青春期の出会いは今になっても何かの折に復活するようです。
出会いといっても生身の人間との出会いではなく、文章を通じての出会いです。
何人かの思想家・小説家に出会いました。
今回は、加藤周一さんのことを書きたいと思います。
・・・・・・
高校を卒業したものの志望校には合格できず、
親元を離れ東京で1年間の浪人生活を送りました。
浪人生ばかりが10人ほど住まう吉祥寺の下宿屋から
東西線に乗って高田馬場の予備校に通っていました。
毎週水曜日は試験日でした。
理科系に関心を持ちながらも、数学ができなかった・努力もしなかったので文系一直線。
英語と国語のテストが毎週ありました。
確か隔週で世界史・日本史・地理などの社会科目のテストが追加されていました。
さて、テスト問題の中に出会いがありました。
現国(現代国語)のテストで出題された文章に感銘を受け、帰りに本屋でその本を買う。
そんなことが数回ありました。
で、今回は加藤周一さん。
# 氏は 2008年12月5日に亡くなりました。
私の亡き親友K君いわく、加藤周一は「日本の良心」。
確かにそのとおりだと今なお思います。
発言当時 30歳前後だったK君の慧眼に今更ながら驚いています。
さて、テスト問題では「羊の歌」から一部抜粋されていました。
世界中のだれもから異を唱えられようと、私は私の愛する女を守る・・・のような文章がありました。
志望校に入れたら、京都に住むかつての恋人に会いに行こうと思っていたオヤヂです。
今から思えば若すぎる想いですが、当時は本気でそう思っていました。
そんな折に目にした「羊の歌 ― わが回想」の一節に意を強くしました。
学生時代を終え、母校に職を得て10年勤め、その後メーカーに転職しましたが、
小説を読む傍ら、氏の著作に接してきました。
朝日新聞に連載されていた「夕陽妄語」が単行本になると、条件反射のように買い求めてきました。
「夕陽妄語」の文章の論理性、冗長度が少ない簡潔な日本語にいつも圧倒されていました。
# 冗長度という意味で思い出すのは吉田健一さん。
彼の文章はセンテンスが長く、はじめのうちはダラダラと続く言葉の延長だと感じましたが、
文体に慣れるにしたがって、そのダラダラ感が不思議にも心地よくなっていきました。
さて、加藤周一さん。
浪人時代に「羊の歌」「続 羊の歌」(岩波新書)を読み、
確かその次は「雑種文化」(講談社文庫)だったと思います。
勤めてお金が多少自由になるようになってから「日本文学史序説」(上・下、筑摩書房)や
「加藤周一著作集」(平凡社)などを読みました。
最近(と言っても 10年ほど前から)では、
「私にとっての20世紀」(岩波現代文庫)、「小さな花」(かもがわ出版)、
「高原好日」(ちくま文庫)、「二十世紀の自画像」(ちくま新書)などが枕頭に並ぶこともありました。
これも亡きK君からの受け売りですが、中村真一郎・福永武彦と仲が良かったと聞いて
共著「一九四六・文学的考察」(講談社文芸文庫)を読んだこともK君と共に思い出されます。
コンピュータが関心分野なので、読む本は文芸から技術書の類にシフトしてきました。
小説や評論といったジャンルから遠ざかって久しくなります。
還暦をまぢかに控え、40年前・30年前の本を開き、当時を思いつつ
どんなに自分が変わってきたのかを振り返ってみようと思っています。
現在に、そして将来につながる何かを再発見できる予感がしています。
出会いといっても生身の人間との出会いではなく、文章を通じての出会いです。
何人かの思想家・小説家に出会いました。
今回は、加藤周一さんのことを書きたいと思います。
・・・・・・
高校を卒業したものの志望校には合格できず、
親元を離れ東京で1年間の浪人生活を送りました。
浪人生ばかりが10人ほど住まう吉祥寺の下宿屋から
東西線に乗って高田馬場の予備校に通っていました。
毎週水曜日は試験日でした。
理科系に関心を持ちながらも、数学ができなかった・努力もしなかったので文系一直線。
英語と国語のテストが毎週ありました。
確か隔週で世界史・日本史・地理などの社会科目のテストが追加されていました。
さて、テスト問題の中に出会いがありました。
現国(現代国語)のテストで出題された文章に感銘を受け、帰りに本屋でその本を買う。
そんなことが数回ありました。
で、今回は加藤周一さん。
# 氏は 2008年12月5日に亡くなりました。
私の亡き親友K君いわく、加藤周一は「日本の良心」。
確かにそのとおりだと今なお思います。
発言当時 30歳前後だったK君の慧眼に今更ながら驚いています。
さて、テスト問題では「羊の歌」から一部抜粋されていました。
世界中のだれもから異を唱えられようと、私は私の愛する女を守る・・・のような文章がありました。
志望校に入れたら、京都に住むかつての恋人に会いに行こうと思っていたオヤヂです。
今から思えば若すぎる想いですが、当時は本気でそう思っていました。
そんな折に目にした「羊の歌 ― わが回想」の一節に意を強くしました。
学生時代を終え、母校に職を得て10年勤め、その後メーカーに転職しましたが、
小説を読む傍ら、氏の著作に接してきました。
朝日新聞に連載されていた「夕陽妄語」が単行本になると、条件反射のように買い求めてきました。
「夕陽妄語」の文章の論理性、冗長度が少ない簡潔な日本語にいつも圧倒されていました。
# 冗長度という意味で思い出すのは吉田健一さん。
彼の文章はセンテンスが長く、はじめのうちはダラダラと続く言葉の延長だと感じましたが、
文体に慣れるにしたがって、そのダラダラ感が不思議にも心地よくなっていきました。
さて、加藤周一さん。
浪人時代に「羊の歌」「続 羊の歌」(岩波新書)を読み、
確かその次は「雑種文化」(講談社文庫)だったと思います。
勤めてお金が多少自由になるようになってから「日本文学史序説」(上・下、筑摩書房)や
「加藤周一著作集」(平凡社)などを読みました。
最近(と言っても 10年ほど前から)では、
「私にとっての20世紀」(岩波現代文庫)、「小さな花」(かもがわ出版)、
「高原好日」(ちくま文庫)、「二十世紀の自画像」(ちくま新書)などが枕頭に並ぶこともありました。
これも亡きK君からの受け売りですが、中村真一郎・福永武彦と仲が良かったと聞いて
共著「一九四六・文学的考察」(講談社文芸文庫)を読んだこともK君と共に思い出されます。
コンピュータが関心分野なので、読む本は文芸から技術書の類にシフトしてきました。
小説や評論といったジャンルから遠ざかって久しくなります。
還暦をまぢかに控え、40年前・30年前の本を開き、当時を思いつつ
どんなに自分が変わってきたのかを振り返ってみようと思っています。
現在に、そして将来につながる何かを再発見できる予感がしています。