遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
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詩人あの人この人~「萩原朔太郎~その8 稲子と葉子 その1」

2023年10月12日 | 読書


前橋文学館サイトへのリンク(年譜参照など使い方は自由)

1929(昭和04) 上田稲子30歳
 稲子は慶応ボーイの三富と駆落ち、朔太郎と離婚する

その後 下落合にカフェバー「ワゴン」を開店する(1932年頃らしい)
三富が画学生でバーテンダーの経験もあったからだろうか
当時 落合には林芙美子・緑敏夫妻ら 画家や作家が多く住んでいた
「ワゴン」には芙美子・檀一雄・太宰治・尾崎一雄・古谷綱武らが出入りしていた

以下、近藤冨枝「馬込文学地図」から「ワゴン」関連の事を超要約記述引用する
【檀一雄のこと】
"マダムが萩原朔太郎の前夫人だという「ワゴン」という店に
安いウィスキーを飲みに入り浸っていた 店の看板が薄汚れていたので
自分の絵具を持ってきて 梯子に上り2,3日、看板塗り替えに没頭した・・・"

子供たちのこと
"馬込から来た詩人が 子供達が可哀想だから家に戻ったら と稲子に言う
「あの人なんか嫌いよ 子供たちのことなんかも考えたことはないわ」
冷たく言い放ったものの カーテンの陰で嗚咽する稲子だった・・・

「ワゴン」は2~3年で閉店 稲子は三富と別れて再婚 北海道へ行った 

これからの話はすべて萩原葉子の作品(※)からの超要約記述引用である   
※「父・萩原太郎」(初版昭和34年) 「蕁麻の家」 (初版昭和356年)


萩原葉子 1920(大正9年)-2005(平成17)小説家・随筆家  息子の朔美と(1955年)

朔太郎の趣味
"晩年の父は手酌で晩酌しながら 端唄のレコードをかけて一緒に唄っていた
電蓄は私が頼んで父が印税で買ってくれたものだった
晩酌のあとお茶漬けを食べ終え 「葉子、マンドリンとギターを持っておいで」 

父はトセリのセレナーデが好きで いつでも感情を込めて弾いた 
幾ら飲んだ時でもテンポは狂わず 私は父に注意されながら懸命に弾いた
流行歌では古賀政男の「影を慕いて」などが好き 演奏には魂が籠っていた"

"手品も晩年の父の趣味だった 52,3歳の時にマジシャン倶楽部に入り
よく習いに通っていた 帰ってから私がその手品の相手をさせられた"

"写真も若い頃からの趣味で 現像も焼き付けも自分でやっていた
私の小さい頃から立体写真にも興味を持ち これは私にも愉しかった"

などなど・・・父の想い出は尽きないけれど もう一つ朔太郎の再婚の話を
朔太郎は52歳の時(1938ー昭和13)に 大谷美津子と結婚する
美津子も稲子と同じように 母と妹弟に疎外されてしまう
駆落ちでは無いが家を出て 朔太郎が美津子の住まいに通ったという
朔太郎が学習したのか 誰かの入れ知恵か・・・
稲子の時もそうすれば 葉子もまったく別の人生を送ったかもしれない

今日で最終回の予定だったが 葉子と稲子の再会の話が残ってしまった
明日に回して朔太郎シリーズを終わることとしたい
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]


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