
1941/S16年 荷風63歳
01/01 自炊の暮らしも4年経つ 物好きで始めたが今はすっかり慣れた
葱醤油など買って帰る時は 哀愁の美感に酔うこともある
心の自由空想の自由は 暴悪な軍人政府も束縛できない 自由は滅びない
01/10 深夜 遺書を書いて従弟杵屋五叟(※)に送る
※荷風の父久一郎の弟・大島久満次の子供で長唄師匠(本名:大島一雄 )
※荷風の父久一郎の弟・大島久満次の子供で長唄師匠(本名:大島一雄 )
久満次は大島家養子となり 一雄の息子の永光が荷風の養子になる
~遺書~ (従弟大島一雄は一雄と省略した 署名・宛名も省略)
〇私が死んだ時は一雄子孫で適当な者を選んで家督を相続させること
その手続その他は一雄に一任する 〇葬式はしないこと
〇墓石は立てないこと 〇生前所持の動産不動産の処分は次による
〇遺産は何処へも寄付しないでよい
〇蔵書画は売却すること 図書館等へは寄附しないこと
〇住宅は取り壊すこと 地所の処分は一雄の任意とする
01/25 白米・パン・饂飩も手に入りにくい
この窮状に政府は独逸の手先になり米国と砲火を交える 笑いまた憂う
白米不足の原因は 独逸人が糊にして布製の飛行機の翼に塗るという
漆も湿気を防ぐため大砲の玉に塗るといい 大量に独逸へ送られている
01/26 3月から白米が切符制になる (03/26日誌には04/16から実施とある)
(動画下にチャプターがあるので観たいものだけ観られます 以下同じ)
今日は所用あり ここまで
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]