らくがき帖

ノンジャンル心象風景

デジャヴ

2006年08月30日 | 生活
私は正真正銘の粗忽者である。

幼少のころより私をよく知る人は
「aricaちゃんの頭の中って、大きい花が咲いてそうだね」
「頭の中にいつもチンドン屋さんが通っていそうだね」
「aricaちゃんて常に酔っ払ってるみたい」
「絶対、お母さんのお腹に何かを置いてきちゃったよね」
などと評す。

しかし私の間抜けっぷりは、例えば
できたての料理を器によそおうとして
鍋ごと床にひっくり返してしまったり、
アイランド型のホームの駅では自分の行き先に関係なく
最初に来た電車に乗ってしまったり、
東京駅の新幹線乗り換え口で忘れ物を思い出して
「あっ!!」と大きな声を出し、
衆目を集めてしまったりと、
自分自身が悲しくなったり、損をしたり、
恥をかいたりはするものの、
他人には(それほど)迷惑はかけていない(はずだ)。

だが唯一、自分の間抜けさゆえに
親しい人に大迷惑をかけてしまった記憶がある。

あれはアパレルメーカーの社員として
丸井池袋店の中のショップで販売員をしていたころのこと。
隣のショップの販売員さんと一緒に
お昼の休憩に出た私は、社食で
懇意にしている丸井の社員さん2人に会い、
一緒にお昼を食べたあと4人で休憩室に移動した。
職場ではまじめな振りをして猫をかぶっていた私だが、
このとき一緒にいたのは気心の知れた人ばかりで、
ついつい気が緩んでしまっていたのだろう。

このころ私は食後に必ず缶コーヒーを飲んでいたのだが、
飲む前に入念に缶を振る癖があった。
いつものように缶を振り振り、
ついつい話に夢中になっていたら、
無意識のうちにプルタブを開けたことに
自分で気づかなかったのである。
「え~っ!そうなんですかぁ?」
などと言いながら、
口の開いた缶を上下に激しくぶんぶんと…。

向かいに座っていた社員さんの
「キャーーッ」
という悲鳴で我に返ってみると、
おっしゃれ~な格好の隣のショップの方も、
制服の白いシャツを着た丸井の2人の社員さんも、
頭から指先までコーヒーの茶色いシミまみれである。
「はっ・・・!! 申し訳ございませーんっ!!!」
などと言ってももう遅い。
これからまた仕事をするのに、
しかも見た目命の洋服の販売の仕事なのに、
あり得ないことである。
こんな大迷惑な人間、見たことあるだろうか…
いや、絶対にない!!


…とまあこの事件は忘れられない記憶となり、
最近も缶コーヒーを見てあのときの気まずさを
思い出したりしていたのだが、
きょう、ついさっき、
似たような光景を見てしまった。

以前からほしいと思っていた
ドレッシングメーカーをゲットした私はご機嫌で、
サラダにかける中華ドレッシングを
手作りしてみた。
レシピどおりに材料を入れ、快調にシェイクし、
味見をして満足した私は、
片手で冷蔵庫を開けながら
もう片方の手で小気味よくもう一振り…すると!

しっかりと締まっていなっかったフタがぽーんと飛んで行き、
私の周囲半径2メートルに
中華ドレッシングの雨がぼたぼたと…!!!
ちなみに我が家、築5ヶ月である。
白いエンボスの壁紙である。
床はすべて無垢パイン材である。
茶色い油染みである!!!(ToT)

    

泣きながら壁や床を拭いたが、
シミは落ち切らなかった。
ついでに自分もたっぷりドレッシングを浴び、
お風呂に入ってもまだごま油臭い気がする。

はぁ…あれから10年以上経っているのに、
人間の本質は変わらないものだなぁ…

今年もようやく

2006年08月28日 | 子供
終わりましたよ!
子供たちの夏休みが…

まあ多少イライラしたこともありましたが、
最初に「子供にとことん付き合おう」
と覚悟しただけあって
去年ほどには磨耗しませんでした。
乳幼児のころに比べれば、
格段に手はかからなくなっていますしね(*^_^*)

でも、
自分の中で「私の自由は今はないんだ」という
あきらめムードが強過ぎたのか、
今ひとつ生活にメリハリがなかったのが反省点…。
家じゅうのだれよりも率先して
宵っ張りの朝寝坊を実行し続けてしまったし、
もう子供にリズムも何もあったもんじゃなかったです。
来年の課題だな、こりゃ。

夏休み終了と同時にこちらは秋。
暑がりのヒメが今朝学校に出かけるとき
「上着着たい…」
と言ったほど、朝晩は涼しいです。

さーあ、家の片付けにガーデニング、
ビーズにバレエにバレーボール、
秋からはまたがんばっちゃうよ~~~(^_^)v

お知らせ

2006年08月28日 | 自分
いやもう、
ホントに調子に乗りすぎだとは思うのですが、
ガーデニングのブログも
こことは別で立ち上げちゃいました…↓

http://blog.livedoor.jp/miri_arica/?blog_id=1906561

ここはもともと
近況報告を目的とした場所だったので
(最近aricaの自由研究的話題が多くて失礼!)
着物やガーデニングに興味のある人が
たくさん来るわけではないだろうし、
それなのにそんな話を夢中でするのも
どうなんだろう、
でも語りたいっちゃ語りたい…というのが動機です。

でもどう考えても、こんなにたくさん
つつがなく管理していけると思えない!
パソ不精な時期には
何日も電源入れないってことだってあるのに…。

でもまあ、暇と話題のあるうちは
更新したいと思ってます。
興味のある方、よろしくお願いしますm(_ _)m

泉区民ふるさと祭り

2006年08月27日 | 生活
の花火大会に行ってきた。
これは今までのような
小さい町の小さいお祭りではなく、
かつては泉市として
仙台ベッドタウンの一翼を担ってきた
泉区挙げての夏祭りである。
花火大会もかなり豪華。
また花火の打ち上げ場所と見物場所が
至近距離にあるため、
一つ一つの花火がとても大きく見える。
スターマインなど上から火の粉が
降ってくるような感じだ。
これを見逃しては泉区民の名折れである。

今年はいつもよりも短時間で
終わってしまった感があったが、
その分内容は濃く非常に満足できた。
孔雀、イナバウアーといったテーマが設けられていて
一つ一つの作品に個性が感じられてよかったし、
定番の絵柄連発は花と蝶だったり、
枝垂れタイプはきらめきの華々しいものと
組み合わされて新しい印象になっていたりと
本当に平凡な駄作が少なかった。

しかしだ。
こんなにステキな花火を見て私がうっとりしているときに、

「ママ、焼きそば取って、焼きそば!」
「ママー、このミルクティー、ヒメあんまり好きじゃなかった…」
「ママー、帯がきつくなってきたから緩めて~。ねえ、ママってば!!!」

花火を見ていないばかりか
人の鑑賞をジャマするヒメは、
いつになったら花火にうっとりするようになってくれるのだろうか…。

パブロフに倣って

2006年08月26日 | 生活
先日20日から、金魚を飼っている。
郊外の小さな町のお祭りを見物に行った際、
衝動的に子供に金魚すくいを
やらせてしまっただけなのだが、
その日以来、私が金魚に夢中である。

まずお祭りの帰り道にホームセンターで
金魚の初心者セットを購入。
水槽、ふた、フィルターとポンプ、
カルキ中和剤、えさフレークの試供品、
フェイク水草と、
当面金魚が健康に生きるための
すべてが入っていて1500円。
世の中便利になっているものだ。

内装がフェイク水草だけでは
味気なかろうと思い、このとき一緒に
川砂と、金魚が食べる水草も購入した。
お祭りの金魚にここまですれば文句はあるまい。

しかし、家に帰ってすべてをセッティングし、
さらに「金魚の飼い方」を研究したり
日がな1日金魚を眺めていたりするうちに
金魚熱は猛烈な勢いで上昇し、
到底今の金魚環境に満足できなくなった。
またもホームセンターで買い足し。

水質悪化を防ぐバクテリアと水草、
インテリア向上のための流木。
金魚の健康と色揚げ(発色のよさ)に配慮したえさ。
ニモに出てきた火山やドクロや家も
売っていれば買ってしまったかもしれないが
町の小さなホームセンターにそこまではなかった。
ほっ……。

さて、こうして環境にも満足し、
暇さえあれば金魚を眺めていたところ、
実にいろいろなことがわかった。

まず奴ら、個性というものがしっかりとある。
全部で4匹いるのだが、
せっかちで猛スピードで動かずにいられない者、
他人にちょっかいばかり出している者、
おっとりとして必要最小限しか動かない者と
実にさまざまである。
大きさや色合いよりも、
動きで個体を判じられるくらい1匹1匹が違う。

そしてその上、「遊び」をする。
泡をつついたり、他人をつついたり、
ポンプによって起こる水流にわざと流されたり…

これはひょっとして、
金魚は私が思っていたよりもずっと
知的な生き物なのではと思い立った私は、
あの実験をやってみることにした。

パブロフの犬。

犬にえさをやるとき、毎回同じベルを鳴らす。
すると犬はそのベルの音を聞いただけで
えさを期待しよだれを垂らすようになる。
パブロフがやった条件反射の実験である。

私が幼いころ入り浸っていた
母方の祖母の家では
池の鯉にえさをやるときいつも拍手で呼んでいた。
我が家の金魚にあれをやらせるのだ。
えさをやるときいつも同じ音を聞かせる。
そのうちそれを覚えて
音を聞かせれば集まるようになる…はずである!
果たしてどのくらいで覚えるであろうか?
1ヶ月か、2ヶ月か、それとも
金魚にはやはり無理なのか?

正解は……2日でした!!
えさをやるとき
「カッカッカッカッ・・・」
と舌を打つ音を長めに聞かせるように
し始めたのが23日。
きょうはもう、舌でなくても
「コンコンコンコン…」
と何かを叩く音がすれば
4匹揃って水面に集まって騒然としている。
いや、水槽の側で人間が立ち上がったら
もう水面で騒然だ。

小さい小さい命なのに、
食に対する貪欲さ、生への執着の強さは
なかなかにすさまじい。
かわいいかわいいと愛でている期間など
あっという間で、
ぐんぐん大きくなって
えさの時間はピラニアのようになるのではと
不安もよぎりつつ、
金魚を眺める私は満足だ。
元気で賢く、よく動く、エライぞ、お前たち♪

さて、次は何の実験しようかな…。

ご当地色 その2

2006年08月23日 | 生活
「お楽しみに」などと書いておいて
こんなに間が空いてしまうというのも
酷い話である。
本当に楽しみにして下さった方、
申し訳ありませんでしたm(_ _)m


さて。
皆さんは子供のころ、
「はないちもんめ」をやるときに、
最初のチーム分けをどのように行いましたか?
あるいは野球とか、バレーボールとか、
とにかくランダムに二手に分かれて
遊びたいときに。どのように?

はい、今思い浮かびましたね。
今思い浮かんだことをするのが
当然だと思っていますよね。
それが、地域によって全然違うのです!!!

このことが判明したのは
子供の遊びを見ていたからではない。
ママさんバレーの練習中である。
2チームに分かれて
試合形式の練習をしようというときだ。

東京出身のキャプテンが言う。
「じゃあグーパーしよう」
顔を見合わせ集まる部員。
なんとなく皆が手を出したところで
キャプテンの声。
「グーとパー」
……皆の手が出ない……。

転勤族の街仙台では、
ママたちの出身地は北海道から九州まで
全国に及ぶ。
すると驚いたことに、
必ずしもチーム分けのスタンダードは
グーパーではないのである。

まず東海地方出身の私。
グーパーはグーパーだが、
出すときの掛け声が違う。
異様な早口で
「グーパーグーパーグーパー出しっ!」。
なのでキャプテンの声には反応できず。

だがこのように
グーパーのイントネーションや
タイミングが違う、というのはまだいい。
グーパーはするけど掛け声は
「じゃんけんぽい」と一緒、などと
紛らわしいことを言う地方も大目に見よう。

青森出身者は言う。
「え~?『グーとチッ』じゃないの?」
グーかチョキを出すと言うのだ!
道理で、さっき平然とチョキを出していたわけだ。
しかし、これもまたじゃんけんから
派生しているという意味ではまだ分かる。

あまりにも揃わないので
ここは当地仙台の流儀で、ということになり
仙台ジモティーに聞いてみたところ

「う~ら~お~も~て」

…グーもパーもチョキもない。
いや、言わば全員パーである。
開いた手をひらひらと振り、
「…お~も~て」の「て」を言ったときに
その手を止めて、
手の平が上の人、手の甲が上の人で
分かれるのである。

あまりの文化の違いに衝撃を受けつつも
皆でこれをやってみたが…
非常ーに判別しづらい!
全員手を開いているし、
みんな色白で手の平も甲も大差ないから、
指ばかりがにょきにょきと出ている印象だ。
表が何人で裏が何人なのか
さっぱりわからない。
仕方がないので
「表出してる人ー」
と呼びかけてみると
「表って…どっち…?」
騒然である。
埒が明かない。

そんなこんなで
我がバレーボール同好会は
二手に分かれる前に
どうやって二手に分かれるかを
まず考えねばならない。
「『ぐーとぱっ』の『ぱ』のとき出してね?」
といったタイミングの打ち合わせは
最早見慣れた光景である。

狭い日本なのに、所変わればだ。


ちなみにヒメとタローは…
もちろんあの判別しづらい
「う~ら~お~も~て」
です…(T_T)



ご当地色

2006年08月17日 | 子供
私たち家族が仙台に永住することになったとき、
母は何度もつぶやいていた。

「ヒメちゃんとタローくんは、
東北弁の子になっちゃうのかしらねぇ…」

沼津にも聞き捨てならない
ダサダサな方言が数多くあるのを棚に上げ
「東北弁になっちゃう」
とはまた東北弁に対して失礼だが、
やはり東北地方に縁のない者からすれば、
東北=東北弁=聞き取れない
と言うイメージを拭い去れないのは理解できる。

しかし心配御無用。
仙台市内は転勤族の街。
ママ友にも子供たちにも
役所やお店の人にも
東北弁を話す人はほとんどいない。
青森や岩手の出身で、
お年寄りの東北弁を字幕なしで
理解できるという友達も何人かいるが、
彼女たちも普段話しているのは
関東の友達と変わらない標準語。
完全なバイリンガルである。

こちらへ来てから
「東北弁で何言ってるのか
全然わからない…!!!」
と意思の疎通困難を感じたのは
自動車学校のおじいちゃん先生と
うちを建ててくれた大工の棟梁ぐらい。
だからヒメとタローは
まったく東北弁はしゃべれないよ、
安心してお母さん、
と最近まで思っていたのだが。

あったのである。
いかに転勤族が全国各地から集まれど
ご当地色を拭い去れないジャンルが。

それは…
わらべうた(&伝統的な子供の遊び)!!


例えば「どちらにしようかな」。
お菓子を一つだけ選んでいいよと言われたのに
いくつかで迷ってしまったときなどにやる
あれである。

まず私が慣れ親しんだ
静岡県沼津市片浜地区バージョンを
ご披露しよう。

♪どちらにしようかな
神様の言う通り
ぎったんばっこんしようかな
隣のバカ娘に訊けば分かるよ

幼いころは当たり前のように口にしていたが
「隣のバカ娘」はひどい。
どこぞの教育機関の方が聞いたら
この地域の子は差別用語を口にしている!
などと問題にされそうだ。
とは言え私はこれに慣れ親しみ、
もちろん他の地域バージョンを知らなかったから、
自分の2人の子供たちが
当たり前のように仙台バージョンを
口にするのを聞いていささか驚いた。

♪どちらにしようかな
神様の言う通り
あべべのべのべ
鉄砲撃ってバンバンバン
柿の種

鉄砲を撃つのは何となくニュアンスが分かる。
だが「あべべのべのべ」は何だ。
なぜ柿の種に選択を任せる!?
最初は違和感だらけで
沼津バージョンに替えさせようかと思ったが、
どう考えても「隣のバカ娘」はおすすめできないので
あきらめた。

もっともタローなぞは

「…鉄砲撃ってバンバンバン!
かきのたね!!
え~っ、これ~~~?
これはちょっとなー…。
よし、これを抜かしてもう1回やってみよう。
♪どちらにしようかな…」

という調子なので
何でもいいっちゃ何でもいいのだが。

詳細は割愛するが
「花いちもんめ」なども
私がやっていた沼津バージョンと
子供たちの定番仙台バージョンはかなり違う。
同じ遊びをしているのに
自分がやってきたことを受け継いでもらえていない。
なかなか寂しいものである。


それからもう一つ。
カルチャーショックを受けるほどに違っていた
子供の遊びに必須の文言があるのだが
それはまた次回。
お楽しみに!

イエメン戦

2006年08月17日 | 感想
前回の親善試合は見逃してしまったので
今回初めて、オシムジャパンの戦いぶりを見ました。
解説の人たちの話だと
内容は前回のほうがよかったようですが
なかなかフレッシュな感じで好感持てました。

特に印象に残ったのははにゅうくん
いや体が小さめとは聞いていたけど、
本当に細くて小さいし、
どんぐりまなこの童顔だし、
小学生が1人混じっちゃったみたいじゃないすか!
あれで26歳って、海外の人びびると思うなー。
でもでも、
うわさの通りよく走る!そして速い!
彼が入ってぐんとリズムがよくなったように
素人の私でも感じました。
これから応援しようと思います。

それから佐藤兄!
こちらもうわさの通りオシャレ~な感じで、
日サロ事件とか写真お断り事件とか
納得いく感じでした。
弟君はゴールを決めたし、
これからも2人で話題をつくってほしいものです。

あ~しかしホント、
若いもんはええのぅ。
見ているこっちが元気になる。
よーし、これからどんどん吸い取るぞー!
(↑開き直り)


心にビタミン

2006年08月16日 | 生活
*お祭りの帰り道
スーパーで早足で買い物していたところ、
背後から
「すみません。落としましたよ。」
と礼儀正しい声。
私かい?と振り返ってみたら
なんとそこには10代と思しき金髪の若者。
しかも中村七之助似の超イケメン!
「あ、ありがとうございますっ」
うゎおうっ!
一瞬だけ心にハリが…
拾ってもらったのは祭印のうちわ。
ちっ。どうせならもっと
色っぽいもの落とせばよかった!

*昨日
よく行くドラッグストアのレジに
見慣れないお姉さん。
近くに寄ってみたらなんと
井川遥をさわやか~にしたような
すばらしい美人!激カワ!!
しかもそのコがこの上もなく
丁寧に笑顔で応対してくれた。
癒されるーーー!
すべすべの白い肌にドキドキ

若さって、すばらしい。
近くにいるだけで
その強いオーラからエネルギーを分けてもらえる気がする。
はっ!
これが「若いエキスを吸い取る」ってこと…?
はっっ!!
今私、ものすごくババくさいこと言った……!?

お盆

2006年08月15日 | 生活
今年は帰省もお墓参りもしない我が家。
なのでお盆とは言っても
まったくお盆ぽくないまま
日々が過ぎていっている。
しかし。
仏教徒なわけではないのだが、
個人的に、
ご先祖様はどんなに大切にしても
し足りないくらいだと思っているし、
作法とか何とかでなく、
厚く厚く供養したいと思っている。

ご先祖様って、すごい数だ。
私の祖父母が4人、曽祖父母なら8人。
その両親は16人。
この人たちはたぶん江戸末期の生まれ。
いろいろと誤差はあるだろうが
計算を単純にするために、
ご先祖様は平均25年で代替わりしてきており
だれも血縁者とは結ばれていないと考えると、
江戸時代初期には3万2768人。
鎌倉時代初期なら21億4748万3648人…
(…なわけないから実際には
血縁での結婚がかなり多かったのだろう)

とにかく、
ご先祖様の数は膨大だ。
だから、例えば戦国時代、
日本中で国盗り合戦をしていたときに、
私のご先祖様が
だれ一人戦乱に巻き込まれることなく
皆安穏と暮らしたなどということは
絶対にあり得ない。
男なら凄惨な戦いに狩り出されたであろうし
女なら男手のない家を守り、
敵方の猛攻を耐え、
いや耐え切れずに酷い運命に遭った人も
いたかもしれない。

またある時代のある年には
日本中が大飢饉に見舞われたこともあったし
疫病で人口が激減してしまったこともあったはずだ。
そんなとき、
私の血に連なる数多くの皆さんが
どんな思いで生きてきたのか、
どんな苦労をして子を育ててきたのか、
お気楽な環境に甘えている私などには
その厳しさは想像もできない。

あらゆる時代や環境の中、
ご先祖様のだれか1人でも、
病気や、飢えや、事故や、戦などで
若くして命を失っていたら、
今私は生きていない。
だれか1人でも、
生きることをあきらめたり、
命を次世代に継ぐことをやめてしまったりしていたら
ヒメやタローだって生きていない。

ご先祖様あっての家族である。
ご先祖様あっての新居である。
ご先祖様あっての夕飯である。
ご先祖様あってのブログ、
ご先祖様あってのマンガ、
ご先祖様あってコートドール……
私のすべては、
ご先祖の皆様の懸命な人生の上に
成り立っているのである。

そう思ったら、
あの世に足を向けては
寝られない感じがしませんか?

ご先祖様、
お墓参りには行けません。
でも、お墓なんかに入っていない皆々様の分も
心の底から感謝しています。
いつもいつも、
あたたたちの苦労を思い、存在を忘れません。
うちには仏壇がないので
明日は西向きにお香を焚いて
ごはんとお菓子を供え祈ります。
どうぞ安らかにお眠りくださいますように。
そしていつまでも
私たち家族をお見守り下さいますように!