真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

誇り高き教師を求める

2010-08-28 01:15:39 | Weblog
お客が増えるたびに、業務改善もせず社員を増やす会社があったら、どうだろうか。
優良企業とは言えまい。

まして、お客は減っているのに、社員を増やす会社があったらどうだろう。
おそらく誰もが、「自殺行為だ」と思うだろう。

もし株式を上場していたら、そんな非常識な会社の株など、誰も買わない。

出資を頼まれたって、「まともな経営をしてから出直してこい」と笑われる。

客が減ってるのに社員を増やす非常識な会社に、お金を貸す銀行などあるはずがない。

ところが。
日本で、お客が減っているにも関わらず、どんどん社員を増やし、返す必要のないお金をじゃぶじゃぶ使おうとしている組織がある。

教職員。
文部科学省は「教職員を約2万人増員して35人学級などに対応。また、新学習指導要領で学習内容が増えたことなどに対応するため、平成26~30年度にはさらに4万人増員が必要」としているらしい。

私には理解できない。
理科の実験材料の予算がもらえなくて、自腹で実験用具を買っている先生がいるのに、そちらの手当はしないで、教員だけなぜ増やすのか。

いや、もっと根本から考えよう。

我々の世代は1学級50名だった。
それですべての50人学級は崩壊したか?

もし35人でなければ指導できないとすれば、それは明らかに、教師の質が落ちている何よりの証拠ではないか。

文部科学省は、教員増員にあてる何千億円という血税を、教師の質を向上するために使うべきだ。

人材の質を上げるには、どうしたら良いのか。
極めて簡単なことで、出来る先生にたくさん給料を払い、適性のない先生には辞めてもらうということである。

有名予備校には、「年収ン千万円」という講師たちがいる。
彼らはそれに見合った人気があり、凄い授業をやっている。

予備校授業がただの「点取り授業だ」と批判する人は、一度でもいいから人気講師の授業を見学すればよい。

予備校だろうが公立学校だろうが、人格的にも能力的にも優れた人の授業は、生徒も騒がない。

そして、人気も能力もなく人格も劣っている講師は予備校ではクビになる。
が、なぜか学校の先生は、クビにならない。

私自身、ある公立校で授業中に、酔っぱらった教師から突然暴力を受けたことがあったが、同じクラスで被害にあった生徒たちと他の先生に訴えても、その教師は教員であり続けた。

素晴らしい職業である。

一般企業で、何の落ち度もない客を酔っ払って殴ったら、普通クビであろう。
しかし、そうならないだけの身分保障があるのだから、せめて、組合活動など二の次にして、教育だけに向きあってほしい。

そして、教職員組合のみなさんに、声を大にして申し上げたい。
どうか、教員増員を、拒否してほしい。

なぜなら、文部科学省は、
「あなたたちの劣った能力や人格では、とても子どもの教育なんか出来ないから、増員するよ」
と言っているのだ。

どうして怒らないのだろう。
自分たちが劣っていると認めるのですか?
それとも、仲間が増えれば楽になるから、ですか?
それとも、自分たちが信奉している組合の人数が増えるからですか?

誇り高き教師を、求めてやまない。

靖国神社参拝と、議論のありかた

2010-08-16 16:59:59 | Weblog
菅総理は、靖国神社には参拝せず、千鳥ケ淵戦没者墓苑には行った。
靖国神社に参拝しなかった理由は、
「靖国神社には、A級戦犯が合祀されている」
からだという。

では、A級戦犯が合祀されていなければお参りするのであろうか。

東京裁判の違法性は、純粋な法的問題としてすでに多くの識者が指摘している。
茶番に近い裁判の是非はここでは論じないが、
日本人は敗戦ショックで占領軍の言いなりになって、
この裁判を受け入れ、自分たちでは戦争の総括、責任を明らかにしなかった。

もちろん占領下でGHQに反抗はできなかったであろう。
しかしその後、講和条約が結ばれて占領が解かれても、戦争の総括はしなかった。

結果、東京裁判が唯一の戦争解釈となり、法廷の座席数の関係で絞られた20余名のA級戦犯のみに責任を押し付け、それが今日まで続いている。

私は政治史を勉強する者として、「戦前の指導者たちはすべて正しかった」、などとは言えない。
たとえば東條英機は自身の「敗戦に対する責任」をはっきり認識していた。
だが、戦争それ自体が正しかったのかどうかという点は、もっと議論しなければいけない。

原爆投下や、日本人居留民惨殺など、許してはならない外国人の犯罪が、
「すべて日本が悪い」
の一言で、罪を消されて良いのか。

私たちは何を間違え、どの部分は仕方がなく、どの部分は正しかったのか、それを明らかにする責任がある。

その上で、靖国神社に参拝しようが、しまいが、それは自由であろう。

民主党政権は、とにかく言葉が足りない。
「開かれた政治」と口では言い、韓国へのお詫びや朝鮮学校に対する手当の検討など、すべて密室で行われている。

鳩山前首相は「抑止力の観点から、米軍基地は必要」と、
自説を180度転換したにも関わらず、
一体、どこの国のどんなことに対する抑止なのか、まったく説明しない。

靖国参拝も、記者の不勉強もあるのだろうが、A級戦犯に対する名誉が法的に回復していることについてどう考えているのか、言及がなかった。

民主党政権は、結局、この国の議論のレベルを上げる意図はまったくなく、自民党政権よりもひどい独りよがり、自分だけの正義をふりかざす、浅はかな政権なのではないか。
「国民は、黙って言うことを聞いていろ!」
と、私には感じられる。

いや、それは言い過ぎかもしれない。
おそらく、政治技術はあっても、深い歴史的見識などは持ち合わせていないから、そもそも議論にならないのであろう。

それは、程度の差こそあれ、他党もまた同じかもしれない。
もちろん、国民も。
私たちは戦後、同じ教育を受けてきたのだから。