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陸羯南(くが・かつなん) 1857/安政4ー1907/M40 ジャーナリスト・政治評論家
1回目に選んだ陸羯南だが、意外と情報が少ない。
ただ、初めて知る言葉・事柄など出て来て興味深いところも幾つかあった。
羯南は、現・青森県弘前市で弘前藩御茶坊主頭の子として生まれた。
M09年/19歳 上京し、司法省法学校(※)で仏国の法律学を学ぶ。
M12年/22歳 「賄征伐事件」(※)で法学校を退校処分となる。
~かなり読みにくいが10頁ほど~
同年、退校処分になった羯南は帰郷し、青森新聞社に入社する。
ここでは、讒謗律(ざんぼうりつ)(※)で2度罰金を受けた。
※現在の名誉棄損に相当する罰則
記事は、県政批判だったようだが内容は不詳。
M16年/26歳 太政官御用掛として新設の文書局に勤める。
正岡子規と知り会い、その後、新聞掲載などで彼を支援する。
M22年/32歳 新聞「日本」創刊。政府の条約改正などに反対する。
日本新聞の創刊の辞からの一部を以下に要約記述。
”本紙は政党や営利の新聞ではない独立の新聞である。
今の日本は国を挙げ、植民地になるような西欧化に急ぐ。
本紙も西欧文明の善美を知り、尊敬もする。
しかし、西欧文明は、独立日本の利益・幸福のために活用すべきである"
~日本の植民地主義を批判しているように読めるが・・・~
M30年/40歳 新聞紙条例(※)改正公布。
※新聞・雑誌による反政府的言論活動を封ずるために制定された布告
日本新聞の発行停止処分は30回230日に及ぶ。
M34年/44歳 近衛篤磨に随行し、清・朝鮮を視察する。
M39年/49歳 体調不良で新聞社を譲渡。
M40年 療養先の鎌倉で逝去。(49歳)
最後に、関心のある方は、羯南の著作「近時政論考」をどうぞ。(青空文庫)
情報が乏しく、反骨・気骨の面では物足りなかったが今日はここまで。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]