1959/S34 75歳 石橋=周共同声明
中国を訪問し、毛沢東・周恩来を初め同国首脳社と会談。
石橋=周共同声明を発表し、日中両国の友好親善を約す。
【'60年安保闘争】
会期延長の強行採決。衆議院議長は清瀬一郎(1960年5月19日)
日比谷公園から内堀通りを国会に向かうデモ隊
・・・安保改定に反対する湛山は、安保闘争リーダーの総評岩井と会談。
これが何度目かの湛山除名運動を惹き起こす。
'60年3月、「日本週報」に「石橋除名論に応えて」と題する一文が載る。・・・
"両者の会談内容は、
①北方領土の一時棚上げと日ソ平和条約の早期妥結
②その糸口に中国要人と今年中に会う
③新安保条約は慎重に討議する
この③項が党議違反だと言うが、党議自体が無かったので、違反ではない。
~中略~
総評との会談は利敵行為と言うが・・・話合いは民主主義の根幹である。"
樺美智子さんの死の翌日。樺さんに供花する人たち(6月16日)
1964/S39 80歳 ソ連訪問
日ソ協会会長ネステロフ、ソ連対外友好連絡団体連合会会長ポポアの招請により訪ソする。
1966/S41 82歳 入院
手足に麻痺を感じ聖路加病院に入院、主治医は日野原重明が務めた。
【事実に合わぬ理論は訂正】~「東洋経済新報」1966年11月 より
"自由主義の効果は、ある特定のイデオロギーにとらわれることなく、
必要に応じて自由にそこから抜け出られるというところにある。
事実に合わない理論なら、その方がまちがいなのだから、
訂正すべきものだ。私は長い間、そう考えてきた。"
1968/S43 84歳 立正大学学長を辞任
1952年から務めた立正大学学長を辞任、名誉学長に推される。
【政治家の私利心】~「東洋経済新報」1968年10月 より
"人間は誰でも私利心を持つ。自分は持っていないと云ったら嘘になる。
しかし政治家の私利心が第一に求めるのは、財産や私生活の利益ではない。
国民の間からわき上がる信頼であり、名声である。
これこそ、政治家の私利心が追求すべき目標でなければならない。
そうでないなら、政治家をやめてほかの職業にかわるがいい。
1972/S47 88歳 「石橋湛山全集」を完結する。
【同情は我と彼を融合する】~「週刊東洋経済」1972年10月より
"私はかねて、人生の事はただ理屈だけでは理解できないと考えてきた。
理屈は我と彼とを離隔し、同情は我と彼を融合する。
ここでいう同情とは、相手に憐憫の情をいだくことではなく、
相手の立場を理解する努力を怠らないことだ。
これは人生のことすべてに通じ、国と国とのつき合いでも例外ではない。
他人の好意を求める者は、自らこれを受けるに足る行為が必要である。
外交関係でも同様だ。このことを常に心してもらいたい。"
1973/S48 4月25日、脳梗塞のため88歳で逝去。
石橋家の菩提寺「善性寺」
冒頭近く、安保騒動で除名騒動を起こした湛山のことを書いた。
その彼を、援護射撃する寄稿文を掲げた政治家がいた。誰だろう?
次回は、湛山の衣鉢を継ぐ政治家の足跡を追ってみることにしたい。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]