arudyaのブログ

あるぢゃがブログを試したくて設定してみました。

海はテーマパークではないよ。でも地元サーファーさんのものでもないよ。

2018-07-28 23:59:59 | 海のこと
知り合いのタカさんが、某海岸の近くで、発泡スチロール製のクーラーボックスに沢山のお魚を入れて捨ててあるところを見つけて、腐臭を我慢しながらきちんと捨ててくれました。
Facebookに投稿があって、怒りと悲しみのレスがたくさんつきました。
わしもとても悲しかったです。

以下、わしのレス。

陸の人たちは、永く海から離れて海と暮らすことが分からなくなってるのかと思う。海がテーマパークの一つになってる気がする。どんなに汚してもスタッフさんが片付けてくれると。とてもさみしい。

ここまで。

でも、同時にお怒りレスの山を見ていて、こんなことも感じました。

(タカさんの投稿にレスしたら、タカさんのお友達の気持ちを害しそうなので、こちらで独り言…)

タカさん。でもね、誤解を恐れずに言うと、海の人も少し傲慢だと思うんだよ。よく「(他所から来て)俺らの海を汚すな」とか「俺らはサーフィンした後、毎朝必ずビーチクリーンしてる」とかよく言うサーファーさんとかいるでしょう?「二度と来るな!」と怒鳴ったり、ネットで晒し者にしたり。

"遊んだ後はお片付け"なんて、公園の砂場で遊ぶお子様だって当たり前だし、そもそも海は誰のものでもない"みんな"のものなんだよ。陸の人も含めて、"みんな"の誰かが汚したら"みんな"で片付ける。
悲しんでもいいけど、怒ってはダメ。

だから「海さくら」が好きなんだよ。LTOもね。
海の汚れはもう誰かのせいに出来るレベルじゃないしね。
出来ない人を怒るより、出来る人を増やしたいなぁ。

わしなんざ、陸に上がって久しいけれど、海洋エンジニアだった頃は、調査とか言いながらXBTプローブとか海洋投棄(?)しまくってたからね。数tあるブイも沈めちゃったし…。だから「ビーチクリーンしてます」なんて絶対胸張って言えない。罪滅ぼしというわけではないけどね。


完全自作と工作機械

2018-07-26 22:32:15 | 時計のこと
勝手気ままな時計自己主張が続いております。

今回は、手作業での自作と工作機械を使った自作について。

独立時計師さんやスーパーアマチュアさんなどにも、手作業で自作する方とCNCなどの工作機械を駆使して時計部品を削り出す方がおられます。

果たして、工作機械で削り出した部品は自作と言えるとだろうか?
素朴な疑問が生じます。

CNCを扱うにはそれなりの機械工作の技術や製図、CNC自体の癖やノウハウ…色々有する必要があって、当然ただの素人には扱えるものではありませんが、それなりに学べば数年もせずに使えるようにはなるものです。CNCに優しいCAD図面が描ければ、それなりのものは削り出せるし、CNC側のカスタムを必要とする場合もあります。…そこまで行けば精密機械加工屋さんですけどね。

独立時計師の浅岡肇さんは、デザイナーなんだけど、自分でCNCまで作っちゃって、それを使って腕時計の部品を削り出してしまう人です。
市販の工作機械を使っているのではないから、ここまでくれば自作と言っても良いかもしれない。
…と言いながら。あ、では、市販の工作機械に自作データを突っ込んでというレベルは、ワシは自作とは認めたくないんだなと思いましただ。

前述のようにCNCだって使いこなすのはそれなりの技量が必要だし…と思いますが、やはり一旦出来ちゃうと同じものがいくつも製作可能だからな〜。

そういうことを言うと、削り出した後の仕上げや調整が大事なんだよと。時計は仕上げがナンボよ。と言う方もたくさんおられるだろうけれど、それは、手作業で部品を削り出しても同じことだよね。

機械で削り出したものを丹念に仕上げてピカピカの部品にして組み上げる。と言うのと、手作業で部品を削り出してピカくらい(ピカピカより少し少なめ)の部品にして組み上げる。工数や精度にあまり違いがないとしたら…。

これは時計作りの方向性の違いに過ぎないのかもしれませんね。

より安定した精度が出やすそうなのは、機械作りだろうけれど、それなら市販の部品に加工してもあまり変わらない。というか、この場合は市販だと上手くいかないので作っちゃえなのだろうけれど。
前述のダニエル・ロート氏の例もあり、独立時計師さんの目指す姿はそっちだろうと思いたくもなりますが、それこそ勝手な思い入れですよね〜。

完全自作は必要か?

2018-07-26 22:30:52 | 時計のこと
前回、
一部の部品を"売り物"レベルで自作できない時計師は皆廃業しないといけないのか?
という問いを残して、終わったので、その続き。

結論から言うと、出来ないものは、できるものに置き換えていい。というのが僕の持論である。
即ち、つくれない部品は既製品でもなんでも使えばいい。と思っている。
前回も触れたが、"腕時計"の目的は、"いつでも正確な時刻の指示"であり、その目的のためにはどんな手段を使ってもいい。オール自作などというつまらない拘りのために"腕時計"であることから逸脱するなら、それは時計師とは呼べない。時計師が最重要視すべきポイントは自作ではなく、"腕時計"を作ることに他ならない。

ダニエル・ロートという神懸かりな時計師がいることは、知っていると思う。ブレゲ社の再興に関わり、ダニエル・ロートという本人名を冠する会社
を立ち上げたが、社長として時計作りから離れるのを嫌い、辞して暫く時計作りを辞めてしまっていたが、再び時計作りに戻ってきた神懸かりな時計師。立ち上げたブランドは、「ジャン・ダニエル・ニコラ」。自分と息子と奥さんの名前を付けた小さな工房である。
前置きはそのくらいにして、このダニエル・ロート氏。作っているのはほぼ手作りのトゥールビヨン。ムーブの全てを手仕事で仕上げていると言われている。数ミクロン精度の天真を仕上げる神のような手作業の技を持つ。機械ですらなかなか出せない精度である。
ダニエル・ロート氏の作るトゥールビヨンは、神のような技により生み出された"腕時計"と言える。

では、一介の時計師がダニエル・ロート氏にあやかり、フル自作で腕時計を作ったとし、十分な精度が出せなかった場合、テヘペロで売りに出して良いものだろうか? これはダメだろう。"腕時計"の目的から大きく逸脱する方向になってしまう。
であるなら、精度の出せない部品は既製品を使い、十分な精度を出せるようにした方がよっぽど潔いと考える。
そして、いつかダニエル・ロート氏ばりの技術を身につけて、フル自作になりました。と告知すれば良い。相手は神なんだから、近づく努力を惜しまないことが大事であろう。それまでは自作もできない時計師という批判を甘んじて受けるべきだろう。

もちろん、全て手作業でフル自作することが時計師にとって全てであるはずもないが。(ここ、とっても大事!)

つづく

自作腕時計をオーダーメイドの服に例えると…

2018-07-26 22:29:10 | 時計のこと
既製品と自作の違いをよく問われるので、オーダーメイドの服で考えてみることにした。

オーダーメイド服といっても、なんたらコレクションに出てくるようなアートな服ではなく、日常で使うことを目的としたビジネススーツと考える。
…簡単なイメージとしては、「王様の仕立て屋」というマンガに出てきたようなものと考えて頂きたい。

同様に、腕時計における既製品と自作腕時計。この場合の自作とは、独立時計師さんなどに発注するレベルのオーダーメイドの腕時計のこととして捉える。

さて、既製服かオーダーか?
ビジネススーツの目的は、仕事がしやすいことであり、体により合ったものであれば良いということになろう。であれば、たまたま既製服でも体に合う場合もあろうから、一概には言えないが、一般的には、既製品よりオーダーの方が体に合うものを調達できる…と思われる。
ましてや、採寸、仮縫いを繰り返して手縫いで仕上げるフルオーダーの服が体に合う…すなわちビジネススーツとしての目的を達する最善策であることは異論はないだろう。
ただし、体に合うことが目的であるならば、またそれを達成することにのみ着目するならば、何も手縫いに拘ることはない。機械縫いでも、はたまた3Dプリンタを駆使するでも、それが最良の目的達成の方法であるならそれを採用すればいい。
ただ、残念なことに服飾界では、手縫いに勝る方法がない(のだと思われ)ので、それに頼るしかないのだ。未来は変わるかもしれないが。
既製品が体に一番合うという貴重な体型の人がいたら、彼の目的にはオーダー服は必要ない。

腕時計に話を戻そう。
腕時計(ウォッチ)の定義は、「どんな姿勢でも作動し、かつ携帯することを目的とした時計」(日本時計協会)であり、時計とは「時刻を指示する計時装置」(同協会)であるから、腕時計の目的は、"いつでも正確な時刻の指示"であり、それ以外ではない。

即ち、超高級腕時計がダイヤで飾ろうとも、素晴らしい仕上げを見せようとも、それは腕時計の本質ではなく、"いつでも正確な時刻の指示"のできないものであるなら、どんなに高価であろうとも、"腕時計"とは呼べないただの腕時計を模したアクセサリーもしくはアートであると言わざるを得ない。…と言うようなことは先だって書かせていただいた。

と、するならば、
大手メーカー物の既製品はすべからく"腕時計"である。目的に適合している。少なくとも工業製品として一定以上に狂うモノは売り物にはならない。即ち、既製品でも十分事足りる世界だといえる。

では、自作腕時計はどうであろう? オーダーメイド服のように、ユーザーに対して、"腕時計"の目的をより良く果たす方向に向いているだろうか? つまらないこだわりのために"腕時計"であることを捨てていないだろうか?

自作することを目的として、趣味の世界で作るのであれば、なんとも言わないし、それが"腕時計"である必要もないだろう。アートでもいい。でも、"腕時計"である以上、"いつでも正確な時刻の指示"のできないものを売り物として世の中に出してはいけない。出来ないなら自作は捨てるべきだと、僕は思う。

世の中にはスーパーアマチュアと呼ばれる方もいて、始めてから5年で"トゥールビヨン"を作っちゃったりする方もいらっしゃる。
でも、本来の"トゥールビヨン"の目的からすれば、一定の期間でキャリッジが一回転する機構は目的ではなく、その手段であって、重力差を低減させてそれなりの精度が出ていなければ、単なる自己満足のアートかおもちゃに過ぎない。
自作した腕時計が"止まらずに動いている"とか"(精度を出すには)製作者がそばにいて時折分解調整しないといけない)"ものは、どんなに仕上げが綺麗でも本来、"腕時計"と呼んではいけない。

独立時計師と呼ばれる人々が売り物にする"腕時計"とスーパーアマチュアの方が作る時計らしきものの違いはそこにあると思う。

それでは、一部の部品を"売り物"レベルで自作できない時計師は皆廃業しないといけないのか?
という問いに対する僕の解は、次の回で。

腕時計の自作とはなんぞや?

2018-07-15 23:40:45 | 時計のこと
腕時計の自作。
腕時計を趣味にしている方であれば少なからず、一度は夢見た行為ではないかと思います。
ギアやネジ一つから全てを自分の手で作り出す技術があれば、自分の思い通りの腕時計を作ることができる…。

巷には、腕時計を作るキットやら、文字板や針、ケース、ベルトなどを選択して何万通りの中からあなただけの時計を作るサービルとか、文字板にあなたの写真を入れましょうサービスとか、色々あります。時計教室のようなところで自分でパーツを組み立てて作るというのもありますね。
また、真鍮や銀などの材料から腕時計の外身を作って(市販のムーブを入れて)販売している時計作家と称する方々も結構おられます。
もちろん、世の中には、パーツを全て手作りして、複雑機構までこさえてしまう猛者と呼べる方々も(水面下には)大勢おられるようです。

では、どこまでやれば自作と呼べるのでしょうか?

ワシのように、紙バンドを使って、ケースやベルトを作っているだけで、ムーブは他からパクってくるのも一応恥ずかしくも自作と呼んでおりますし、

ETA7750(昔のバルジュー)を買ってきて一度分解してチューニング。磨き直して再組み立て…を自社ムーブのように扱う大手企業さんもいらっしゃいます。ETA社のムーブが手に入れにくくなったので、慌てて自社ムーブを開発したというのは時計業界の当たり前で、それも本当に自社で作ったところやムーブ会社を買収して自社にして作らせたところもあるでしょう。
あ、これは自作の話ではなくて自社製の話になりますね。

時計ファンの間では、自作というのは、ムーブのギアやゼンマイまで自作するのが真の姿という想いが根強いです。
けれど、アクセサリーと考えている、もしくはカジュアル(デザイン)アイテムと考えている方は、外身が自作であれば、オリジナルと呼んでいるようですね。

文字板に写真を入れるサービスは、自作なのかカスタムなのか悩ましいところです(一部のみ自作)し、文字板や針を選んで作るのはカスタムメイドで良い気もします。

僕はこの件については、
そもそもが個人の主観によるところがあって、他人がどうこういう話ではないと思っていることを前置きにして、
どこが自作なのかをきちんと告知すれば、それで自作を名乗って良いと思っています。「この部品とこの部品は他社製品ですが、この部品は自作です」と明記するなら全体を自作時計と言ってよいと考えます。
巷の時計作家さんらは、どう見たってムーブを自作できないだろうから、告知しなくても分かりますから、ムーブ買ってきたと言わなくてもいいかもです。(でも、買ってきたムーブを一度バラして、地板を磨くくらいはして欲しいですが)

ただし、自分の写真を選んで誰か別の人に作ってもらうのは、自作ではないですね。
自分で写真を印刷して、文字板に貼り付けて作ったら自作。やっぱり自分の手を通さないとね。

ちなみにワシの紙バンド腕時計は、ムーブは市販品で、キャンドゥの100円腕時計でもセイコーの7S26でも…保護枠込みで直径30mmのものであれば互換性あります。というか、直径30mmのアルミ棒に巻きつけて作っているからなんすけどね。(*'ω'*)





腕時計における紙の可能性について

2018-07-14 19:46:07 | 時計のこと
独立時計師の菊野さんにお会いして、その後メールにてご挨拶させていただき、自作することについて、色々とお話を聞くことができました。
下名の紙バンド時計も見て頂いたりして、ワシは単純にとっても嬉しかったのですが、
菊野さん、ちなみに、日本の紙に対しては、

*****
紙の可能性は十分にあると感じています。提灯や行灯などの日本の照明器具には紙が使われていますが、ヨーロッパの紙は厚すぎて透過性が無かったからヨーロッパの照明器具には紙が使われることは無かったそうです。こういう文化の違いを活かして日本の紙でしかできないことをやりたいですね!
*****

と、お考えのようです。そのうち、和紙をモチーフにして何かを作られるかもしれませんね。

たしかに紙バンド腕時計なんていう、おもちゃの工作をしているだけでも、紙の軽さ、丈夫さ、工作のし易さ(ハサミとノリだけ!)、色の多様性(何色でも染まります)、透け感、などなど色々なことを感じます。
菊野さんが本格的に取り込もうとしたら、どんなアイデアが生まれるのか、想像するだけでもちょっとワクワクしますよね。(*'ω'*)

菊野さんに会う(その2)

2018-07-13 16:48:32 | 時計のこと
菊野さんのこだわりは、やはり自分の、手で作るということ。
今は、それなりの設計図さえ書ければ、高精度のNC加工機やら、それこそ3Dプリンタとかでそれなりの部品が作れます。あとはそれをアッセンブルすれば良い。
独立時計師さんの中にもご自分でNCを作ってしまい、それで制作されておられる方もいらっしゃいます。それを否定する気はさらさらないですが、手作りへのこだわりは、菊野作品の一つの大きな特徴になっております。

腕時計というものを、一つの完成品として捉えるのではなく、作る過程から完成後の使用中、はたまた朽ちていくところまでの過程を腕時計の価値として捉え、造り手とユーザーとで共有する。というのはなかなか素敵な考え方かと思います。

さて、
講演会も終わり、懇親会へと場を移すのですが、そこでも菊野さんの紳士っぷり…及び真摯っぷり? は、全く変わらず。

独立時計師を生業として生きていくしっかりとした覚悟があるのでしょう。どこまでも丁寧に対応してくださいます。
新作の"朔望"を手に巻いておられましたが、惜しげも無く、ほいほいと人に渡してご覧頂いておりました。ムーンフェイズ付きの渋い色合いの時計で、文字板の加工が綺麗です。きっちりとしたスーツに似合いそうです。お値段は5百万円だそうです。年間4個しかつくれないとのこと。
ご興味のある方は、是非彼のホームページから。


下名のたいへん拙い自作紙バンド腕時計も馬鹿にせずきちんと手にとって見て頂き、「これは軽い!」と感想を頂きました。(確かに紙バンド腕時計は、ムーブと風防(スケルトンの場合の裏蓋)以外は全て紙製なので、ものすごく軽いのも特徴です(^^))



また、紙バンドでの工作について、「(ノリだけで)こんなにしっかり丈夫にできるんですね」とか、「以前、紙縒りを編んで作ったキセル入れを見たことがあります…」とかきっちりご自分の体験とリンクさせて話をされたり。どんなものにも興味を抱くアンテナの張り方もすごいものでした。

結構イケメンさんでもありますので、女性ファンも多いのでわ? と振ってみましたが、全く興味を持たれない素ぶりで…。でも、会場のあちこちでは女性(多分みなさん時計関係者)にツーショットをせがまれていたようです。
かくいう私も一枚パチリと。(^^)


たいへん楽しくて、有意義な夜でした。

菊野さん、ありがとうございます。
また、このような会を催して頂きました、日本時計輸入協会さんにも感謝いたします。

#菊野昌宏
#日本時計輸入協会

菊野さんに会う(その1)

2018-07-12 23:25:09 | 時計のこと
昨日、CWC(ウォッチコーディネーターの資格)のイベントで独立時計師の菊野 昌宏さんの講演会というのがあり、参加してきました。
本来はCWC会員の皆様へのセミナーのようなものらしいのですが、一般参加もOKということで早速申し込んでいた次第です。
場所は市ヶ谷のTKPカンファレンスセンターの9階。
一般参加者は、懇親会付きでお値段3,000円。これは本当に価値ある3,000円でした。日本時計輸入協会さん、太っ腹!!

菊野さんのことは詳しく書かないでもネットにたくさんの情報がありますので割愛しますが、世界で40名弱しかいないとされる独立時計師のお一人。
不定時法の和時計を腕時計に仕立てあげた才能溢れる35歳です。

お話はご自身の経歴から独立時計師として言いたいこと。さらにはメイキング映像まで。たっぷり1時間ほど。



菊野少年の時計作りに至った原点というべき言葉が「大人になったら、一人でつくれない」。
LEGOやガンプラやら、何やらモノを作ることで楽しい時間を送っていた少年が、気づいた言葉がこれ。だったそうな。

たしかに今の世の中、最先端の工業技術で、パソコンにしても車にしてもどんなものでも優れたモノは存在しますが、それらって皆、誰かが一人で作っているわけではない。大人のものつくりというのは、工業性が上がれば上がるほど、多くの人間がものつくりに絡んでいて、自分がどの部分を作っているのかさえ喪失してしまう。
(チャップリンの映画のようですが)

菊野少年は、おおいに憂いたそうです。そのモチベーションが今も青年菊野を支えている。らしい。

腕時計の世界を考えても、
一人で、ギアやネジ一個手作りで時計を作っているなんて、今ではメーカーとしてはあり得ないわけです。
工業製品ですからね。工芸品ではない。

講演の中で、「では、腕時計を一人で作っていたのは何年くらい前か?」という話に及んで、100年前?いえいえアメリカの大量生産方式で数百万個の時計が作られていました。
200年前? 天才時計師と言われたルイ・ブレゲの時代でも分業は進んでいた。ブレゲが自分でギアを削り出したりはしていなかった…らしい。では、
300年前? 17世紀の後半になりますが、イギリスで産業として腕時計作りが興隆し始めた時期でしょうが、この時には既に分業制で時計が作られていたと言います。
つまり、腕時計を一人で作っていたのは、本当の創成期だけ!
それを21世紀になって、菊野さんは原点回帰で実現しようと模索しているわけです。


#CWC
#菊野昌宏
#独立時計師

文字板と文字盤について

2018-07-11 12:34:31 | 時計のこと
文字板と文字盤。

腕時計関係の雑誌や書物、カタログなどで両方の表記を見かけます。

英語表記では、単に"dial"なんですけどね。

キョロキョロしてみると、
国産時計メーカーさんは殆ど文字板。日本時計協会さんも基本的に文字板表記です。
それに対して、腕時計雑誌類や海外メーカーのホームページ、日本時計輸入協会さんなどは、殆ど文字盤と表記されています。

実は、JISで時計部品に対する名称は決まっていて、「文字盤」という表記はない!んですよ。(嘘だと思われる方は、JIS B 7010(注:誤記訂正:20180721)をネットで漁ってみて下さいね)

ということで、国内メーカーさんは全て文字板という表記を使用しているわけです。

ちなみに私は、以前、セイコーさんのダイバーズの本にその説明が書いてあったのをみてからは、ずっと文字板表記にしています。

では、なんで雑誌類や海外メーカーさんらは、(JISに逆らってまで)文字盤表記をしているのでしょう。
CWC(ウォッチコーディネーター資格)の教科書(日本時計輸入協会)には、「本書では、部品の状態では文字板。完成品では文字盤と表記します(うろ覚え)」と記載されています。
文字板の完成品とは何を指すのかよく分かりませんが、時計部品の構成の説明でも、文字盤表記をしているので、加工前の板くらいしか文字板と呼ばない(これは誰でも文字板…とも呼ばないかも…ただの板だし)ようです。

要は(たぶん)昔からそう言っていたし、その方がカッコいいから…。なんだろうなと思います。
たしかに文字板というとただの板切れみたいなイメージがあるし、文字盤というときらびやかな加工が施されたイメージがありますものね。
…でも、JIS上では、どんな綺麗なdialもみんな文字板です。(*'ω'*)

皆さんはどっちを使いますか?

紙バンド時計(自動巻)衣替え?

2018-07-08 20:00:46 | 時計のこと
以前作った、紙バンド腕時計(自動巻)のガワがだいぶボロボロになってきたので、作り変えてみました。
7S26の中身と文字板はそのままで外装だけ作り直し。

今回は生成カラー?を主体にしてみましたよ。だいぶ趣きが変わりました。




腕につけるとこんな感じ。



でもって、やっぱり夜光です。


朽ちてきたら、さっさと作り直しができるのも紙バンド腕時計の良さですね〜(^^)