真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

言葉と信念

2008-06-13 00:27:27 | Weblog
四川大地震。多くの学校が倒壊する一方、地元の共産党の建物は無事だったらしい。子どもを失った親たちは手抜き工事に怒り、同じ境遇の親たちと共に抗議に集おうとしたら、警察がこれを排除した。

中国共産党が自国民の声を恐れるのはよくわかる。何はともあれ共産党優先なのだから、共産党の権威が失墜するようなことを許すわけが無い。つまり、国民の声に恐れおののいているのである。

民主党の小沢氏は、野党を募って、福田総理に対する問責決議案を参議院に提出、可決した。当日予定されていた福田総理との党首討論を逃げて、である。しかも、民主党は問責した以上、国会で審議はできないと、国会から逃げた。

民主党の小沢氏は、是非はともかく小沢氏と正反対に正直な総理との対論を恐れた。本音で語られたら、自分たちの不実、「生活が一番」ではなく、「政権が一番」という姿勢が明らかになるからであろう。

誰かの声を恐れる時、そこには偽善や不正が必ず存在する。
誰の声も恐れず、話をしようという姿勢を持つ者には、勇気と信念がある。
政治家には、どんな時も国民や政敵からの声を恐れてもらいたくない。

これは、口下手であるか否かという問題ではない。
信念があれば、言葉は恐ろしくない。
信念がないから、言葉は偽善者の胸に突き刺さるのである。

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