最初に…
私にとって、このブログは長く続けられている日記帳なので、今回悲しい記事となりますので、読まれてる方はどうぞスルーして下さい。
8月1日、母は逝ってしまった。
病気を患っていたので、覚悟はしておかなければならなかったのに、その時まで覚悟ができなかった。
容体が悪くなり病院に運ばれてから半月頑張ってくれたのに…
会話ができなかった。
唯一、拓希に手を出しあやすように口を動かしてくれたのをみたのが、私がみた最後の動きだった。
母はキレイな人だった。
病院で寝ている母をみた時に、本当にそう思った。
顔や手にほとんどシミがなく、色白でキレイな肌をしていた。
そんなキレイな母は、子供の頃自慢だった。
授業参観日では、みんなに「キレイだ」と言われたものだった。
私たちの為に働き、忙しい中でも社交ダンスを始め、趣味を充実させていた母。
本当に素晴らしい人だった。
私の出産の時には、何かを感じ分娩中に電話をくれた母。
そして、どんどん成長していく王子を頑張って抱っこしてくれた母。
なのに、私は何もしてあげられなかった。
一週間経ち、日常の生活に戻ると、やっぱり間違いなのではと思ってしまう…
私にとって、このブログは長く続けられている日記帳なので、今回悲しい記事となりますので、読まれてる方はどうぞスルーして下さい。
8月1日、母は逝ってしまった。
病気を患っていたので、覚悟はしておかなければならなかったのに、その時まで覚悟ができなかった。
容体が悪くなり病院に運ばれてから半月頑張ってくれたのに…
会話ができなかった。
唯一、拓希に手を出しあやすように口を動かしてくれたのをみたのが、私がみた最後の動きだった。
母はキレイな人だった。
病院で寝ている母をみた時に、本当にそう思った。
顔や手にほとんどシミがなく、色白でキレイな肌をしていた。
そんなキレイな母は、子供の頃自慢だった。
授業参観日では、みんなに「キレイだ」と言われたものだった。
私たちの為に働き、忙しい中でも社交ダンスを始め、趣味を充実させていた母。
本当に素晴らしい人だった。
私の出産の時には、何かを感じ分娩中に電話をくれた母。
そして、どんどん成長していく王子を頑張って抱っこしてくれた母。
なのに、私は何もしてあげられなかった。
一週間経ち、日常の生活に戻ると、やっぱり間違いなのではと思ってしまう…