれども。
そして、『TOKIO』の次の『恋のバットチューニング』その後の『麗人』
沢田研二さんのシングル曲は、何曲かアレンジをさせていただきました。
1993年になり、久々に声をかけていただき、全国ツアーを、ベーシストとして一緒にまわる。
翌1994年には、『HELLO』というアルバムのプロデュースもやることができました。
もう、それから途絶えてるのが残念ですねぇ。
また、沢田さんとなんかできたら、ものすごく嬉しいですね。


村山
オーケストラもなんにも使ってないのに、あれでアレンジ賞なんていただいちゃって良いのかなぁ、、
っておっしゃいますけど、あのアレンジ、あの編曲があってこその楽曲ですよねぇ。
おっしゃる通り、新しい時代の幕開けを象徴する一曲だったんだと思います。
『TOKIO』は近年でも、桑田佳祐さんや山崎育三郎さんなどがカバーし、
CMソングでもたびたび使用され、幅広い世代から愛されています。
その理由について、後藤さんはどのように思われているんでしょうか。

後藤
まず、メロディーがとてもコードを含めてシンプルなんです。でも、構成がすごく面白い曲なんですよ。
Aメロが出てすぐサビが出てくんですね。TOKIOってとこが。
それからいっぺんBメロ行ってまたサビが出んですね。
シンプルなメロディーだけど、構成がすごく面白い曲ですね。
そして、やはり、作詞の糸井さんの、この東京の姿を切り取った斬新な手法の内容。
これも、とても大きいと思います。
そして、あの頃、あれですね、、いろんなシンガーの方もそうですが、シングル曲が出るたびに、
どんな衣装で臨むんだろうっていう、そんな楽しみがあったんですが。
『TOKIO』の沢田研二さんも、やっぱりコスチューム、すごかったですね。パラシュートで。
で、やっぱり、沢田さんの声の強さ、艶っぽさ。強さと艶っぽさを兼ね備えた、無敵ですね。
そして全員が、スタッフも含めて全員が若かったですね。なんか、そんなエネルギーが詰まってたと思います。
今、久々に僕も、引っ張り出して聞きましたが、
懐かしく、そしてまた、なんかいいなあ、、っていう、感慨にふけってますけども。


村山
確かにあの時の舞台というのかな、ほんとにもう、沢田さんの舞台って言ってもいいくらい、
もう、、インパクトありましたよねぇ。
衣装も、電飾がぴかぴかしてて、ご本人も空飛んだりメイクしたりして、
あの頃って、そいうすべてが斬新で新鮮で、いったい何が始まったんだろうって、
見ていてわくわくしました。
TOKIOが空を飛ぶ、って、何なんだTOKIOってって思いましたし。
時代の変わり目を肌でっていうか、耳と目からはっきり感じた、そんな一曲でしたねぇ。
最後に、後藤さんにとって『TOKIO』はどんな存在の楽曲なのか伺いました。

後藤
『TOKIO』は、僕にとって、そうですねぇ、、
えー、その後の仕事をしていく上でも大きな力になったし、背中を押してくれた楽曲じゃないですかね。
そして、前にお話ししたように、僕自身の音楽の、アマチュアだけどギターを始めるきっかけや、
プロとしてベースを始めるきっかけの、その周辺にいてくれた方々。
まっ、僕が勝手に思ってますけども、そういう人たちと一緒に仕事ができて、
そして自分もプロミュージシャンとして、やってくことが、
今日までできたことの大きな財産になった曲です。


村山
ジュリーなればこそのあのスター性に、この楽曲の新しさが合わさって、
『TOKIO』という名曲になったと思うんですけど、
日本全国の人が知ってると言っても過言じゃないような曲ですよね。
そういうヒット曲が昔は有ったんだなあ、、って思いました。
そして、お話を伺ってると、出会いが人の人生を作るというのが良くわかる、
ほんとにドラマチックなお話でしたねぇ。
A song story 沢田研二の『TOKIO』を編曲された後藤次利さんにお話を伺いました。
後藤さんにはステイホーム期間中に、ご自宅で録音していただきました。


ということでおしまい(*^-^*)

また、沢田さんとなんかできたら、ものすごく嬉しいですね。
沢田さんの声の強さ、艶っぽさ。強さと艶っぽさを兼ね備えた、無敵ですね。


の言葉が嬉しいです。

みんなが、真剣に面白がって一曲を創り上げてるって、
いいなあ~
ジュリーの歌声を嬉々として聴けた裏には、こんなお話があったんやなぁ、、
そして、こうやって歌を作っている人たちの「思うつぼ」に
私は、ハマっているのかも~

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました
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