
俊子との事件で傷心した白秋は自殺しようとまで考えたという
が、思いとどまり、翌年1913(大正02)神奈川の三浦三崎に移住する
白秋はそこでの生活を歌集「雲母集」で発表している(青空文庫)
また、その末尾「雲母集余言」には、
”本集は大正二年五月より三年二月に至る、
相州三浦三崎に於ける私のささやかな生活の所産である。
この約九ヶ月間の田園生活は、極めて短日月であつたが、
私に取つては私の一生涯中最も重要なる一転機を劃したものだと自信する。
初めて心霊が甦り、新生是より創まつたのである。”
とあり、以下、短い散文ながら三崎での暮らしの様子が描かれている
なお、白秋自身の手になる絵も何枚か載せられている
城ヶ島を歌った短歌も数多く、ぜひとも「雲母集」読まれたし!
三浦三崎の写真と 城ヶ島の地図(観光サイトほかより)

三浦市の海岸から東京湾を望む

城ヶ島の観光名所、馬の背洞門

遊ケ崎の白秋歌碑(城ヶ島大橋より)

城ヶ島の地図
【その後の二人】
1914(大正3) 俊子が肺結核に罹患し、療養のため小笠原父島に移住
同年、東京に戻り二人は離婚する
離婚の理由は俊子が、
わがまま、自分勝手、浪費癖、貧乏はイヤ、母や弟と折り合いが悪い・・・
といことだそうだ
別れた後の俊子の人生はどうなったのか? 私は知らない、調べる気も無い
それより2番目の妻が待っている

それでは明日またお会いしましょう
[Roasy]