遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

永井荷風#50摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#4同居人荷風

2024年03月21日 | 日記

 市川駅北口付近(1928/S03) by Wikipedia 荷風いちかわマップ(市川市サイト)へリンク

1947/S22年 荷風69歳
前年は主に「戦後日瀝その一」から超要約したが 日瀝は1年限りで終わり
今回より「摘録 断腸亭日乗」からの超要約となる(必要に応じ他資料参照)

01/01 午前正岡容氏(*1)来訪 午後小西氏(*2)方へ行く

*1 正岡容(まさおかいるる) 芸能研究家 1904/M37ー1958/S33

*2 小西茂也(こにししげや) 仏文学者・翻訳家 1909/M32-1955/S30 
~荷風は五叟一家のラジオ放送や三味線稽古の音に辟易していたため
小西邸の一室を借りて時々避難?していた

01/04 午後小西宅へ 夕刻帰宅時阿部雪子来訪 切り餅を贈られる
~昨年の「日瀝」では 7回ほど彼女の名前が出て来た
「摘録日乗」の昨年分を再読したら0件 これでは摘録編集者失格?
阿部雪子の情報もだいぶ集まって来たので そのうち書く予定~

01/06 確執の多かった五叟の家を出て 小西邸の一室に移り住む
~この小西氏 実は稀代の荷風ウォッチャーでもあった
荷風の言動を克明に日誌に書く 荷風が「日乗」に書けないことまで
とりわけ 五叟一家との確執は 荷風には書けなかった事だろう
もちろん実名ではなくO氏になっている
五叟の本名は大島一雄 その息子永光が荷風の養子になっている

小西氏の日誌には O氏の娘が荷風の蔵書を盗み古本屋に売った
荷風は養子縁組解消も考えていた との裏記述?もある
小西氏自身は日誌を焼却すると書いたが なぜか一端が残っている
この日誌の日付は この年の8月1日から11月17日まで
読み始めたら止まらなくなりそうなので 今日はここまで~


それでは明日またお会いしましょう!
[Rosey]

永井荷風#49摘録 断腸亭日乗~市川暮らし#3小岩漫歩

2024年03月20日 | 日記

 戦後の闇市

1946/S21年 荷風68歳
「戰後日歴 第一」の読み飛ばしがあった 今日はそこから始める

06/11 午後省線(現JR)新小岩町の私娼窟を歩く
省線駅前に並ぶ露店から一本道の町を歩くこと8~900mの町外れにある
女は思っていたより醜くない 揚代は客の和洋いずれも50円という

この頃の日雇いの日給30円前後 荷風はこの後年内に2度歩いている

11/23 午後新小岩邊漫歩
12/10 夕方新小岩散歩
 
散歩と漫歩との違いは分からないが それにしても70歳近く 元気だ
小岩で思い出したが 安吾が名所?東京パレスのことを書いている

ルポルタージュのハシリのような作品
同行した作家がいたが名前は書けない と初めに断っている
ところが名前が出て来て 石川淳 林芙美子・・・意図的だろうが面白い~ 

荷風は これを雑誌か何かで読んで 小岩に行ってみたのだろうか
あるいは作品のイメージ作りの小岩散歩だったのかもしれない

「小岩」や「パレス」で荷風の青空文庫作品検索
幾つか作品が出て来て やっぱり作品のイメージ作りの散歩だったか・・・
 
 
なお 葛飾に因む荷風作品は他に「葛飾土産」や「葛飾情話」(未文庫化)がある

小岩の歴史やパレスや街の案内動画
 

それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#48摘録 断腸亭日乗~市川暮らし その2

2024年03月19日 | 日記

1946/S21年 荷風68歳
阿部雪子の情報を探しているが 断片的でしかない
そこで今日は趣向を変えてみる

青空文庫の「荷風戰後日歴 第一」の記述と併せて地図を見るのも一興

上の地図では京成八幡と鬼越の2駅だが 荷風の散歩は広範囲に及ぶ
因みに京成電鉄の近辺の路線図は以下のとおり(昔と駅名が違う場合もある)



さて「日瀝」に出て来る駅で 八幡と鬼越以外に荷風が最も利用した駅は?


 海神~駅が出来た当時は古語に従い「わだつみ」と読んだという 

 1月半ばに市川に移住以来 何と66日間ここに来ている(10月ー12月の間)
 理由は後で書くとして 主な駅の当時の写真を掲げる


 市川真間

菅野


 京成八幡


 鬼越


 国府台

京成小岩

さて 荷風が海神に通ったのはなぜか?
荷風の支援者だった凌霜子の別邸があったからである
当時 荷風は五叟一家と一つ家で暮らしていたが
ラジオ放送の音や三味線の稽古や子供たちの声などに悩まされていた

荷風は同居は無理だと考え 自分一人の家を借りようとしていた
恰好な家が見つかるまで 凌霜子が別邸を自由に使わせてくれた・・・

ところで 昨日 こう書いた
12/15■ 昼 阿部雪子來る 洋書二册を贈られる (仏語の2冊の書名省略)
     夜 海神へ 晩餐の馳走になる
食事後 雪子は東京(かどうかもわからないが)へ帰ったのだろうか?

今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

永井荷風#47摘録 断腸亭日乗~市川暮らし&謎の女性

2024年03月18日 | 日記

 市川真間市 手児奈霊神堂 昔の写真:時期不明

1946/S21年 荷風68歳
~1月16日に市川に越して来て2ヶ月半が経った
前回は荷風の散歩と来客の視点で「荷風戰後日歴 第一」から要約した
荷風日誌の一番の面白さは 権威への批判・風刺を含む世相の観察だと思う
今日はそこに焦点を当て 4月以降の「日乗」と「日歴」とから要約する
なお 日付後の■は「日歴」 無印は「日乗」から~

04/04■省線驛前を過ると衆議員選擧候補者が演説
 ホテル番頭の挨拶のようだ 戦争に負けるとこれほど卑屈になるのか
04/06■噂の聞書き
數日前 大阪で警察に捉えられた朝鮮人闇屋を奪い返す暴動が起きた
日本人も混じって闇屋・警官双方でピストルの撃ち合いとなる
この騒ぎに事情を知らない米國憲兵一隊が機関銃を放って追い払う
死傷者少くないというが 米国人檢閲のため新聞には載らなかった
口では民政の自由を説き自分に不利な事は隱蔽 米国人 笑ってやれ

04/11■夕食後 文學狂と思しき洋裝の婦人來て面会を求める
 取次の家人が留守と答えたが 家が遠く一晩泊めて貰いたいと言う
 幸いなことにしばらくして帰った様子
 物陰に隠れて見たら年は30前後、容貌10人並 住所姓名は言わなかった
04/15 米兵暴行掠奪の噂が多い 黄昏銀座通で毆打・紙入を奪われる
 日本人の追剥も多い 夜間外出は愼しんだほうが良い
04/28 配給の煙草粗悪になる 醤油・味噌も不味い 亡国の兆しが哀しい

04/29 江戸川堤散歩 國府台新緑の眺望が佳い
 路傍の蕎麥屋に代用食ふかし芋ありと貼紙 入って食べる 1皿五円
 三十前後のおかみさんの話
 「夫は去年沖繩に送られ 今だに生死が分からない 子供三人
 女手ひとつだけで暮してゆくのも難しい」
 家に帰ると凌霜子(※)が待っていた
   ※相磯凌霜(あいそ・りょうそう)1893(M26)ー1983(S58):鉄工所重役
   荷風の交遊相手 船橋市海神の別邸を執筆の場に利用させてもらった
   相磯は 荷風の財産管理や葬儀の段取りなども行なった

05/04■午後 阿部雪子(※)来る 白米貰う
  ※誰だろう この女性?

05/07ー09■八幡町混堂・白幡天神・葛飾八幡宮・同左藪知らずを散歩する
 葛飾八幡宮と藪しらず(Youtube動画)


06/06■ 夜半 五叟父子が奥の座敷で三味線弾き出し 本読み手紙書く
 深夜2時過ぎて止むのを待ち就寝 貸間の生活勉學には適さない
 かといって今は移るところもないのが悲しい
 
 07/01■ 阿部雪子来る
 ~また来た この女性! 気になるので この先も調べてみた~
08/19■ 夕刻 阿部雪子来る
09/10■ 夕刻 阿部雪子来る この夜 中秋の名月
11/11■ 阿部雪子来る(不在中)
 12/03■ (荷風の)誕生日 午後 阿部雪子来る ~どうも怪しい!~ 
12/15■ 昼 阿部雪子來る 洋書二册を贈られる
 Charles Sarolea: Ce que j'ai vu en Russie Sovitique.
 Max Eastman: Depuis la mort de Lnine.(Paris 1925)
 夜 海神へ 晩餐の馳走になる

~ますます怪しい! こんな写真も出て来た~

 行徳橋で阿部雪子と荷風 1952(S27)年

 ~「濹東綺譚」の女性の名が雪子だったよな・・・
 阿部雪子をざっと調べてみたが 荷風のフランス語の教え子だったとか
 新たな事がわかったら明日にでも書くとして 今日はここまで
それでは明日またお会いしましょう~
[Rosey]

永井荷風#46摘録 断腸亭日乗~荷風と戦争その16 疎開の日々#2

2024年03月17日 | 日記
 市川真間 手兒奈堂

1945/S20年 荷風67歳
~昨日は8月15日の敗戦までの日誌を要約記述した
読んでいる本が摘録のため全体の1/4程度 話が繋がりにくい事も多い~

08/30 菅原を通じて知り合った村田(※)一家と共に岡山から東京へ戻る
 ※村田武雄 音楽評論家・NHKラジオ「音楽の泉」2代目パーソナリティ・
  音大教授ほか

09/01 渋谷駅で別れ 代々木の杵屋五叟宅へ行く一家は熱海へ疎開の由
 熱海和田浜の家を借りて住む五叟宅へ行き寄寓する
 以後 熱海で4か月ほど過ごす 関西の疎開先が住みよかった模様

1946/S21年 荷風68歳
年が明けて1月16日 五叟一家と共に熱海を去り 市川市の借り家に行く

~なお この年は「荷風戰後日歴 第一」から要約記述する
これは摘録では無く毎日何かしら記述があるので 焦点を絞りたい
とりあえずの視点は 散歩での風物・店・食べ物 どんな来客があったのか

01/19 市川初散歩 省線(今のJR)駅前の露店を見る 京成電車踏切近く
 汁粉1円45錢の貼札を見かけ入って食べる 本物の汁粉ではない味・・・
01/20 中央公論社の編集員小瀧穆氏※来る 新発売の紙巻ピース一箱貰う
※谷崎重一郎も担当 荷風が岡山疎開中にも会っていた
01/21 驛前露店で わかさぎ佃煮を買う 一包20円

01/22 この辺り閑靜で 世を逃れ隱れ住むには佳い場所だ
 住民の風俗も澁谷・中野あたりとは全く違う インテリ風でなくて嬉しい
01/24 熱海より轉送の郵便物 進駐軍開封檢閲の痕があった
 夕方中村光夫氏(文芸評論家他)來話 コクトーの本を借りる
01/28 小堀杏奴(こぼりあんぬ:随筆家・森鴎外と後妻の次女)から葉書

02/05 来客:扶桑書房主人 小川氏 川端康成氏 近藤医師の診察受ける
02/27 新貨幣発行 本日より銀行預金払戻し停止の布令 人心騷然となる

03/10 米国製の缶詰・煙草の所持 米國憲兵が知れば逮捕の記事あり
 手許には出版社等から貰った物が多い 空缶をどこに捨てればいいのか
03/15 生活費を心配してくれる手紙が多い
 朝日新聞記者來訪 夕刊紙上連載の長編小説が欲しいという
03/20 
扶桑書房:2千円 中央公論社顧問給料:500円を貰う
 川端氏來て辭書「言泉」を贈られる
03/26 午後 手兒奈堂に詣でる Youtube動画にリンク
03/29 駅前の闇市で買い物 
 インキ1合8円 状袋1枚10錢づつ 洗面器1個50円
 
 ~3か月分を書いてみたが 何か面白くない!
 市川暮らし 何をポイントにすればよいのか 再考する必要あり!
それでは明日またお会いしましょう
「Rosey]