桃中軒雲右衛門1873/M06ー1916/T05) 桃中軒牛右衛門(宮崎滔天)1871/M03-1922/T11
滔天、どのくらいの時期まで浪花節を語っていたのか。
調べてみたら、ほぼ死ぬまで革命と浪曲2足の草鞋を履いていた。
といっても、いつも雲右衛門一座と一緒ではない。
喧嘩別れしたり、仲直りしたり、滔天独自の看板を掲げたり・・・。
滔天の口演に対する新聞・雑誌の批評も、
”異彩だが、浪花節の語りとしては発展途である”といったものから、
”美音玲瓏、豪傑流有志派の余技とは思えず、満場喝采なり”へと変化する。
また、浪曲による民権の普及という滔天の目論見も、
”髭面紳士が多かった客層に、労働者が増えて来た"と的外れでは無かった。
滔天自身は、自分の浪曲についてこんな述懐をしている。
”器用でフシは歌えるし、声もいいと思うが、啖呵をきれない。芸事は、
中年からでは駱駝が針の穴を通るより困難。子供の頃からやらないと。
もう一つ、田舎生まれで江戸弁ができない・・・この道で私は成功できない!”
とはいえ、滔天は筆が立つ。彼が作った浪曲の台本や随筆はかなり多い。
代表作を挙げると、「三十三年の夢」「慨世奇談/明治国姓爺」「天草四郎」等。
今日は文字を少なく、あとは動画を見てもらう。
上の動画を見ながら思った。
雲右衛門と牛右衛門・・・二人の確執と時代を絡めた映画を誰か作って・・・と。
それでは今日はここまで。
次回は、槌・卓・滔天・黄興らの視点を交えた「民報社」「辛亥革命」の予定。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]