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1946(昭和21) 檀34歳・ヨソ子23歳
新婚旅行から戻ったソヨ子と檀は、義母とみが疎開用に建てた家で暮らした
その秋、義母の一族が博多の目抜き通りに2階建ての店舗兼住宅を建て、
1階に隆起洋行という貿易会社、2階に美容院を作って商売を始める
ヨソ子・檀・太郎は美容院の隣の部屋で暮らし、仕事を手伝った
1947(昭和22)
結婚の翌年1月、檀は仲間と語らい劇団「珊瑚座」を結成する
結婚の翌年1月、檀は仲間と語らい劇団「珊瑚座」を結成する
ソヨ子は劇団員の人と一緒に待鳥邸へ行った時、
後に檀の愛人となった入江杏子(本名は久恵)と初めて出会う
「今度劇団に美人が入った」と檀が言っていたのが杏子だった
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檀は、杏子を貿易会社の事務員として雇い入れた
その後、珊瑚座の公演が行われたかどうかは不明
(行われたという情報、GHQの検閲で中止のなった情報、どちらもある)
1948(昭和23)
この年、檀の親友だった太宰治が玉川上水で愛人と入水自殺する
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太宰治
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貿易会社も劇団も上手くゆかず、檀は執筆一筋で行こうと決心し上京する
まずは檀が単身で連れ込み宿風の石神井ホテルに泊まって執筆を開始
福岡で文学仲間だった真鍋呉夫も上京し同じホテルに泊まって書き始めた
すでに面識があった坂口安吾に歓待され、以後、安吾との親交が深まる
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1949(昭和24)
ヨソ子と太郎を呼び寄せ、石神井ホテルの一室で暮らし始める
その後、檀は練馬区南田中に家を購入し、家族で移り住む
ヨソ子は檀の世話が大変で、起きて寝るまで座ることすらできなかった
仕事がうまくいかない時は「馬鹿!」「低能!」という言葉がすぐに飛ぶ
それはないだろう、と友達にたしなめられていたが・・・。
1950(昭和25) 檀38歳・ソヨ子27歳
次男の次郎生まれる 5歳の時に日本脳炎を発症、1964死去
「りつ子その愛・その死」を発表し、好評を得る
1951(昭和26)
「長恨歌」「真説石川五右衛門」で直木賞受賞
伊東競輪不正事件で被害妄想に陥った安吾を、三千代夫人共々自宅に匿う
眠剤中毒で錯乱した安吾がカレーライス100人分を出前注文させる
安吾らと埼玉の高麗神社に取材に行く
1952(昭和27)
決戦川中島の企画で、安吾と新潟から長野へ取材旅行する
松本の平島温泉ホテルに逗留時、大暴れした安吾が留置場に入れられる
1953(昭和28) 檀41歳・ソヨ子30歳
三男 小弥太生まれる
1954(昭和29) 檀42歳・ソヨ子31歳
長女 ふみ生まれる)
1955(昭和30)
坂口安吾没する 以後も選集の編集や安吾忌の幹事などを長くつとめる
1956(昭和31) 檀44歳・ソヨ子33歳
二女 さと生まれる
檀は、太宰治の記念碑除幕式に招かれて津軽へ出かける
檀は、太宰治の記念碑除幕式に招かれて津軽へ出かける
入江杏子を同行し、蔦温泉で「事」を起こし、湯河原を回って帰宅
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津軽へ同行した檀と入江杏子
ヨソ子は、帰宅した檀から「ヒーさんと事を起こしたからね」と聞かされる
ヒーさんというのは、入江杏子の本名が久恵だからである
「事を起こす」とは檀流の言い方で、彼女と性交渉したということ
ヨソ子はそれを知って怒り、翌朝家を出る決心を固めた
それから先を書き出すとまた長くなるので、次回に回すこととしたい。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]