真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

読み手の見識が問われる、雅子妃殿下の報道

2013-02-27 21:29:23 | Weblog
いったい、最近の皇太子妃報道は、何が言いたいのか。
雅子妃殿下の、ほとんどバッシングとしか言いようのない一部報道に嫌気がさしているのは、私だけではあるまい。

適応障害とそれに付随する病気が、一朝一夕に治らないことは、経験者や患者の家族なら誰でも知っている。
日によって、あるいは時間帯によって体調が大きく変わることも、わかっている。
それゆえに、ご公務をご出席されたりご欠席されたりするのは当然であり、公務内容の好き嫌いとはまったく関係ない。

真面目で責任感の強い人に多く見られることからも、妃殿下ご自身がどれだけ苦しんでおられることか。

私は以下のように思う。
皇族の方が、一般の国民と同じ病気で苦しんでおられる。同じ痛みを感じ、同じ悩みを共有している。
このことの、どこが問題なのか。むしろ私は、皇室をより身近に感じるが、如何であろうか。

ご公務を果たすことについては、たしかに難しい問題がある。
しかしこれも、宮家の議論と一緒に論じてはどうか。
皇族といえども、ご病気で臥せられることもある。そうした場合にどうすべきか、現状で不十分なら、さらに手だてを講じればよいだけであろう。

一部の識者が、妃殿下の公人としてのありようを批判的に論じているが、公人もまた人である。
人である以上、弱さもまた包含するのである。
私たちは、皇室に完璧を求めるよりも、皇室だからこそ、国民の象徴だからこそ、国民と同じ弱さと共にあって戴きたい。

震災で、避難所を訪れた両陛下や両殿下が、膝を折って被災者と語り合ったのは、心を共有されようとしたからにほかなるまい。
国民と共にある皇室だからこその御姿であろう。

人間としての弱さ、病を抱きしめながら、それでも懸命に立ち直ろうとされておられる妃殿下に、私は共感する。

報道はなるほど自由であるし、いろいろな取り上げ方もあろう。
それゆえにこそ、読み手の見識が、問われるのではなかろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする