漫画「リアル」4巻発売の日。
速攻買って読んだ。
これは「スラムダンク」や「バカボンド」で有名な
井上雄彦さんの作品で、車椅子バスケットのお話。
車椅子―ということで、描かれているのは
やはり障害を持った人たちのドラマだから、
扱われているテーマはこの上もなく重い。
私はこの漫画、特に強い思い入れを持って読んでいる。
それと言うのも、高校時代の親友が、
交通事故で一瞬にして右脚を失ってしまったから。
18歳の冬。
共通1次を1週間後に控えた土曜日、
彼女は早朝、入院中のお母さんを見舞うために
登校前に自転車で病院へ向かい、
その途中の交差点で、大型トラックの後輪に
下半身を巻き込まれてしまった。
幸い病院が近かったので命は取り留めたけれど、
骨盤は骨折、左脚は複雑骨折、
そして損傷が激しく大出血が命を脅かす右足は、
根元から切断せざるを得ない状態だった。
私は彼女とは幼稚園、小学校、中学校、高校と同級生だった。
小さいころから利発で活発で、運動神経も抜群。
マラソン大会は毎年1位。
剣道に、器械体操に、ミニバスケット…。
小さくて華奢な体で、どんなスポーツをやっても
速く力強くかっこよく、小気味良いほどだった。
個人的に親しくなったのは、同じクラスになり、
毎日一緒にチャリ通するようになった高校から。
そして彼女の明るさ、強さ、思いやりの深さを知った。
イヤなことがあってもさっぱりと笑い飛ばし、
どんなくだらない悩みでも静かに耳を傾け聞いてくれた。
私がだれかの悪口を言いそうな話の流れになると
さらりと別の方向へ話題を転換してくれたし、
クラスで孤立してしまっている子をフォローするのも彼女だった。
一つ、忘れられない出来事がある。
ある日下校途中、いつものようにしゃべりながら
並んでチャリを走らせていると、
車の少ない道路の真中に何かが落ちていた。
猫の轢死体だった。
お腹の真中を轢かれて
見るも無残な姿になっていたその死体を
「かわいそうだね。」と言って通りすぎた数秒後、
彼女はチャリを止めて言った。
「これ以上別の車に轢かれたらかわいそうだから
あの子を道の端に運んでくる。」
そして彼女は本当にその猫のところまで道を戻り、
近くで棒と板切れを探してきて、
私など直視することもできずにいたその死体を、
少しずつ道の端へ移動させて、
最後には「待たせてごめんね」と戻ってきたのだった。
私は彼女を尊敬していた。
男子からも女子からもとても好かれていた彼女と
親しくできることがうれしかった。
そんな彼女が。どうして。
私はそれまでも神様を信じてはいなかったけど、
彼女が事故に遭ってからはより一層神を、
そしてさらに世の中のすべて何もかもが信じられなくなった。
私の知る限り、彼女ほどまじめに、善良に、
前向きに生きていた人はいない。
その彼女がこんな目に遭うのなら、
一体何を信じればいいと言うのか。
どんなに良く生きても、どんなにがんばっても、
どんなに一生懸命でも、それが報われるどころか、
くじ引きのような偶然で悲劇は起こるのだ。
では私たちは皆、何のために生きているのか。
もうどんなに祈っても、
彼女の走る美しいフォームを見ることはできない。
どんなに泣いても叫んでも、
これからの彼女はその体で生きなくてはならない。
1番つらいのは彼女と分かっているのに、
当時の私はそのことを受け入れるのには弱すぎた。
私はその後何年も、健康な18歳の女の子が
突然脚を失うということについて考え、
解決することができなかった。
自分が右脚を失う夢を何度も見、
また右脚のない彼女を前に何もできずにいる夢を
その何倍も見た。
そして実際に私は何も、
最低最悪なくらい何もできなかった。
退院し、リハビリを乗り越え、義足で歩き、
車の免許を取り…1歩1歩前進して行く彼女に、
何を言っていいのかも分からないのだ。
彼女は特別扱いされることを嫌ったが、
事故をなかったことにはできない。
彼女は何度も私に会いにきてくれたのに、
私は彼女に会うのが怖かった。
何も助けにならず、何を成し遂げるわけでもない自分に
脚が2本あることが申し訳なかった。
容量を超えてしまったようなのでその2に続く―。
速攻買って読んだ。
これは「スラムダンク」や「バカボンド」で有名な
井上雄彦さんの作品で、車椅子バスケットのお話。
車椅子―ということで、描かれているのは
やはり障害を持った人たちのドラマだから、
扱われているテーマはこの上もなく重い。
私はこの漫画、特に強い思い入れを持って読んでいる。
それと言うのも、高校時代の親友が、
交通事故で一瞬にして右脚を失ってしまったから。
18歳の冬。
共通1次を1週間後に控えた土曜日、
彼女は早朝、入院中のお母さんを見舞うために
登校前に自転車で病院へ向かい、
その途中の交差点で、大型トラックの後輪に
下半身を巻き込まれてしまった。
幸い病院が近かったので命は取り留めたけれど、
骨盤は骨折、左脚は複雑骨折、
そして損傷が激しく大出血が命を脅かす右足は、
根元から切断せざるを得ない状態だった。
私は彼女とは幼稚園、小学校、中学校、高校と同級生だった。
小さいころから利発で活発で、運動神経も抜群。
マラソン大会は毎年1位。
剣道に、器械体操に、ミニバスケット…。
小さくて華奢な体で、どんなスポーツをやっても
速く力強くかっこよく、小気味良いほどだった。
個人的に親しくなったのは、同じクラスになり、
毎日一緒にチャリ通するようになった高校から。
そして彼女の明るさ、強さ、思いやりの深さを知った。
イヤなことがあってもさっぱりと笑い飛ばし、
どんなくだらない悩みでも静かに耳を傾け聞いてくれた。
私がだれかの悪口を言いそうな話の流れになると
さらりと別の方向へ話題を転換してくれたし、
クラスで孤立してしまっている子をフォローするのも彼女だった。
一つ、忘れられない出来事がある。
ある日下校途中、いつものようにしゃべりながら
並んでチャリを走らせていると、
車の少ない道路の真中に何かが落ちていた。
猫の轢死体だった。
お腹の真中を轢かれて
見るも無残な姿になっていたその死体を
「かわいそうだね。」と言って通りすぎた数秒後、
彼女はチャリを止めて言った。
「これ以上別の車に轢かれたらかわいそうだから
あの子を道の端に運んでくる。」
そして彼女は本当にその猫のところまで道を戻り、
近くで棒と板切れを探してきて、
私など直視することもできずにいたその死体を、
少しずつ道の端へ移動させて、
最後には「待たせてごめんね」と戻ってきたのだった。
私は彼女を尊敬していた。
男子からも女子からもとても好かれていた彼女と
親しくできることがうれしかった。
そんな彼女が。どうして。
私はそれまでも神様を信じてはいなかったけど、
彼女が事故に遭ってからはより一層神を、
そしてさらに世の中のすべて何もかもが信じられなくなった。
私の知る限り、彼女ほどまじめに、善良に、
前向きに生きていた人はいない。
その彼女がこんな目に遭うのなら、
一体何を信じればいいと言うのか。
どんなに良く生きても、どんなにがんばっても、
どんなに一生懸命でも、それが報われるどころか、
くじ引きのような偶然で悲劇は起こるのだ。
では私たちは皆、何のために生きているのか。
もうどんなに祈っても、
彼女の走る美しいフォームを見ることはできない。
どんなに泣いても叫んでも、
これからの彼女はその体で生きなくてはならない。
1番つらいのは彼女と分かっているのに、
当時の私はそのことを受け入れるのには弱すぎた。
私はその後何年も、健康な18歳の女の子が
突然脚を失うということについて考え、
解決することができなかった。
自分が右脚を失う夢を何度も見、
また右脚のない彼女を前に何もできずにいる夢を
その何倍も見た。
そして実際に私は何も、
最低最悪なくらい何もできなかった。
退院し、リハビリを乗り越え、義足で歩き、
車の免許を取り…1歩1歩前進して行く彼女に、
何を言っていいのかも分からないのだ。
彼女は特別扱いされることを嫌ったが、
事故をなかったことにはできない。
彼女は何度も私に会いにきてくれたのに、
私は彼女に会うのが怖かった。
何も助けにならず、何を成し遂げるわけでもない自分に
脚が2本あることが申し訳なかった。
容量を超えてしまったようなのでその2に続く―。
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