遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
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詩人あの人この人~「萩原朔太郎~その7 朔太郎の晩年」

2023年10月11日 | 読書


前橋文学館サイトへのリンク(年譜参照など使い方は自由) 


左から 妹ワカ 甥 葉子と稲子 母ケイ 朔太郎 父光蔵 弟と息子 大正11年 

1929(昭和04)   朔太郎43歳 稲子30歳(以下名前省略)
 7月稲子と離婚 朔太郎は手切れ金として当時の金額で千円を渡した  
 朔太郎は 葉子と昭子を連れて前橋へ戻る 翌年7月父密蔵死去 
 この後、別れた稲子は下落合にカフェ・バー「ワゴン」を開く 

今日はその話を書くつもりだったが後に回し 
このあとの朔太郎の年譜を略記する(作品投稿の類は略す)

1930(昭和05) 44歳
 7月父密蔵死去(享年77) 10月妹アイと上京し市ヶ谷に住む 
1931(昭和06) 45歳
 9月下北沢に母ケイ・二児(葉子・明子)・妹アイと住む
1933(昭和08) 47歳
 1月頃世田谷区代田に自宅を新築、入居する
1936(昭和11) 50歳
 この年、執筆活動がピークになり雑誌・新聞等への掲載が年間120点にのぼる
1938(昭和13) 52歳
 4月大谷美津子と結婚(入籍せず) 翌年朔太郎は美津子のアパートに住む
 ※美津子も稲子と同様、母や妹たちから疎外された
1941(昭和16) 55歳
 9月風邪をこじらせて就床 
1942(昭和17) 55歳
 5月11日肺炎のため世田谷の自宅で死去(享年55歳) 

ところで朔太郎が亡くなり、その子供~葉子と明子はどうしたのだろう?
明子は幼い時に脳性麻痺になっているが、ほかの情報は殆どない
姉の葉子は、後に作家となる萩原葉子・・・その作品を幾つか読んでみた
下の写真は前橋文学館サイトより転載


萩原葉子と息子の朔美 1920(大正9)-2005(平成17) 小説家・エッセイスト 

以下 それによる朔太郎と母・妹弟について要点のみ略記する
・稲子を息子と離婚させ家から追い出したのは母のケイ
・朔太郎自身は若い男と何しようが問題とは考えていなかった
・母・妹弟は稲子のことを蔭ではインラン女と蔑んでいた
・朔太郎の晩年 母や妹弟は葉子・明子の除籍を企む(遺産相続を有利にする為)
・その件について朔太郎自身は死ぬまで拒否した

そのほか 萩原葉子の作品を通して今までと違う朔太郎像を得た
また 母稲子の晩年や、葉子の歩んだ過酷な人生も知ることができた
というわけで 明日は稲子や葉子の人生に触れてこのシリーズを終わりたい
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

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