真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

わたしたちは、ウクライナのために何ができるのか

2014-03-02 05:51:50 | Weblog
わたしたちは、ウクライナに何ができるのか

現在(3月2日午前五時)、TBSでは、プーチンがウクライナに軍事介入を決定したと報じた(NHKは、「緊迫化」とし、介入決定までは言っていない)。

プーチンが軍事介入をする理由は、ウクライナ南部にいるロシア系住民の保護であるという。

かつてナチスドイツのヒトラーは、ドイツ系住民保護を名目に、近隣諸国を蹂躙した。歴史は繰り返される、ということであろうか。

ウクライナでは、たとえば中学校で松尾芭蕉、高校で川端康成を教えられる。
日本に強い関心のある親日度の高い国として、知られている。

そのウクライナで、何が起きているのか。
簡単に言えば、ロシアの言いなりにはなりたくない、という騒ぎが起き、現職の大統領が亡命を余儀なくされたのである。

そして、ロシアは軍事介入(を準備)。

戦前の外交官、戦後は首相も務めた幣原喜重郎が、シカゴ大学の教授にこんなことを言った(概略。詳しくは幣原著『外交五十年』)。

「人間というものは、自分の死活問題は、血眼になって争う。しかし遠方の、痛くも痒くもない他人のために血を流したりはしない」

これは、国連が、決議してもちゃんと助けに行かない、ということについて述べているのだが、幣原は慎重に、遠方の他国救援の是非は避けている。
が、放置しておいていいのか、どうすれば暴虐な侵略を阻止できるのか、考えねばならない、という意味が読み取れる。

もし放置すれば、力を持つ国が近隣を侵すことを許容し、やがて自らの身にも災禍が及ぶ。

日本の隣人たち、中国、そしてまさにロシア。彼らの、たとえ遠方であり、日本にとって「痛くも痒くもない」暴挙だとしても、許してはなるまい。

日本がいつウクライナとなり、チベットとなるか、だれも保証できない。国際社会は挙げて、ロシアの暴挙を止めねばならず、そのために、国際社会に対して働きかける義務が、日本にはある。

そして。
圧倒的なロシア軍事力の前に恐喝されているウクライナの人々に、せめて日本が、味方であることを伝えようではないか。

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